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74.ユスラの影

 朝日が、まだ薄く街を照らし始めた頃。

私は机に向かい、母が渡してくれた古い書物を再び開いていた。


フィアの名が残された、ほとんど誰にも読まれてこなかった魔導書。その中の一節に、昨夜の夢と繋がる記述を見つけた。




「ユスラの神は、供物により“秩序”を保った。子を捧げ、村を守る。その教えは大陸南端の幾つかの里に今も残る」



 ページの余白には、震える手で書き足された走り書きがあった。


「※この記録は危険。学院に封じられた“禁の間”に、続きがある可能性。教員には話すな。」




 心臓がどくんと跳ねる。

──“禁の間”・・・。


私は、ゼスメリア魔法学院に存在するという、一般生徒には立ち入りが禁じられた古書保管区のことを思い出していた。


そこは、魔導災害や歴史的に封じられた事件に関する記録が眠る場所。普通に考えれば、生徒が近づけるような場所ではない。


 けれど私は、行かなければならない・・・と直感していた。




 そしてその日、登校した私は、今回の件に関して最も信頼できる人物の名を呼んだ。


「サラ」


授業の合間、廊下で声をかけられたサラは、少し驚いたようにこちらを見た。


「どうしたのですか?顔色がちょっと悪いですが」


「話したいことがあるの。時間を少しだけくれない?」





 学院の裏庭、誰も近づかない大きな銀樹の下。


そこで私は、昨日までに起きたこと──夢の中で見た神殿の光景、フィアの記憶、そして“ユスラ”という存在について、できる限り簡潔に話した。


 サラは最初こそ困惑していたが、次第に顔色が変わっていく。そして最後、私の話が終わる頃には、青白い唇を噛んでいた。


「・・・その神殿、私も夢で見たことがあります」


「えっ・・・?」


「詳しくは覚えてません。でも、すごく冷たい空気の中で、誰かが祈っていました。石の柱がたくさんあって、空が灰色で・・・そこに、子どもが」


 私の全身に戦慄が走った。

──夢が、繋がっている・・・?


「・・・サラ。お願い、一緒に来て。禁の間に、真実が残されている気がするの。フィアが、私たちに何かを託してる」


彼女は迷ったように目を伏せたが、やがて小さくうなずいた。


「・・・はい。行きましょう、アリアさん。怖いけど、私も・・・知りたいです」






 夜の帳が下りた学院の回廊を、私たちは静かに歩く。

照明魔法インフティーラ』を唱えて視界を確保しつつ、なるべく足音を立てないように進む。


そう言うと、なんだか泥棒のようにも思えるが、生徒が夜の学院に侵入することは、この学院では許されている。なので、仮に誰かに見つかっても問題はない。


 禁の間へ続く扉は、通常は二重の結界で封じられているのだが、母から託された古書の中に、“かつて在学中の彼女が解析した解除式”が残されていた。


「・・・ここ、ですよね」


「ええ。あとは・・・私が」


私は震える指で杖を掲げた。


「解錠術式・第二陣。識別解除──アリア・ベルナード、許可のもとに通行を求む」


 数秒の沈黙の後、石の壁が軋むような音を立てて動き、重々しい扉が開いていく。


冷たい風。埃の匂い。

何年、いや何十年も誰の足も踏み入れていなかったその空間は、ただ静かに、私たちを迎え入れた。




──ここに、フィアの真実がある。


 そう確信した私は、サラとともに一歩、暗闇の中へと足を踏み入れた。


そして──そこで見つけたのは、焼け焦げた書物の断片とともに、封印された一枚の絵画だった。


そこに描かれていたのは、血に濡れた少女の姿。

白い祭壇に縛られた、泣き叫ぶ少女。


その背後に──禍々しくも荘厳な姿をした、“神”の像。


「・・・これが、ユスラなのでしょうか・・・?」


 サラの声が震える。


その瞬間、封印の内側から何かが蠢いた。


風が唸る。結界の一部が軋む。

そして、低く響く、名も知らぬ声が囁いた。



「この場所を・・・再び開いてはならぬ・・・」



 空気が凍りつくような気配に、私は思わずサラの手を握った。


「・・・今の声、聞こえた?」


「・・・はい。でも、どこから?」


声は確かにこの空間に響いた。けれど、誰のものでもなかった。

男でも女でもなく、魂の奥底に直接訴えかけてくるような、そんな“存在”の声だった。


サラの肩が小さく震えている。けれど、彼女の瞳は逸らさなかった。私もまた、足を止めなかった。


「大丈夫。私は、逃げない。フィアが──私たちに何を遺そうとしたのか、確かめたい」


 私は、焼け焦げた書物の断片へと手を伸ばした。 ページは脆く、触れれば崩れそうだったが、魔力を指先に通し、そっと一枚ずつ捲っていく。


そこに、かすかに残されていた文章があった。



「供物は少女でなければならない。炎の器にふさわしく、心に“穢れ”を抱えし者──」



 私の背に、冷たい汗が流れた。


「・・・炎の器・・・?」


 フィアは、そう呼ばれていたのか。

そしてその「器」とは、ユスラの神に捧げるための、単なる“生贄”を意味していたのか。


「──アリアさん、これ・・・」


 サラが絵画の裏側に気づき、指を伸ばしていた。 そこには、小さな鉄の扉が隠されていた。結界はかかっていない。誰かが、意図して“開けられるように”していたかのように。


私たちは顔を見合わせ、小さくうなずく。

そして、そっと扉を開いた。



 中にあったのは、一本の巻物だった。


それはごく薄い羊皮紙で作られ、年代物でありながら魔力によって保存されていた。表紙には何やら文字が刻まれている。


それは授業でやった古代語で、フィアの名が記されていた。


 私が巻物を開くと──そこに書かれていたのは、フィア自身の筆跡による手記だった。



「私は知ってしまった。私たち“器”は、ただの炎ではない。ユスラの神は、“記憶”を喰らう。神は完全なる秩序を望む。歪みを嫌い、過去を壊す。だからこそ、私たちの痛みも、苦しみも、永遠に閉じ込めようとしている。けれど、私は忘れない。私が、私である限り──」




「・・・記憶を喰らう・・・?」


 私は思い出す。昨夜見た夢。あの、誰かの人生のような映像の連なり。 もしそれが、ただの夢ではなかったとしたら・・・?


「アリアさん・・・もしかして・・・」


サラが、巻物の奥を指差した。

そこには、さらに続く一文があった。



 「この手記を読む者へ──もしあなたが、私の“記憶”に触れたのなら。どうか、私を・・・ここから、解き放って。」



 その瞬間、巻物が淡く光り、私の胸元に熱が走った。


「・・・っ!」


光が、私の中に何かを流し込む。


 言葉にならない記憶。炎に包まれる神殿。泣き叫ぶ声。祈るように見上げるフィアの瞳。


──そして、私の名を呼ぶ声。


「・・・アリア」


それは、母やサラの声ではない。

確かに、フィアの声だった。


「・・・あたしのことを、覚えていて」


 初めて聞く、だけどどこか懐かしいような、遠い声。


視界がぐらりと歪む。


「・・・アリアさん!?」


サラの叫びが、遠くに聞こえる。

そして私は──その場に、崩れ落ちた。




 暗闇の中、もうひとつの記憶が私を待っていた。





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