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75.焔に還る子供たち

 囁きが、風のように薄れていく。 それは確かに声だった。けれど、誰のものかも、何を意味しているのかも、すぐにはわからなかった。


私は息を呑み、サラの手を強く握る。


「今の・・・聞こえた?」


「・・・はい。声が、確かに・・・」


 暗闇の奥で、微かに燐光が揺れた。それは絵画の前、焼け焦げた書物の残骸の間から立ち上るようにして現れた。

赤い──否、朱に近い炎。その輪郭が揺らぎ、少しずつ形を成していく。


──人影。


「・・・誰?」


 私は一歩前に出た。


炎はゆっくりと、少女の姿へと変わっていった。 揺れる髪は赤く、目もまた同じ色。けれど、私のように生きた色ではない。

炎そのものが形を取ったような、幻のような、静かな存在。


「・・・アリア」


その声は、どこか懐かしかった。 誰かを待ち続けたような、寂しげな声。


「あなたが来るのを・・・ずっと待ってた」


「あなたは・・・フィア?」


 少女は頷いた。 いや、正確には、その幻が“フィアの記憶”そのものなのだと、直感でわかった。


「ここは、“私の最後”が眠る場所」


「・・・最後?」


「供物として、神に捧げられた。私だけじゃない。たくさんの子どもたちが、あの祭壇で・・・神の秩序の名のもとに、“燃やされた”の」


その言葉と共に、幻の中で──血と火が交錯する風景が、私たちの前に浮かび上がった。


祈る大人たち。縛られた子ども。涙を流しながら、歌う巫女。 灰色の空。神の像に向けて差し出される、小さな命。


私は息を止めて、その光景を見つめていた。


「・・・そんな・・・」


 隣でサラが小さくうめくように声を漏らす。彼女の肩が震えていた。


「・・・私は、選ばれた。炎の力を持っていたから。“神の使い”として生まれたと、そう言われて育てられた。でも、実際には・・・“最も美しく燃える火”だったから。私は・・・ただの生贄だった」


 フィアの炎が、わずかに揺れる。


「でも、私の中に残ったものがあった。“問い”だった。“なぜ私たちは、神に捧げられねばならないの?”って。その問いが、この禁の間に残った。あなたの中の炎が、それを呼んだの」


私は自分の胸元に手を当てた。 ──これは、ただの魔力じゃない。

私の中の何かが、この記憶と共鳴している。


「・・・私は、知りたい。なぜこんなことが起きたのか。ユスラとは何なのか。そして、あなたが・・・ここで終わらなければならなかった理由を」


 フィアは微笑んだ。寂しげに、けれど確かに、微笑んだ。


「・・・私の想いが、あなたに届いたのなら・・・私の魂は、まだ燃えている。なら・・・この続きを、あなたに託したい」


その瞬間、炎の少女は、ゆっくりと手を伸ばしてきた。


「手を、取って。記憶の奥へ──“本当の始まり”を、あなたに見せる」




 私は、その手を取った。

次の瞬間、視界が反転する。


サラの声が遠ざかり、世界が白く塗り替えられていく。




──ここは、あの神殿の中。けれど、それは夢ではなく、確かな“過去”の記憶だった。



私はいま、フィアの目で、あの日を“見て”いた。



 視界が染まる。色彩がゆっくりと戻ってくる。

──あたたかい光。けれど、それは朝日ではなかった。


炎のように赤い空。焦げた匂いが、遠くから漂ってくる。


 ここは・・・神殿の中。

けれど今まで見てきた廃墟ではない。すべてが整い、祈りの香が満ち、白い衣を纏った人々がひざまずいている。


私は──フィアの視点で、その中に立っていた。


「フィア様。こちらへ」


 女司祭がやさしく言った。 

彼女は穏やかな笑みを浮かべていた。何の悪意も、疑念もない。まるで、これが祝福された儀式であるかのように。


 フィア──つまり私は、静かに頷き、歩を進めた。


神殿の奥には、神像と呼ばれる巨大な像があった。

頭部には炎の輪を戴き、片手には杯、もう一方には刃を持つ、奇妙な姿。

その足元にあるのは、丸く削られた祭壇。


血と灰が沁みつき、もう「石」には見えなかった。

そこへ、私は導かれる。


「さあ、神の娘よ。あなたの血をもって、秩序を新たに」


 男の声。どこかで聞いたような……否、声は重なっている。何人もの神官たちが、同じ言葉を唱えていた。


「これは・・・」


私は心の中で呻いた。

フィアの思考が、私の中に流れ込んでくる。


『怖い。・・・でも、これが“役目”だって教えられてきた。痛くないって言われた。私は・・・ 神様の子どもだから。燃えて、空に還るの。──本当に、そうなの・・・ ?』


 震える視線が、ちらりと横を見た。


そこには、同じような白い衣を着せられた子どもたちがいた。

誰も声を上げない。ただ目を伏せ、口をつぐんで、神に捧げられる順番を待っていた。


 大人たちは笑っていた。

子どもたちは、黙っていた。


『やだ・・・!いや・・・!』


そのときだった。


「フィア、逃げて・・・!」


 声がした。女の子の声。

群衆の中から走り出た、年下の少女。恐らく、彼女もまた“候補”だったのだろう。


叫び、走り出したその子は、すぐに捕らえられ、口を塞がれた。


「・・・神に背く者には、罰を」


 冷たい声が響く。

子どもの叫びは掻き消され、神像の前に引き出された──。


 ──ゴウッ!


空気が焼け、炎が走る。

私は思わず顔を覆った。

目の前で、少女が焼かれていく。


火が、彼女の声も、輪郭も、あらゆる存在を呑み込んでいく。


 耐えられなかった。涙があふれていた。

私の涙か、フィアの涙か、もはや区別などつかない。


『・・・私は・・・燃えたくない!こんな風に、終わりたくないp444!』


その想いが、私の中で火となる。

突如、視界が紅く染まった。


 フィアの心の奥──焼かれる寸前、最後の瞬間に抱いた「叫び」が、私の中に流れ込んでくる。


『──助けて・・・誰でもいい・・・“私”を、生かして・・・ !』




 バンッ!


 突如、何かが弾けるような衝撃とともに、記憶の世界が破断した。




 気がつくと私は、禁の間に倒れていた。

サラが駆け寄り、必死に呼びかけていた。


「アリアさんっ! ・・・大丈夫ですか・・・ っ!?」


私は、震える声で呟いた。


「フィアは・・・」


 視線を向けると、そこにあったはずの炎の少女の姿は、もうなかった。

けれど、私の手の中には──小さな焦げたペンダントが残されていた。


それは、記憶の中でフィアが首にかけていたもの。


「フィア・・・あなたの想いを受け取った。絶対に・・・絶対に、無駄にしない」




 そして私は、ゆっくりと立ち上がる。

この世界の深部にある“隠された神の意思”──それに触れてしまった今。


もう、戻る道はない。




──私は知りたい。すべてを。

神と、人と、そして「炎」に込められた、真実を。



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