──燃え盛る祈りの記憶の中、私は確かに見た。
白い祭壇、捧げられる子どもたち。無力な祈り。そして、すべてを照らす禍々しい“神”の炎。
けれどその中心にいたのは、ただ一人。まだ幼いフィア・ベルナード。
「やめて・・・こんなの・・・神なんかじゃない!」
その叫びは、誰にも届かない。
けれどその瞬間、何かが彼女の中で弾けた。
──灼熱の奔流。
祈りを嘲笑う神像が、音を立てて崩れ落ちる。神殿の柱が、溶けるように崩れ、火が、火が、火が・・・すべてを飲み込んでいった。
そこにいた誰もが、炎に呑まれて消えていった。
それでも──フィアだけは生きていた。
焦土の中に、ただ一人立ち尽くしながら。
彼女の瞳は、もう何も映していなかった。
──そして、私の意識が戻った。
禁の間の奥、封印の絵画の前で、私は大きく息をついた。心臓が苦しいほどに早鐘を打っている。
隣のサラも、手を握り締めていた。
「・・・アリアさん、見えましたか?」
「ええ・・・フィアの記憶。あれは、間違いなく、彼女の覚醒の瞬間・・・」
「炎の・・・魔女」
その言葉が、ふと脳裏に突き刺さる。
私は、炎の魔法を扱う。母もまた、そうだ。
セリエナ・ベルナード──それが母の名前だ。
でも、封印された記録にははっきりと記されていた。
『フィア・ベルナード──後に災厄の魔女と呼ばれた存在。その末裔は、現在も火の魔を宿す。』
私の中に流れる血は、あの少女の血だ。
“神”を焼き尽くした、絶対の火。その血統。
「でも、なぜフィアは・・・あそこから狂ってしまったの?」
私は呟いた。あのときの彼女の瞳は、どこまでも純粋だったはずだ。
サラは黙っていたが──代わりに、封印の裏にある書簡を見つけ、私に手渡してくれた。
それは、数百年前の筆致で書かれた記録だった。
『フィア・ベルナードの覚醒後──彼女は神の名のもとに人を焼いた。正義の名を借りて、村を焼き、国を崩し、王をも裁こうとした。
だが、やがてその炎は、ただの復讐となり、私利私欲へと変質する。
そして人々は、彼女をこう呼ぶようになった。
“災厄の魔女”と。』
私は震える指で書簡を閉じた。
フィアは、ただ抗おうとしただけだったはずだ。あの神の狂気に、理不尽に、声なき祈りに。
けれど、誰もその叫びを受け止めなかった。誰も、止めなかった。
その血を継ぐ私たちは──どうすればいいの?
気づけば、サラがそっと私の手を握っていた。あの儚げな目で、まっすぐに私を見る。
「アリアさん・・・あなたも、あなたのお母さんも、“災厄”にはなりません。私は・・・信じています」
その言葉に、胸が熱くなる。
私は炎を扱う。けれど、それはまだ私の意志だ。
ならば、私は。
──フィアのようにはならない。
私は、炎に呑まれるのではなく──炎を選ぶ。
暗闇の中、私はそっと呟いた。
「フィア。あなたが見た世界を、私が・・・変えてみせる」
家の扉を開けた瞬間、暖かな香りが迎えてくれた。香草の煮込み料理。母の得意料理だ。
けれど、今はその香りさえ、心に刺さった。
私は、靴を脱いで居間へ向かう。母・・・セリエナは背を向けて、静かに鍋をかき混ぜていた。
炎のゆらめきが、ほの赤い髪を金色に染めている。
「ただいま、母さん」
「おかえり、アリア」
母の声は、いつも通り穏やかだった。だけど、私の中のなにかはもう、静かではいられなかった。
「あの、母さん・・・」
「どうしたの?」
母は、いつもと変わらない、優しい笑顔で応えた。
「フィア・ベルナードって、どんな人だったの?」
すると、鍋をかき混ぜる母の手が止まった。
「私・・・知ってしまったの。フィア・ベルナードのこと」
ゆっくりと、母が私のほうへと振り返る。
「・・・見たのね。禁の間の記録を」
「うん。フィアは──神に抗った。炎を使って、自分の祈りを叶えようとして・・・でも最後には、災厄と呼ばれてしまった」
母は鍋の火を止めて、椅子に腰を下ろす。私は向かいに座った。
しばらく沈黙が続いた。やがて、母は目を伏せながら、静かに語り始めた。
「フィア・ベルナードの名は、この国では“禁忌”とされているわ。彼女の行動は、神への冒涜であり、民の敵だったと記録されている。けれど、それはただの表面。本当は、フィアは誰よりもこの世界に祈っていたの。誰よりも、この理不尽な運命に抗おうとしていた」
「・・・母さんは、知ってたのね。ずっと」
「ええ。私は、その血を継ぐ者だから。“炎の大魔女”と呼ばれる私自身もまた、一部の貴族や神殿の上層部には、あまり好かれていないの」
「どうして?母さんは・・・人を救ってきた。多くの人を、ずっと守ってきたのに」
母は、ゆっくりと微笑んだ。その笑みは、どこか寂しさを含んでいた。
「それでも、“フィアの末裔”という事実は消せない。私たちの炎が、ただの魔法ではなく、“神に逆らった系譜”から生まれたものだと知っている者は、今でも一定数いる。だから私は・・・もう長いこと、人前で本当の力を見せていないの」
そう言われてはっとした。
確かに、この世界に転生してからというもの、母が人前で派手な炎の魔法を使っているのを見たことがない。
母の魔法自体は、異界の門での戦いなんかで見たことはあるが、それも多くの人がいる前でだったとは言えない。
「そしてアリア、あなたも・・・同じ血を継いでいるのよ」
私は唇を噛んだ。目の前にいる母の優しさと、禁忌の血。そのふたつが、私の中に共存している。
炎はただ、燃えるだけだ。誰かを救うためにも、焼き尽くすためにも。
「・・・私は、フィアのようにはならない」
「そうね。あなたはあなたよ、アリア」
母がそっと私の頬に触れる。その手は、温かかった。
「だけど、忘れないで。あなたが“何者なのか”を知ったとき、世界はそれを祝福するとは限らない。真実を知ったからこそ、自分自身で選ばなければならないのよ。どう生きるかを」
私は、そっと母の手を握った。
「・・・私、選ぶよ。炎に飲まれるんじゃなくて、炎と生きる道を」
母の瞳が細められ、やがて微笑が浮かんだ。
「ええ。それでこそ、フィアの血を継ぐ私の娘だわ」
外では、夜の帳が静かに降りていく。
遠く、星が揺れていた。
その光の奥に──私は、遠い先祖の声を聞いた気がした。
フィア。あなたの炎は、私が継ぐ。けれど、私はあなたと違う未来を選ぶ。
あなたを否定するんじゃない。あなたの哀しみを、終わらせるために──私は、戦う。