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48.氷の瞳に映る影

 午後の実技訓練が終わった、その後のことだった。

私は、校舎裏の訓練場の近くにある小さな噴水の前で、持参していた水筒を手に休んでいた。


肌を刺すような冷気にもだいぶ慣れてきた。とはいえ、氷と水の魔法ばかりを浴びる訓練は正直きつい。私は炎の魔女だ。どうしても、相性の悪さが出るのは避けられない。

でも・・・私は、できるようになりたい。


 そんなふうに思いながら、口元に水筒を当てたときだった。


「そこのあなた。さっきの訓練、見てたわ。氷の飛沫の流し方、ちょっと甘い」


 鋭くも、どこか癖のある口調。

私は顔を上げて、声の主を見た。


銀髪のポニーテール。目つきは強く、紺色の制服の肩章には、騎士候補生の徽章が付いている。

アルフィーネとは別学科の、魔法騎士養成学校の生徒のようだ。時折、合同訓練で見かける顔だった。


「・・・あ、ごめんなさい。つい、見ちゃってて・・・って、あなた、炎の子よね?」


「ええ。だから苦戦してるの。水と氷の魔法は、慣れなくて」


「ふうん、そっちの理由はどうでもいいけど。指先の角度、ちゃんと意識しなきゃだめよ。魔力の流れが途中でブレてるの、見ててイライラする」


なにこの人、口が悪い。けど、どこか懐かしい・・・いや、嫌な感覚がした。


 この感じ、忘れたことなんて一度もない。

私の中でざわり、と氷のような嫌悪感が走った。

彼女の顔・・・知らないはずなのに、目の奥の鋭さ、そして他人を見下すような笑い方に、私は思い出しそうになっていた。


「名前は?」


「・・・アリア・ベルナード。あなたは?」


 彼女は少し顎を引いて、胸を張った。


「リーネ・シュトラウス。魔法騎士育成学科、第一課程。・・・あんたの魔法、ちょっと気になったから覚えておくわ」


リーネ・シュトラウス・・・でも、私はその名前じゃない名前を知ってる。でも、私はその名前で呼んだことは一度もなかった。


何となく、わかった。あんたは・・・。


 はっきりと思い出すにはまだ霧がかかっている。けれど、私は確信に近いものを感じていた。前世で”三春”だった私を面白がって叩いていたあの目、忘れていない。


(やっぱりいるんだ・・・この世界に、“あいつら”も)


心の奥がざらりと凍る。

かつての日々を思い出す。


 私は水筒を握りしめたまま、彼女リーネの背中を見送っていた。


あの歩き方。人の話を聞いてるようで、実は何ひとつ聞いてない、あの目。

あの独特な間の取り方と、舌打ち寸前のような言い方。


・・・間違いない、あいつだ。忘れるわけがない。


 野々村愛美まなみ。私と同じテニス部で、槇原みずきの取り巻きの一人だった女だ。

表ではにこにことして、先生には愛想がよくて、「やめなよー」なんて言いながらも、みずきの後ろで誰より楽しそうに笑ってた。


机にゴミを入れてきたのも、上履きを水でびしゃびしゃにされたのも、ランドセルの紐を切られたのも、みんな「みずきたち」で片づけられてたけど、あいつもいた。


 私が放課後、誰もいない教室で泣いてたとき。机に突っ伏して、声も出せずに息を殺していたとき。

教室のドアの向こうから、奴らの会話が聞こえてきた。


「三春ってマジでキモくない?」

「何あのメモ帳。漢字読めないくせにノートだけ取ってるし」

「あとでまた机、落書きしとこっかな」

「“がんばります”とか、気持ち悪くない?」「てか何?あのメモ帳、まだ持ってんの?あははは!」

「てか、あの顔で“わたし頑張ります”とか言ってんの、ウケるし」


あの会話、全部聞こえてた。

最後にあんたが笑ってたのだって、ちゃんと聞こえてたよ。


黙ってただけ。泣いてただけ。怖かっただけ。でも、全部覚えてる。

私が欠席した次の日、机の上に置かれてたメモ。


「先生にチクったら、どうなるかわかってんよね?」


 あれ、あんたの字だったよね。

癖のある丸文字と、書き慣れてないのがわかるひらがな交じり。

今のリーネの筆跡とは違うかもしれないけど、目と声は同じ。


心の中にある何かが、ぴたりと一致した。


(そうだ・・・私は、絶対に許さないって、誓ったんだ)


 唇をぎゅっと噛む。

目の前の風景が、どこか滲んで見えた。でもそれは、涙のせいじゃない。怒りでもない。


これは、確かな決意。


(あんたが、何も覚えてなくても関係ない。私は覚えてる。私が、裁く)


 リーネ・シュトラウス。

名前を覚えた。顔も、声も、歩き方も。

この世界に生きる“野々村愛実”の今を、私は見逃さない。


だったら、あとは・・・どうしようか。

どうやって、こいつを裁いてやろうか。

それはまあ、これからじっくり考える。


 何があったのか知らないけど、とにかくこいつも死んで、この世界に転生した。それは、私にとって幸運だ。


前世の最期に誓った通り、私はかつて自分をいじめてきた奴らを絶対に許さない。

今世では、必ず復讐してやる。


その手始めに、こいつをやることになりそうだが・・・さて、どうしたものか。


 幸いにもこいつは、前世での三春が私であることに気づいていないみたいだし、仮に気づいたとしても、私は留学生という立場だ。


この世界の学校の先生はかなりまともなようだから、先生に守ってもらうことは期待していいだろう。

というか、そうしてもらわないと困る。


 環境は整った。

あとは・・・やり方とタイミングをしっかり考えて、やるとしよう。


笑いながら裁く気はない。

静かに、確実に、あいつの世界を壊してやる。



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