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49.復讐の同盟

 留学生活にも少しずつ慣れてきたある日、私は気づいた。

最近、リーネと顔を合わせる機会が、明らかに増えている。


魔導史の講義、魔力制御の実技演習、さらには合同訓練──偶然と呼ぶには、あまりにも重なりすぎていた。


「そこ、足が流れてる。剣を振る前に腰を落とせ」


「・・・ああ、余計なお世話」


そう返したつもりだったのに、私の声は微かに震えていた。


 まるで当然のように口を出してくる女、リーネ・シュトラウス。

こちらはただ話しかけられるだけで、指先が凍えるというのに──。





 ある午後、図書室の片隅で、私は魔導理論の資料を焦りながらめくっていた。課題の答えが見つからず、ページを繰る手に苛立ちがにじむ。


そのときだった。すっと、一冊の本が横から差し出された。


「それなら、こっちのほうが早い。シェリル・メルダの理論は、前提が違う」


・・・また、あんたか。


「・・・私の課題、見てたの?」


「あんたの顔、見ればだいたいわかるよ。眉間にしわ寄せて、口角下がってたからね」


 そんなことを、あっさりと。

他意がないように見えるその自然体が、逆に腹立たしい。


だけど、次の瞬間──彼女の顔が、ほんの一瞬だけ、別の誰かと重なって見えた。


「・・・昔、よく“バカがうつるから喋んな”って言ってくるヤツがいたんだよね。なんで今、それ思い出したんだろ」


心臓が跳ね上がった。

それは・・・「三春」だった頃の私に、何度も投げつけられた言葉。


思わず本を落としそうになった手を、慌てて引き寄せる。


「どうした?」


「・・・なんでも、ない」


そう答えるだけで精一杯だった。





 その夜、寮のベッドで私はシーツを握りしめ、ひとりごとのように呟いた。


「覚えてるの?それとも、ただの偶然・・・?」


脳裏をよぎるのは、前世での記憶。


教室で、体育館で、下校途中の道端で――何をしても笑われ、見下され、踏みにじられた日々。


あのときの“野々村愛実”が、もしリーネ・シュトラウスとしてここにいるのなら。

名前も姿も変えて、“親切そうな顔”で、私に助言なんか寄越してくるなんて。


 ──ふざけるな。


けれど心の奥底で、もうひとつの声が囁く。


「本当に彼女は、あいつなのか?」

「今の彼女は、全く別の人間なのではないか?」


確信は、まだ持てない。

だが、私の中の“復讐の火”は──静かに、だが確実に、燃え続けていた。





 翌朝、私はわざと講義の開始ぎりぎりに教室に入った。

できる限りリーネと距離を取るためだった。


でも、現実はそんな思い通りにはいかない。


「おはよ、アリア」


背後から聞こえる、聞き慣れた声。


無言で席についた私の隣に、当たり前のように彼女が腰を下ろす。


「ちょっといい?」


差し出されたのは、講義ノートのコピーだった。


「昨日、途中で抜けたでしょ。私、まとめといたから」


「・・・なんで、そんなこと・・・」


それは問いというより、ほとんど拒絶に近い響きだったと思う。

リーネは不思議そうに私を見て、少しだけ首を傾げた。


「あんた、たまに壁作るよね。なんか……誰かに似てる」


 胸の奥がざわつく。

“誰か”──それは、前世の「三春」だとしたら・・・?


彼女はたぶん、私の正体には気づいていない。でも、自分の過去を、少しずつ思い出し始めている。


「シュトラウスさん」


「ん?」


「・・・私に構わないで」


 しばしの沈黙ののち、彼女は少し目を細めて言った。


「じゃあ、アリア。あんたが困ってるときも、黙って見てろってこと?」


「ええ。そうして」


リーネは何も言わず、ノートを私の机に置いて静かに席を立った。


胸の奥を、爪でえぐられたような気がした。





 その夜、鏡の前で自分の顔を見つめる。


赤髪。赤い瞳。前世にはなかった、美しさと強さをまとった“私”。

でも──心の奥にこびりついたものは、まだ剥がれ落ちていない。


 私は忘れていない。

階段の踊り場で背中を押されたことも、教科書に書かれた「死ね」の文字も。


笑いながら「バカ」と言い放った、あの声も――野々村愛実の声も。


 ──リーネ・シュトラウス。

もし本当にあれが、あの女の転生した姿だというのなら、私は絶対に許さない。


笑顔でノートを差し出してきても、親切に手を差し伸べてきても──

それは、私にとって“刃”にしかならない。


・・・でも。

どうして、あの頃よりも今のほうが、こんなにも胸が痛むのだろう。





 夕暮れの学園中庭。

寒空の下、燃えるような夕日が塔の間から差し込んでいた。


私は噴水の縁に腰掛け、足元の凍った水面をじっと見つめていた。

その向かいに、ユエが静かに座っている。


「・・・私が飛び降りた後、次はあなたが標的にされたんだよね」


「ええ。誰も助けてくれなかった。でも、私──最期の瞬間、笑ってたの」


「・・・どうして」


「あなたと同じ場所へ行けるって、そう思ったから」


 胸が締めつけられる。


私がいなくなったせいで、ユエを死なせてしまった。

その罪悪感は、今も私の背中にこびりついている。


「でも、こうしてまた会えた。だから私はもう一度、生きる理由を見つけたの」


「・・・復讐のために?」


「ええ。それが正しいかどうかはわからない。でも、あいつは何も失ってない。リーネ・シュトラウスとして、また“普通の顔”で生きてる」


「・・・やっぱり、あの女なんだね」


ユエは小さく頷いた。


「アイツだけじゃない。あのときの連中、みんなこの世界に転生してる」


私は、息をのんだ。

予感はしていた。でも、全員が・・・?


「生まれ変わっても、何も変わってないと思う。相変わらず、誰かを踏みつけて、優越感に浸ってる」


ユエの言葉は静かだが、確かな怒りがにじんでいた。


「・・・許せない。誰かが壊れる前に、止めなきゃ」


「でも、ただ殺すなんてつまらないでしょ。あいつらには、心の底から後悔させてやるの」


「それがいいね。・・・無傷では済まさない。絶対に」


二人の視線が、凍てついた水面の中で交差した。


「じゃあ、同盟を結ぼう」


「・・・同盟?」


「うん。私とあなたで、復讐の同盟を。もう誰も、犠牲にしないために」


 私は手を差し出した。

ユエも、迷わずその手を取る。


「・・・復讐のための誓いを」


「ええ、必ず」


夕闇が降り、二人の影が静かに重なっていく。


この誓いが、やがて学園に静かな狂気を呼び込むことなど──まだ、誰も知らなかった。



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