あの夜、私はまた──夢を見ていた。
焦げつく空気と、焼け焦げた街並み。見慣れたはずの光景なのに、今夜のそれはどこか違っていた。炎の音が、やけに静かだった。
私は歩いた。焼けた瓦礫を踏みしめながら、誰かを探していた。
──そのとき、不意に聞こえた声があった。
「アリアさん・・・!」
振り返ると、そこにいたのはサラだった。
彼女の顔は驚きと困惑に満ちていた。けれどそれ以上に、怖いものを見てしまった子どものような、ひどく震えた瞳をしていた。
「サラ・・・どうして・・・ここに?」
「分かりません・・・でも、アリアさんの声が聞こえた気がしたんです。泣きそうで、苦しそうで・・・だから、来なきゃって」
サラの手が、小さく私の袖を掴む。
そのとき──世界が再び震えた。炎の奥から、誰かが歩いてきた。
ゆっくりと、白いドレスをまとい、長い赤髪を風に揺らして。私とよく似た瞳を持つ少女。
「・・・ようやく、来てくれたのね」
その声は、私の胸の奥に直接届いた。
そうだ。知ってる。この人は──
「フィア・ベルナード」
私の遠い祖先。けれど、それだけじゃない。
何度も夢で見てきた、炎の記憶の中心にいた“誰か”。
サラが震える。けれど彼女も、私から目をそらさなかった。
「あなたに、伝えなければいけないことがあるの」
フィアは、私たちを見つめながら、静かに語り始めた。
彼女は貧しい出身だった。そして、幼い時に邪悪な儀式の生贄にされかけ、ある思いが芽生えた。
それは、「この国を変えたい」。
それまで貧しく、何も持たなかった彼女が持った始めての願いであり、全てだった。
民を守り、正義を叫び、そのために立ち上がった。けれど──その炎は、あまりに強くかった。
王宮を焼き、貴族を裁き、街を灰に変え・・・誰かを守るはずだった炎は、いつしか“誰でも焼ける力”に変わっていた。
「私は止まらなかった。止まりたくなかった。だって、止まったら・・・誰も救えない気がしたから」
その声は、笑っていなかった。
「でもね、本当は・・・誰かに、止めてほしかったのよ」
そう言って、フィアは静かに微笑んだ。
私は何も言えなかった。けれど、サラが小さく口を開く。
「フィアさん・・・あなたは、間違ったかもしれません。でも・・・本当に誰かを守りたくて、戦ったんですよね」
フィアの瞳が揺れた。そして、炎の中でゆっくりと手を差し伸べてくる。
「あなたには、“その先”を見てほしい。私はこの力に呑まれたけど・・・あなたなら、“意味”を与えられる」
その手のひらに灯った、小さな炎。
それが私の胸にふれると──世界が、静かに燃え上がった。
優しい、あたたかな炎だった。
「もう・・・泣かないで、アリア」
最後にそう囁いた彼女の姿が、炎と共に消えていった。
目を覚ますと、私はまだ少し涙の跡が頬に残っていることに気づいた。
胸の奥がじんわりと熱い。フィアが残してくれた、あのやさしい炎のせいだろうか。
夢だったのに、あまりに現実的で・・・ けれど、どこか確かだった。サラの手の温もりも、フィアの言葉も、あの燃える街も。
私は布団の中からぼんやりと天井を見上げて──ふと思い出した。
・・・サラも、あの夢にいた。
それがただの偶然なのか、それとも本当に“同じ夢”を見ていたのかはわからない。
だけど私は、今日どうしても、彼女に会わなければならない気がした。
学院に着くと、サラはいつものように静かに教室の隅にいた。
私は誰の目も気にせずに、まっすぐ彼女の元へ歩いていった。
「サラ。・・・話せる?」
サラは一瞬だけ戸惑ったような目をしたが、すぐにこくりとうなずいた。
私たちは、学院の裏庭──あまり人が来ない、小さな花壇のある場所へ移動した。風が冷たいが、もう春の匂いが混じっている。
「ねえ、昨夜・・・夢を見なかった?」
私の問いに、サラは小さく目を見開いた。そして、ゆっくりと──けれど確かにうなずいた。
「・・・フィアさんの夢、ですよね」
私は息をのんだ。やっぱり・・・。
「やっぱり、同じ夢を見ていたんだね。私、サラがいてくれて、すごく・・・心強かった」
サラは困ったように微笑む。
「私の方こそ、アリアさんがいてくれて良かったんです。怖かったけど・・・あの夢を一人で見ていたら、私はきっと目をそらしていた」
風が、ふたりの髪をそっと撫でていく。
「ねえ、サラ・・・私は、たぶん・・・あの夢を“受け継がなきゃいけない”って、思ったの」
「・・・フィアさんの願いを?」
私はうなずいた。
「彼女の炎は、たしかに強すぎた。でも、それを誰かが・・・ちゃんと意味あるものにしなきゃいけないって思う。私は、そのために生まれてきたのかもしれない」
サラはしばらく沈黙していた。でも、最後にはしっかりと目を上げ、私を見た。
「私も・・・できることがあるなら、手伝わせてください。アリアさんは、ひとりじゃないです」
その言葉に、私は心の底から救われる思いがした。
──ありがとう、サラ。
フィアが遺した“炎の願い”は、今、私たちの中に生きている。
季節は巡り、長くて冷たい冬がようやく終わった。冷えきっていた空気はやわらぎ、街を歩けば春の香りが鼻をくすぐる。
芽吹きはじめた草木の匂い、土の匂い、人々の衣の軽さ──何もかもが新しく、生まれ変わったように感じられた。
そして、私たちは今日から四年生。
ゼスメリア魔法学院の校門をくぐる瞬間、思わず背筋が伸びる。
桜のような花びらが風に乗ってひらひらと舞い、空はまぶしいくらいに青い。
教室へ向かうと、そこには──
「やっ、アリア!」
軽やかに手を振ってきたのは、ライドだった。明るい金髪が朝日に照らされて、まるで雷光のようにきらめいている。
「進級おめでとう、だな!」
「うん、おめでとう・・・って、ライドはそんなにテンション高くて疲れないの?」
「春だからなー! 冬の間ずっと体に電気ためてたんだ。放電しないと体が爆発する!」
「・・・そんな体質じゃないでしょ」
後ろからひらりと現れたのは、いつも通りというべきか、シルフィンだ。赤い瞳が相変わらず鋭くて、でもどこか安心感がある。
「あなたが爆発する前に、私が吹き飛ばすわよ、雷男」
「ひどっ!」
「ふふっ・・・」
思わず笑ってしまう。なんだろう、このやりとりも懐かしくて、心地いい。
そこに、のそっと現れたのは──。
「・・・みんな元気そうだな。朝からうるさいくらいに」
青髪のマシュルが、あくび混じりにぼやく。
「マシュルも進級おめでとう」
「うん。アリアも。・・・でも、こうして四年生になれて、正直ホッとしてる」
「だな。進級試験、ちょっと難しかったしな」
いつも通りの四人。だけど、私の中には確かに、あの冬に見た夢と、燃えるような決意が残っている。
そしてそれが、静かに私を変えていくのを感じていた。
「ねえ、今年は・・・ちょっと特別な一年になるかもね」
私がふとそう言うと、シルフィンがこちらをじっと見てきた。
「あなたの“炎”がそう告げてるの?」
「ううん、そうじゃなくて・・・なんとなく。でも、いい意味で。そんな気がするの」
ライドがニカッと笑ってうなずいた。
「だったら、僕はワクワクしてきたよ!どんな事件でもドーンと来いってね!」
「やめろそういうの・・・ほんとに来たら面倒だろ」
マシュルの冷静な突っ込みに、また笑いがこぼれる。
こうして始まった、四年生の春。
桜色の風に包まれて、私たちはまた新しい一歩を踏み出す。