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47.孤炎の誓い

 アルフィーネ魔法学院での生活は、少しずつ始まっていった。


最初の一週間は、右も左もわからないまま目まぐるしく過ぎた。教科書も施設も、何もかもがゼスメリアとは違っていた──寒さも、言葉の訛りも、制服の材質さえも。


けれど、私はそれを嫌いになれなかった。

どこかで、自分が“過去の自分”から少しずつ離れていける気がしていた。


「ベルナードさん、次は中級氷魔法の演習よ。氷柱の形成速度、上げられるかしら?」


「はい、やってみます」


 私は杖を構え、息を吐き、魔力を指先に集めた。

適性でないこともあり、氷の魔法は得意ではない。それでも、火を扱う時とは違う集中が求められるのがわかる。


氷柱が空中に形成されていく。透明で、冷たく、まるで感情を閉じ込めたような魔法だった。


 演習が終わると、ユエがこちらに駆け寄ってきた。


「アリア、今日もすごかったよ。私、全然氷の制御うまくできなくてさ・・・!」


「そう? ユエの水流制御のほうが私には無理だけどな」


ふたりで笑い合う。


 不思議だった。ほんの数日前まで、彼女はただの“同じ学院の生徒”だったのに。今は言葉を交わすだけで、前世の記憶のどこかがふっと浮かぶ気がする。


芽依・・・彼女の本当の名前を、私はまだ口にしていない。

きっと、それは彼女のほうから言葉にするまで、待つべきものなのだろう。


 昼休みには、アルフィーネの食堂で熱いスープとパンを食べた。

ゼスメリアよりも質素だけれど、雪に包まれたこの土地では、温かい一杯が心にしみる。


「ねえ、アリア」


ユエが少し声を潜めて言った。


「・・・あなた、前世のこと、どこまで思い出してる?」


私は少しスープをすするふりをして、時間を稼いだ。


「たぶん、全部。自分が何をして、どうなったか。学校の屋上から、どんな気持ちで落ちたかも」


「・・・そっか」


 ユエは、苦しそうに笑った。


「前も言ったけど・・・私、あのあといじめられたの。三春さんがいなくなって、次の標的にされたの」


思わず、スプーンを握る手に力が入った。


「助けられなくて、ごめん」


「・・・違うよ。あれはどうしようもなかった。みんな見て見ぬふりしてて、私も、誰にも言えなかった」


「でも、あなたは覚えていてくれた。私のこと」


 それだけで、どこか心の奥が救われる気がした。


私たちはもう、あの教室にはいない。

でも・・・あの地獄のような場所で黙って耐えていた私たちは、今、雪に覆われたこの国で確かに生きている。


だから、私はこの地で学ぶ。

強くなる。必ず、過去を終わらせるために。








 ユエとの会話のあと、私は決意を新たにしていた。

──絶対に、もう繰り返さない。

この世界では、守れるものを守る。

そして、もしあいつらに出会ったら、その時は容赦しない。


 それからの日々は、氷の国に慣れることで精一杯だった。

極寒の気候、独特の魔力の流れ、そして氷と水の魔法が当然のように使われる環境。

この国では、炎属性の魔法は“異端”に近い。


けれど私は、折れなかった。この世界に転生してから、私は努力してきた。

炎以外の魔法に対する適性は、正直言ってほとんどない。けれど、それでも──水と氷の基礎魔法だけは、身につけてきた。


 苦手だからこそ、やらなくてはならないとわかっていた。

この世界で、生きていくために。そして、自分のために。


「・・・また、一人で特訓ですか?」


声をかけてきたのは、氷魔法専攻の上級生――ローナ=グランティス。

長い銀髪と静かな紫の瞳が、雪の風景と溶け合っている。


「うん。実技試験が近いから」


 私は氷の魔力を指先に集中させ、小さな氷片を浮かべる。

それは周囲の生徒たちが朝飯前にやるような、ごく基本的な魔法。でも私にとっては、それでも難しかった。


「・・・氷の魔法、習得していたのですね。あなた、炎の使い手なのに」


ローナの目に、少し驚きが混じる。

ここでは、“炎”の魔法を使えることはあまり評価されない。


初日に向けられたあの目線からもわかる通り、氷と水の流派が支配的なアルフィーネ魔法学院ではある種の異端者であり、時に奇異の目で見られる。


「苦手だけど、必要だからね。炎しか使えないと、生き残れないってわかってる」


 私は素直に答えた。

無理に誇張もしないし、卑下もしない。

ただ、自分にできることを、少しずつでも積み上げてきただけ。


「すごいな、と思うわ。私には、炎を扱うなんてとてもできない」


ローナが微笑む。その言葉に偽りはない。

彼女にとって火は“相容れぬもの”だろう。

でもそれでも、私を否定しなかった。


「・・・ありがとう。でも、私は炎を手放す気はないよ。どれだけ浮いても」


炎は、転生した時に母から受け継いだものであり、私の原点だ。

怒り、悲しみ、希望・・・私のすべてが燃えていた記憶の残滓。

炎は、三春の遺志そのものでもある。


「その炎が、誰かを守ることもある。私たちは、そういう世界で生きてるのだから」


ローナの言葉が、胸に染みた。

この世界で生きるには、時に“受け入れ合う”ことが必要なのだろう。私は、まだそれが上手くできない。

でも、少しだけ前に進めた気がした。





 夜、寄宿舎の部屋。

私はベッドに座りながら、ユエと談笑していた。


「アリア、あなたって本当にストイックだよね」


「そうかな。自分ではまだまだって思ってるけど」


「炎だけで戦える子なんて、滅多にいないのに。それでも、氷と水までやろうって・・・私なら無理だよ」


「・・・あいつらに会ったとき、後悔したくないだけ」


「そっか」


 ユエは少しだけ寂しそうに笑った。

前世で傷を負ったのは私だけじゃない。

ユエもまた、守られなかった一人だった。


窓の外は、白銀の闇。でも私の中には、確かに燃えるものがある。

この世界での力。生きるための強さ。そして、復讐の炎。


“見つけた”。


その言葉が、雪に紛れて、どこかから届いたような気がした。

凍えるような感覚と共に、背筋が冷たくなる。


 この世界にいるのは、私とユエだけではない。

“あいつら”も、いる。


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