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51.怒りの果て

 次の演習授業は、屋外に設けられた模擬戦場で行われた。


簡易な遮蔽物、起伏、魔力転送の制御陣が組み込まれた訓練環境。

二人一組で交互に魔法を撃ち合い、魔力操作と判断力を競う、いわば“対人形式の模擬戦”。


・・・この授業を、待っていた。


「次、アリア・ベルナード、リーネ・シュトラウス。前へ」


 先生の声が響く。

名を呼ばれ、私は無言で前に出た。リーネも同じく。


彼女の目は曇っていた。何かを探すように、遠くを見る瞳。

けれど、今日の私は、その曖昧さを許せなかった。


 私は知っている。

あの言葉、あの声が、演技でも記憶違いでもないことを。


だって、あのとき私の心は、怒りに燃える前に、確かに“怯え”で凍りついた。忘れようとしていた、あの声。あの記憶。

忘れない。忘れられるわけない。


「・・・アリア、話を・・・」


「始めよう。私たちはもう、“話す段階”を終えたはず」


無機質な声で、私は余計な言葉を断ち切った。



 先生が一歩下がり、結界が展開される。


「模擬戦、開始!」


私は、すぐに全身の魔力を展開した。

ただし、いつものように熱を放つ炎ではない。術式を緻密に、静かに構築する。


術式だけではない。これまでの授業で習った補助魔法、記憶魔法、感応術・・・といった魔法を、フルに応用する。


 リーネの精神に触れ、眠っている記憶を無理やり引きずり出す。


これは記憶再現術、正式名称を[追想の檻メモリアル・ケージ]と呼ばれるもので、本来は医療用の上級魔法。

未熟な学生が使えば、対象も術者も負荷で正気を失いかねない。


 それでも、私は見たい。確かめたい。

彼女が本当に“野々村愛実”で、あの時の言葉が、あの瞳が・・・“無自覚”で済まされるものじゃないと。


「・・・[追想の檻メモリアル・ケージ]!」


 術式が空間に咲くように展開される。

淡い赤光の輪が、リーネを包み込もうとした──そのときだった。




「──ねえ、それって、またいじめごっこ?

あなた、やたら私に絡んでくるよね? なんか、怖・・・」




 一瞬、時が止まった。


リーネが、ぽつりと呟いた。

完全な無自覚。だが、それはまさに、前世のあの女が笑いながら言っていた言葉そのものだった。


(・・・“ごっこ”・・・?)


その瞬間だった。

頭の奥が真っ白になり、理性が崩れた。




 制御していたはずの術式が暴走する。

空気が裂け、周囲の魔力が悲鳴を上げて歪む。地を這う火花が稲妻のように走り、風が怒声を上げた。


「アリア、魔力出力が・・・!」


先生の声がかすむ。

私は止められない。


炎が、魔力の暴走と共に舞い上がる。

怒りの熱が、そのまま術式を飲み込んだ。


「・・・見せてやる。お前の“ごっこ”ってのが、どれだけ人を傷つけられるか!」


 自分の声が震えていた。叫びだった。怒りの奔流。


対するリーネは、一歩も退かず、逆に前に出た。


「なら、真正面から受けてあげる。私が何をしてきたのか、知りたいなら・・・見てよ。私の全てを!」




 その言葉を聞き、術式が完成する。

蒼白い氷と灼熱の焔がぶつかり合い、爆音とともに光が炸裂する。


結界が悲鳴を上げる。


観戦していた生徒たちが息を呑む中で、先生たち急遽補助結界を重ね張りし、私たち二人の魔力を封じ込めようとする。


 けれど、もう止まらなかった。

これは、試合でも模擬戦でもない。


記憶と怒りの、真実を賭けた対決。


私・・・アリア・ベルナードが、その“怒りの記憶”で魔力を過剰解放し、一線を越えた瞬間だった。




 ──許さない。絶対に。

その言葉が、心の底から湧き上がった瞬間。

魔力が、弾けた。


「・・・[記憶の檻]」


術式は完成していた。

リーネの足元から黒い輪が現れ、空間が軋み、裂けた。そこに、私の憎悪と記憶が流し込まれる。


これは攻撃ではない。これは、こいつの記憶をこじ開ける魔法だ。


強制的に、“思い出させる”のだから。


 術式が展開されると同時に、空間が淡い光を帯びて、周囲の音が遠のいた。観客の歓声も教師たちの呼び声も、もう耳に入らない。


リーネが息を呑んだ。


そして、視界が滲むように変質し、私と彼女の“共有記憶”が現れた。








 教室。

私の机の中身を、誰かがひっくり返している。



 保健室のベッド。

誰も来ないまま、カーテンの向こうで静かに泣いている。



 そして、校舎の屋上。

足をかけた柵の向こう。風が、冷たい。

下を見下ろせば、私をいじめた奴らの声が遠くに聞こえる。


「ねえ、三春ってさ、自殺とかしそうじゃない?」

「でもあの子ってさ、なんか“可哀想な私ごっこ”してるだけでしょ」

「あーわかる、“死にたいごっこ”だよね」


 ──そして、あの声。


 「・・・結局、本当に死ぬやつなんていないよ。あれは、ごっこ」


 冷たくて、無関心で、他人事の声。

その声の主が誰だったか、忘れるはずがない。








「や、やだ・・・」


 リーネが、震えていた。

いや、何かを“見ている”ようだった。


「やだ・・・やめて・・・なに、これ・・・なに・・・?私・・・っ」


膝を抱えるようにして、頭を抱えてうずくまるリーネ。


あれは、演技じゃない。彼女は今、“何か”を思い出している。

その断片は、私と同じ記憶に属するものだ。


「思い出した?あんたが、どんな言葉で私を殺したか」


 声が震えていた。

怒りとも、悲しみとも違う。ただ、壊れそうな心を、必死に支えているだけの声だった。


「・・・私の人生を、あんたは壊した。あいつらと一緒になって、私の人生を笑った・・・!」


その瞬間、私の魔力が暴れた。

黒と赤が混じるように、空間が炎で染まり、術式が耐えきれず崩壊し始める。


私は、それでも止めようとはしなかった。暴力じゃない。これが、私の“答え”だったから。


「アリア、やめなさい!」


 誰かの声が遠くで叫んでいる。先生たちの結界が割れていく音がした。でも、もはや遅かった。

私の術式は、私自身を燃やそうとしていた。





「アリア、危ないっ!!」


 そのとき、リーネが私の方へ手を伸ばしてきた。


拒絶の色は、もうなかった。代わりにあったのは、震えるような“悲しみ”。


「・・・ダメ。あなたが死ぬのは、ダメ・・・っ」


彼女の手から、冷気が走った。

氷の、防御魔法。対象を守るためだけに編まれた緊急術式。


 私は、そのまま氷の中に包まれた。





 視界が暗くなる直前、私はリーネの顔を見た。

泣いていた。混乱していた。

でも、それでも。


──私を助けようとしていた。


 そのことだけが、どうしようもなく悔しかった。



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