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44.氷の矜持と炎の意思

 翌朝。冷気に染まった窓を叩く雪の音で、私は目を覚ました。


支給された制服は、深いネイビーのローブに白いマフラー。そして胸元には、銀糸で刺繍された雪の結晶の紋章。

これは、アルフィーネ魔法学院の象徴らしい。


 鏡の前で、少しだけ深呼吸する。

似合っているかなんて、正直よくわからない。けれどこの制服は、ここで“生徒”として認められた証だ。


「・・・行こう」


扉を開けた瞬間、冷気が肌に突き刺さる。

暖炉の火も届かないほどの凍てついた廊下を、私は制服の裾を翻して歩き出した。




 講堂に入った瞬間、その空気は一変した。


──静寂。


 多くの視線が、私に集まっていた。

白や銀、淡い青の髪に、透き通るような肌を持つ生徒たち。その中で、赤髪赤目の私は、まるで燃える灯籠のように浮いていた。


(・・・わかってはいた。けど、これは・・・)


誰も話しかけてこない。目が合えばすぐに逸らされるか、ひそひそと囁かれる。


「火の魔法使い、だって・・・?」


「この学院に?冗談じゃない」


「火なんて、ここじゃ害にしかならないのに・・・」


 この学院には、氷と水に適性がある生徒が多いという。そんな中で、炎への適性を持つ私。

まるで、真っ白な雪原に落ちた火種のような異物。


「気にすることはありませんよ」


背後からかけられた声に振り返ると、そこには昨夜の女性──アイラ先生が立っていた。


「この学院は厳しい。特に“異なるもの”に対してはね。でも、あなたはそれを乗り越える力を持っていると信じています」


その言葉に、私は少しだけ肩の力を抜いた。


「ありがとうございます・・・ 」


 講堂の壇上に教師らしき人物が現れ、朝の挨拶が始まる。

静かに整列していく生徒たちの中に、私も混ざる。やや離れた位置に立っていたけれど、それでもいい。


私はここに来た。

誰にも歓迎されなくても、私は歩くと決めた。


その胸の奥に、静かに小さな炎が灯っている。

それは、どれだけ冷たい風にも決して消えない火だった。




 初日の講義は、「氷魔法制御基礎」だった。

私にとっては未知の分野。炎の魔法とは真逆にある性質。


雪と氷を操る生徒たちは、どこか誇らしげだった。彼らにとって氷は、誇りであり、矜持なのだ。


「お前、炎の魔法使いだろ?」


 声をかけてきたのは、銀色の髪を持つ少年だった。淡い青の瞳は、冷えきった湖のように澄んでいて、それでいて、こちらを測るような目をしている。


「俺はヴァル。三年生。ここの主席だ」


いきなり話しかけてきたと思ったら、そう名乗った。年上らしいけど、背丈は私とあまり変わらない。


「・・・私はアリア・ベルナード。ゼスメリアから来た留学生よ」


「ふうん。ゼスメリア・・・炎の大魔女の国、レフェの学院だったか。そんなとこから、寒さに震えながらも、ここまで来たその勇気は認めるよ」


 その口ぶりに、私は少しむっとした。

こいつ・・・ゼスメリアで私に何かと絡んできてた、ジオルと似てる。


「でも・・・炎の魔法は、ここでは通用しない。何もかもが違う。温度も、理論も、魔力の流れさえも」


「それは、知ってる」


「なら、よけいなことはしない方がいい。ここでは、熱は“敵”なんだよ」


言葉は丁寧だけど、まるで氷の刃だった。

私が何かを壊す存在だと、決めつけられているみたいで。


「・・・でも、私は炎の魔法使い。それを否定する気はないし、必要とされてここに来たの。黙って引き下がる気はない」


「ふん。なら・・・その覚悟、見せてみろよ。次の実技でな」


 ヴァルはそれだけ言い残して、氷のような足取りで立ち去った。




 そして、実技の時間がやってきた。


演習場の中心には、魔力によって冷却された巨大な氷柱がそびえ立っていた。生徒たちはそれを溶かさずに、いかに自在に形を変えられるかを競っていた。


 氷の彫刻。魔法の精密制御。

私は氷魔法は使えない。見学するか、と思っていたそのとき・・・。


「アリア・ベルナード。君も挑戦してみたまえ」


指導教官が、私の名を呼んだ。


(私が・・・?)


「魔法の属性は違えど、君の力量を見せてもらいたい。氷ではなく、炎で構わない。氷柱に触れず、かつ周囲の温度に干渉しないよう、制御してみなさい」


 なんて無茶なんだ。でも、逃げるわけにはいかない。


私は氷柱の前に立つと、ゆっくりと呼吸を整えた。

右手を前に出し、魔力を指先に集める。


(炎よ・・・私に応えて)


 魔力を集中させると、指先にほのかな赤い火が灯る。

それを針のように細く、細く。微細な制御。


氷柱の表面に火が触れるか触れないかの距離で、私は慎重に動かした。


 ・・・溶けない。けれど、表面に焦げのような色が走り、わずかに模様が刻まれていく。


やがて、表面に浮かび上がったのは・・・雪の結晶の模様。

この学院の象徴を、炎でなぞったものだった。


 静寂。


数秒後、生徒たちの間からざわめきが起きた。


「・・・あれ、本当に火でやったのか?すごい制御だ・・・」


「今の・・・ちょっとでもずれてたら、氷が割れてたよな・・・?」


 そして、ヴァルが呟いた。


「・・・ 見事だな」


私は息を吐きながら、火を消した。

指先はほんのり熱を帯びている。でも、それは誇らしい痛みだった。


 そのとき初めて、周囲の空気が少しだけ、柔らかくなったような気がした。





 冷たい静寂が、分厚い本棚の隙間を満たしていた。


ここは、アルフィーネ魔法学院の北棟最上階にある《氷の図書室》。

水と氷の魔法の研究に特化した文献が集められたこの場所は、年少の生徒にとっては寒すぎて長くいられない。


 けれど私は、ある理由で今日ここを訪れていた。


炎の大魔女セリエナの娘である私にとって、この空間は本能的に「合わない」。けれど、どこか、惹かれるものがあった。

・・・もしかしたら、母の手を離れて、誰も知らない“私だけの居場所”を探していたのかもしれない。


 その時だった。


ふと、視線を感じて振り向いた先。

一つ奥の書架の影に、誰かが座っていた。


雪のように白い髪。

透けるような肌。

淡い青の瞳が、じっとこちらを見ていた。


「・・・誰?」


 私は声をかけた。けれど、彼女は答えない。

ただ本のページを静かにめくり、まるでその音がすべての返事だと言わんばかりに。


「ここ、寒くないの?」


「・・・慣れてるから。私は・・・氷に守られて生まれたから」


 彼女の声は、まるで氷の粒が並んだような、か細く透明な音だった。

だけどその目は、私のどんな言葉よりも多くを語っていた。


「・・・名前、聞いてもいい?」


私の問いに、彼女はほんのわずかに目を伏せ、そしてゆっくりと口を開く。


「ユエ。ユエ・フェルシュタイン」


「私は・・・アリア。アリア・ベルナード」


 その瞬間。

ユエの表情が、ほんのわずかに揺れたように見えた。


でも、それが気のせいではなかったことを、私は後になって知る。

彼女の心に・・・そして私の過去に、確かに「三春」という名が、どこかに重なっていたのだから。






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