次の演習授業は、屋外に設けられた模擬戦場で行われた。
簡易な遮蔽物、起伏、魔力転送の制御陣が組み込まれた訓練環境。
二人一組で交互に魔法を撃ち合い、魔力操作と判断力を競う、いわば“対人形式の模擬戦”。
・・・この授業を、待っていた。
「次、アリア・ベルナード、リーネ・シュトラウス。前へ」
先生の声が響く。
名を呼ばれ、私は無言で前に出た。リーネも同じく。
彼女の目は曇っていた。何かを探すように、遠くを見る瞳。
けれど、今日の私は、その曖昧さを許せなかった。
私は知っている。
あの言葉、あの声が、演技でも記憶違いでもないことを。
だって、あのとき私の心は、怒りに燃える前に、確かに“怯え”で凍りついた。忘れようとしていた、あの声。あの記憶。
忘れない。忘れられるわけない。
「・・・アリア、話を・・・」
「始めよう。私たちはもう、“話す段階”を終えたはず」
無機質な声で、私は余計な言葉を断ち切った。
先生が一歩下がり、結界が展開される。
「模擬戦、開始!」
私は、すぐに全身の魔力を展開した。
ただし、いつものように熱を放つ炎ではない。術式を緻密に、静かに構築する。
術式だけではない。これまでの授業で習った補助魔法、記憶魔法、感応術・・・といった魔法を、フルに応用する。
リーネの精神に触れ、眠っている記憶を無理やり引きずり出す。
これは記憶再現術、正式名称を[
未熟な学生が使えば、対象も術者も負荷で正気を失いかねない。
それでも、私は見たい。確かめたい。
彼女が本当に“野々村愛実”で、あの時の言葉が、あの瞳が・・・“無自覚”で済まされるものじゃないと。
「・・・[
術式が空間に咲くように展開される。
淡い赤光の輪が、リーネを包み込もうとした──そのときだった。
「──ねえ、それって、またいじめごっこ?
あなた、やたら私に絡んでくるよね? なんか、怖・・・」
一瞬、時が止まった。
リーネが、ぽつりと呟いた。
完全な無自覚。だが、それはまさに、前世のあの女が笑いながら言っていた言葉そのものだった。
(・・・“ごっこ”・・・?)
その瞬間だった。
頭の奥が真っ白になり、理性が崩れた。
制御していたはずの術式が暴走する。
空気が裂け、周囲の魔力が悲鳴を上げて歪む。地を這う火花が稲妻のように走り、風が怒声を上げた。
「アリア、魔力出力が・・・!」
先生の声がかすむ。
私は止められない。
炎が、魔力の暴走と共に舞い上がる。
怒りの熱が、そのまま術式を飲み込んだ。
「・・・見せてやる。お前の“ごっこ”ってのが、どれだけ人を傷つけられるか!」
自分の声が震えていた。叫びだった。怒りの奔流。
対するリーネは、一歩も退かず、逆に前に出た。
「なら、真正面から受けてあげる。私が何をしてきたのか、知りたいなら・・・見てよ。私の全てを!」
その言葉を聞き、術式が完成する。
蒼白い氷と灼熱の焔がぶつかり合い、爆音とともに光が炸裂する。
結界が悲鳴を上げる。
観戦していた生徒たちが息を呑む中で、先生たち急遽補助結界を重ね張りし、私たち二人の魔力を封じ込めようとする。
けれど、もう止まらなかった。
これは、試合でも模擬戦でもない。
記憶と怒りの、真実を賭けた対決。
私・・・アリア・ベルナードが、その“怒りの記憶”で魔力を過剰解放し、一線を越えた瞬間だった。
──許さない。絶対に。
その言葉が、心の底から湧き上がった瞬間。
魔力が、弾けた。
「・・・[記憶の檻]」
術式は完成していた。
リーネの足元から黒い輪が現れ、空間が軋み、裂けた。そこに、私の憎悪と記憶が流し込まれる。
これは攻撃ではない。これは、こいつの記憶をこじ開ける魔法だ。
強制的に、“思い出させる”のだから。
術式が展開されると同時に、空間が淡い光を帯びて、周囲の音が遠のいた。観客の歓声も教師たちの呼び声も、もう耳に入らない。
リーネが息を呑んだ。
そして、視界が滲むように変質し、私と彼女の“共有記憶”が現れた。
教室。
私の机の中身を、誰かがひっくり返している。
保健室のベッド。
誰も来ないまま、カーテンの向こうで静かに泣いている。
そして、校舎の屋上。
足をかけた柵の向こう。風が、冷たい。
下を見下ろせば、私をいじめた奴らの声が遠くに聞こえる。
「ねえ、三春ってさ、自殺とかしそうじゃない?」
「でもあの子ってさ、なんか“可哀想な私ごっこ”してるだけでしょ」
「あーわかる、“死にたいごっこ”だよね」
──そして、あの声。
「・・・結局、本当に死ぬやつなんていないよ。あれは、ごっこ」
冷たくて、無関心で、他人事の声。
その声の主が誰だったか、忘れるはずがない。
「や、やだ・・・」
リーネが、震えていた。
いや、何かを“見ている”ようだった。
「やだ・・・やめて・・・なに、これ・・・なに・・・?私・・・っ」
膝を抱えるようにして、頭を抱えてうずくまるリーネ。
あれは、演技じゃない。彼女は今、“何か”を思い出している。
その断片は、私と同じ記憶に属するものだ。
「思い出した?あんたが、どんな言葉で私を殺したか」
声が震えていた。
怒りとも、悲しみとも違う。ただ、壊れそうな心を、必死に支えているだけの声だった。
「・・・私の人生を、あんたは壊した。あいつらと一緒になって、私の人生を笑った・・・!」
その瞬間、私の魔力が暴れた。
黒と赤が混じるように、空間が炎で染まり、術式が耐えきれず崩壊し始める。
私は、それでも止めようとはしなかった。暴力じゃない。これが、私の“答え”だったから。
「アリア、やめなさい!」
誰かの声が遠くで叫んでいる。先生たちの結界が割れていく音がした。でも、もはや遅かった。
私の術式は、私自身を燃やそうとしていた。
「アリア、危ないっ!!」
そのとき、リーネが私の方へ手を伸ばしてきた。
拒絶の色は、もうなかった。代わりにあったのは、震えるような“悲しみ”。
「・・・ダメ。あなたが死ぬのは、ダメ・・・っ」
彼女の手から、冷気が走った。
氷の、防御魔法。対象を守るためだけに編まれた緊急術式。
私は、そのまま氷の中に包まれた。
視界が暗くなる直前、私はリーネの顔を見た。
泣いていた。混乱していた。
でも、それでも。
──私を助けようとしていた。
そのことだけが、どうしようもなく悔しかった。