校庭の中央、円形の試験場には、朝から熱を帯びた魔力が流れていた。
今日は、魔法実技の中間試験がある。
属性制御と集中力の測定を兼ねた演習で、生徒たちはそれぞれ魔力を制限された状態で、定められた魔法を撃ち出し、標的に正確に命中させる必要がある。
私の番はもう終わっていた。結果は上々。指導教員も、以前より魔力の安定性が増していると頷いていた。
・・・問題は、次だった。
リーネ・シュトラウス。
銀糸のような髪をなびかせながら、彼女が試験場へ歩を進めるのを、私はじっと見つめていた。
(あいつが、暴走するかもしれない・・・)
根拠のない直感だった。けれど、嫌な予感が背筋を撫でて離れなかった。
「氷結陣・展開。対象ロック・・・発射」
凛とした声と共に、リーネの魔力が解き放たれた。蒼白い光が一気に広がり、標的へと向かって一直線に走る。
一瞬の静寂。
次の瞬間だった。
――キィィィィンッ!
空気が悲鳴を上げるような魔力の震えが走る。術式が歪んだ。氷の槍が途中で暴れ、周囲に散る。
「リーネ、制御を!」
教員の叫びが飛ぶが、それは届かない。リーネの瞳が、一瞬虚ろになった。
そして、彼女の唇が、ゆっくりと開いた。
「・・・ また泣いてんの?マジ、ウケるし」
その言葉が、この耳に届いた瞬間。
頭の奥で、何かがぶちっと切れた。
三春だった私が、教室の隅で泣いていたときに、あの女が言った言葉。
その声とトーン、語尾まで、そっくりそのまま。
リーネの口から飛び出すには、あまりにも不自然で、あまりにもリアルだった。
「やっぱり覚えてんじゃない、あんた・・・!」
気づけば、私は立ち上がっていた。
手は震え、足もすくんでいるのに、それでも声は出た。
リーネはその場に崩れ落ちるように座り込み、額に手を当てて震えていた。目は見開かれ、涙とも汗ともつかない滴が頬を伝っていた。
もはや、逃げ道はない。
何より、“あの言葉”を口にした。
もう、逃げも誤魔化しもできない。
お前は、野々村愛実だ。
かつて、私を苦しめ、結果的に殺した連中の一人だ。
私は前に進む。
どんなに足がすくんでも、この確信だけは、絶対に手放さない。
「思い出せ。あんたが何をしてきたのか」
リーネは答えなかった。ただ、震えながら、自分の手のひらを見つめていた。
放課後の校舎は、普段よりも静かだった。
実技試験の興奮が残るはずの空気は、妙に重く湿っていた。
理由はわかっている。誰もが、リーネの“異常”に気づいていたからだ。
彼女はそのまま保健室に運ばれ、魔力の乱れによる一時的な記憶混濁と診断された。
表向きはそれで片づけられたけれど、私にはわかっている。
あれは、ただの“事故”なんかじゃない。
前世の記憶が、確かに顔を覗かせた瞬間だった。
だから、私は待っていた。
彼女が戻ってくるのを。
そして、問い詰めるこの瞬間を。
夕暮れの光が差し込む訓練棟裏の広場。
人気のないその場所に、リーネは現れた。
白い制服の袖を揺らしながら、ゆっくりと歩いてくる。
その足取りは、いつものように自信に満ちてはおらず、どこかためらいがちだった。
「・・・アリア」
私の名前を、躊躇うように呼ぶその声が、鼓膜に刺さる。
どうして、そんな声で呼べるのか。
どうして、そんな顔で、私を見るのか。
「今日は・・・ごめんなさい。試験中、制御を失って・・・」
「“また泣いてんの?マジ、ウケるし”」
遮ったのは私だった。
言葉の刃を、ゆっくりと突き立てるように。
リーネの瞳が見開かれる。
「・・・え?」
「覚えてないかしら?あんたが、私に言った言葉よ。あのときと、同じ言い回し。トーンまで一致してた」
「そんなこと、私は・・・」
リーネが口ごもる。だが、私の視線は、彼女の奥にある“過去”を見据えていた。
「・・・とぼけたって無駄よ。あの瞬間、お前の中にいたのは“リーネ・シュトラウス”じゃない。“野々村愛実”だった」
ピクリと、彼女の肩が跳ねた。
やっぱり、どこかでその名前に覚えがある。
いや、きっと身体が、魂が、反応してる。
「私は忘れてない・・・お前たちがどうやって私を追い詰めたか。教室の隅で、ノートを破かれ、机を蹴られ、笑われて、泣いて・・・ 。全部、お前たちがしたことだ」
「や、めて・・・」
「は?何を?」
「その名前で・・・呼ばないで。私、そんな人じゃない。私は・・・」
「“今の自分”がそうだからって、過去が消えるわけじゃない!」
叫びが空気を震わせた。抑えきれない怒りが、私の中で熱を帯びて膨れ上がっていく。
「お前は変わった?優しくなった?・・・だからって、許されると思ってるの?私がどれだけ辛かったか、微塵もわからないくせに!」
リーネの目に、初めて怯えの色が浮かんだ。
けれど、それと同時に──迷いも。
「・・・私、本当に何も覚えてない。昨日のあれだって、意識が飛んでて・・・なのに、あなたのこと、前からどこかで見た気がしてて・・・」
「ああ、そう。それならいいわ。記憶がないのなら、思い出させてやる」
私の声は、もう冷えていた。
炎のような怒りは、凍てつく刃に変わっていた。
「次の試験で、お前を叩き潰す。誰もが見ている前で、私の全てをぶつけてやる。そのときまでに、思い出せ」
言い終わると、私は背を向けた。
彼女の反応を待つ気も、余裕もなかった。
ただ、背後で微かに聞こえた。
「・・・どうして、そんなに苦しそうな顔をしてるの・・・?」
その言葉に、心の奥が揺れた気がした。
でも、私は振り返らなかった。