その日から、私は彼女の姿を意識するようになった。
昼休みの中庭。図書室の窓際。魔法理論の講義のとき、隣の列に座る横顔・・・。
彼女はいつも静かで、周囲の喧騒から一歩引いた位置にいた。誰とも群れず、けれど拒絶するわけでもなく、淡々と日々を過ごしているように見えた。
そんな彼女が、気づけば目で私を追っていることに、ある日ふと気づく。
(また・・・見てる)
目が合うと、彼女はそっと視線を外した。けれど、明らかに動揺していた。
そして、その瞳に宿る感情・・・それは、どこか私自身の記憶を掘り起こすような、奇妙な既視感を伴っていた。
(あの目・・・どこかで・・・)
けれど、思い出せない。もやのかかった記憶の中に、その瞳だけがぽつんと浮かんでいる。
それは、転生してから何度も味わってきた感覚。前世と現世が、ふとした瞬間に交差するような、そんな不安定な感情だった。
そんなある日の午後、私は校舎裏の渡り廊下で彼女に声をかけられた。
「・・・あなた。アリア・ベルナード、さん・・・だよね」
背後から名前を呼ばれ、私は振り返った。
そこにいたのは、あの銀髪の少女・・・ユエだった。雪のように白い制服の裾が、風にひるがえっている。
「・・・うん。そうだけど」
「少し、時間あるかな。話したいことがあるの」
その声には、わずかに震えが混じっていた。
私の胸に、またあの違和感が生まれる。
(どうして・・・この声、こんなにも・・・)
思わずうなずいていた。
彼女の誘いに従い、私は人気のない石畳の庭へと足を運んだ。
そこで、ユエはぽつりとつぶやいた。
「・・・私、あなたのこと、知ってる気がするの。前から。ずっと前から」
そして、彼女の紅い瞳がまっすぐ私を射抜いた。
「あなた、前の世界で・・・『鈴木三春』って名前じゃなかった?」
心臓が跳ねた。
頭の奥で、何かが音を立てて崩れ落ちた。
その名を、私はこの世界で一度も口にしていなかった。誰にも、話していない。
けれど、今。目の前の少女は、確かにそれを知っていた。
「・・・どうして・・・?」
私がそう問い返すと、彼女は胸元をぎゅっと掴みながら答えた。
「私も、あの世界から来たの。・・・“高橋芽依”っていう名前だった」
その瞬間、私はようやく思い出した。
彼女の瞳、声、立ち姿。全部が、あの教室の片隅で黙って私を見ていた、あの同級生と重なった。
思わず、声が震えた。
「・・・高橋さん・・・ 」
彼女は微笑んだ。その微笑みに、今にも崩れ落ちそうな悲しみと、長い時を経てようやく繋がった安堵があった。
「また会えたね、三春さん」
その言葉に、私は何も言えなかった。
この世界は、ただの異世界なんかじゃなかった。
前世で失われたはずの縁が、こうして再び、私の前に現れた。
私とユエは、言葉を失ったまま、雪の残る石畳に並んで腰を下ろした。
周囲には誰もいない。吐く息が白く漂っては、風に溶けて消えていく。
「・・・あの頃のこと、思い出したの。こっちの世界に来てから、夢の中で何度も見た。三春さんが、屋上から飛び降りるところも・・・」
ユエの声は、ひどく静かだった。怒りも、泣き声もなく、ただ風に流されるように淡々と。
「でも、本当は・・・あなたのこと、羨ましかったんだ」
「・・・羨ましかった?」
私が問い返すと、ユエはゆっくりうなずいた。
「逃げられたから。あの世界から、ちゃんと逃げたから」
私は、言葉を失った。
「私は、逃げられなかった。・・・三春さんがいなくなって、ターゲットが私になったの。先生も親も、見て見ぬふりで・・・」
その声は震えていた。けれど、涙は見せなかった。
「しばらくは、なんとかやり過ごそうと思った。無視されても、机を荒らされても、耐えようって・・・でも、だめだった」
彼女は視線を空に向けた。どこまでも白く、冷たい雲が流れていた。
「ある日、階段から突き落とされたの。たぶん、事故ってことにされたけど・・・私は、気づいてた。わざとだって。・・・殺されるって、思った」
それは冗談や誇張ではなく、本当の“殺意”だったのだろう。
いじめという言葉では言い表せない、悪意そのもの。
「そのとき、意識が遠のいて・・・次に目を開けたら、この世界にいたの」
彼女の瞳が、再び私を見つめる。
「どうして、こんなところに来たのか、ずっとわからなかった。でも、あなたを見たとき・・・初めて、少しだけ意味がわかった気がしたの」
私も、胸の奥に小さな痛みを感じていた。
私たちは二人とも、同じ傷を抱えて、同じようにこの世界に投げ出されたんだ。
死んだはずの命が、終わりを拒んで、どこかへ流れ着いたように。
私は、そっとユエの手を取った。冷たい手だったけれど、確かにそこに生きていた。
「・・・会えて、よかった」
そう言うと、ユエの目にうっすらと涙がにじんだ。
「うん・・・私も・・・」
その時、胸の奥に決意の火がともった気がした。
この世界に転生してきたのは、偶然なんかじゃない。何かを、正すために。何かを、終わらせるために。
そして・・・あの連中が、もしもこの世界にいるのなら、私は決して許さない。
死ぬ時、いや、それよりずっと前から固く、固く決意していたことだ。
それはきっと、彼女も同じだろう。
彼女は私と違い、奴らに直接殺されたのだから。
「ユエ・・・」
私は彼女の手を取った。
そして、声を出さずに・・・涙をこぼし、同時に、怒りと憎しみを燃え上がらせたのだった。