翌日は休みだった。
朝、いつもよりだいぶ遅い時間に起きて、母と二時間ほど訓練をした。
訓練が終わった後、ふと目についたものがあった。
母の机の上に置かれていた、一枚の写真。若いカップルが並んで写っている。
それを見て、私は思い出した──私の父、母の夫はもういない。少なくとも、今は。
写真に写る女性は、きっと若い頃の母。そして、その隣の男性が父なのだろう。
私は、父の顔を知らない。
生まれた時には、すでにいなかった。
母はそのことについて何も語らなかったし、私もまた、今まで訊ねたことはなかった。
でも、そろそろはっきりさせたい。
そう思って、私は母に尋ねた。
すると、母は少し神妙な顔をした。
「彼のことを知りたいなら・・・相応の覚悟が必要よ」
うっすらそんな気はしていた。けれど大丈夫。
どんなに辛く、残酷なことでも──私は受け入れる覚悟がある。
前世で毎日味わっていた苦しみに比べれば、ずっとマシだ。
「・・・大丈夫。私は、どんなことでも受け入れる」
そう告げると、母は語り始めた。
私が生まれる前に、何があったのかを──。
かつて、母は自身とは属性の異なる七人の魔女と共に邪神ガラネルを討ち、封印した。
だがその後、信頼していた占い師から、こう告げられたという。
「あなたは邪神を倒したが、その代償は大きかった」
当時はその意味がわからず、占い師もそれ以上のことは語らなかった。
その後、母は学生時代からの友人だった男性と結ばれた。
二人は同棲を始め、一年も経たないうちに、私を授かった。
しかし、私の出産──つまり誕生が間近に迫ったある日、父は突如亡くなった。
昨日まで元気に笑い、母と語らっていたのに、朝にはもう冷たくなっていた。
病でも、呪いの跡でもない。ただ、眠るように死んでいた。
あらゆる手を尽くしても、死因はわからなかった。
そのとき母は、かつて言われた「占いの言葉」の意味が、ぼんやりと見えた気がしたと言う。
「はっきりとじゃないけどね。・・・ なんとなくそんな気がした、って感じ」
確かな根拠はなかったのだろうが、なぜか、それは真実のように感じられた。
母は真相を確かめようと、あの占い師に会いに行こうとしたが、すでに亡くなっていた。
仕方なく、自力で過去を調べ直すことになる。
そして、ようやく辿り着いた。
母がガラネルを倒した際にかけられた呪い──「自らの家族となった者は早死にする」
それが、真実だったのだと。
母は深く後悔した。自分が選ばなければ、彼はまだ生きていたかもしれない。
たとえ一緒に暮らせなくても、愛することはできた。彼を殺したのは、自分だ。
しかも、そのときすでに子供・・・つまり私は、母のお腹にいた。
この子もまた、同じ呪いを背負うのではないか。自分のせいで。
幾日も母は涙を流し、自分を責め続けたという。
だが、やがて気持ちは変わっていった。
──本当に、呪いに甘んじていいのか?
それは、ガラネルに屈するということではないのか?
それだけは、絶対に許せなかった。
ならば、抗おう。
こんなところで負けられるものか。
呪いに、魔女が屈するものか──!
「奴の呪いには、決して負けない」
そう決意した母は、一度は堕ろすことも考えた子を、産むことにした。
けれど、生まれてきた私にそのことを話すことはできなかった。いや、話せなかった。
自分に勇気がなかったこともある。
だがそれ以上に、母として、自分の子にそんな話をしていいのかという思いがあった。
まだ幼い私に、その重荷を背負わせていいのかと。
「・・・つまり、私は長くは生きられないの?」
私は尋ねた。
母は、静かに頷いた。
「ごめんね、黙っていて。・・・でも、むしろその方が良かったのかもしれない。あなたはまだ、幼かったから。でも、いずれは知るべきことだったのよね・・・」
その目には、涙が浮かんでいるように見えた。
「・・・そっか」
私は呟く。
「私、早死にするんだ」
すると、母はすぐに言い直した。
「そんなにすぐじゃないわ。正確にはわからないけど・・・そうね、少なくともあと二十年は生きられると思う」
「・・・ほんと?」
「ええ。それに──言ってなかったけど、ちゃんと対策もしてあるのよ。呪いを完全に解くには至っていないけどね」
そして母は、私の肩に手を置いた。
「少なくとも今は、気にする必要はない。あなたがすべきことは、私の娘として立派に育ち、一人前の魔女になること。・・・わかった?」
「・・・わかった、母さん」
私はそう答えた。
どんなに重たい真実でも、聞けてよかった。
知ったからこそ、立ち向かえることもある。
ふと、胸の奥で何かが静かに疼くのを感じた。──私の名前は、アリア・ベルナード。母、セリエナ・ベルナードの娘。
・・・ でも、私はそれだけじゃない。
私はかつて、この世界とは違う場所──灰色の空の下で、いじめを受け続け、壊れてしまった一人の女子高生だった。
名前も忘れかけている。誰にも必要とされず、誰にも愛されず、ただ疎まれ、存在ごと否定され続けた日々。
あの時、私は屋上の柵を越えて、空へと飛び込んだ。
何も残さず、何も伝えずに。
すべてを終わらせるために。
でも、終わらなかった。
気がつけば、私はアリアとしてこの世界に生まれていた。
母の温もりと共に、火の魔力と記憶を受け継いで。
理由はわからない。でも、きっと意味があるんだ。だって、今こうして「生きている」から。
呪い? 早死に?そんなの、怖くない。
私はもう、自分から命を手放すことはしない。
たとえ運命に刻まれていようとも、戦ってみせる。
今度こそ、本当の意味で「生き抜いて」やる。
「ねぇ、母さん」
「ん?」
「私、きっとその呪いを解く。母さんができなかったって言っても、私がやってみせる。・・・それに私、“普通の命”じゃ満足できないの」
母は少し目を見開いたあと、ふっと笑った。
「・・・あら、それは心強いわ。アリア、あなたは、本当に私の娘ね」
私の炎は、もう消えたりしない。
たとえ呪いに抗うことが、この世界の理に背くことだとしても。
“私”という存在が、この運命の炎に焼かれ尽くすその瞬間まで──戦って、生きて、生きて、生き抜いてやる。
これは私の生き直し。
前世の自分を救うために。そして、この世界で出会うすべての人のために。
アリア・ベルナードとして、私は前に進む。