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79.夢と冬の終わり

 あの夜、私はまた──夢を見ていた。

焦げつく空気と、焼け焦げた街並み。見慣れたはずの光景なのに、今夜のそれはどこか違っていた。炎の音が、やけに静かだった。


私は歩いた。焼けた瓦礫を踏みしめながら、誰かを探していた。

──そのとき、不意に聞こえた声があった。


「アリアさん・・・!」


 振り返ると、そこにいたのはサラだった。

彼女の顔は驚きと困惑に満ちていた。けれどそれ以上に、怖いものを見てしまった子どものような、ひどく震えた瞳をしていた。


「サラ・・・どうして・・・ここに?」


「分かりません・・・でも、アリアさんの声が聞こえた気がしたんです。泣きそうで、苦しそうで・・・だから、来なきゃって」


 サラの手が、小さく私の袖を掴む。

そのとき──世界が再び震えた。炎の奥から、誰かが歩いてきた。


ゆっくりと、白いドレスをまとい、長い赤髪を風に揺らして。私とよく似た瞳を持つ少女。


「・・・ようやく、来てくれたのね」


その声は、私の胸の奥に直接届いた。


そうだ。知ってる。この人は──

「フィア・ベルナード」


私の遠い祖先。けれど、それだけじゃない。

何度も夢で見てきた、炎の記憶の中心にいた“誰か”。


 サラが震える。けれど彼女も、私から目をそらさなかった。


「あなたに、伝えなければいけないことがあるの」


フィアは、私たちを見つめながら、静かに語り始めた。





 彼女は貧しい出身だった。そして、幼い時に邪悪な儀式の生贄にされかけ、ある思いが芽生えた。

それは、「この国を変えたい」。

それまで貧しく、何も持たなかった彼女が持った始めての願いであり、全てだった。


 民を守り、正義を叫び、そのために立ち上がった。けれど──その炎は、あまりに強くかった。


王宮を焼き、貴族を裁き、街を灰に変え・・・誰かを守るはずだった炎は、いつしか“誰でも焼ける力”に変わっていた。


「私は止まらなかった。止まりたくなかった。だって、止まったら・・・誰も救えない気がしたから」


 その声は、笑っていなかった。


「でもね、本当は・・・誰かに、止めてほしかったのよ」


そう言って、フィアは静かに微笑んだ。


私は何も言えなかった。けれど、サラが小さく口を開く。


「フィアさん・・・あなたは、間違ったかもしれません。でも・・・本当に誰かを守りたくて、戦ったんですよね」


 フィアの瞳が揺れた。そして、炎の中でゆっくりと手を差し伸べてくる。


「あなたには、“その先”を見てほしい。私はこの力に呑まれたけど・・・あなたなら、“意味”を与えられる」


 その手のひらに灯った、小さな炎。

それが私の胸にふれると──世界が、静かに燃え上がった。


優しい、あたたかな炎だった。


「もう・・・泣かないで、アリア」


最後にそう囁いた彼女の姿が、炎と共に消えていった。






 目を覚ますと、私はまだ少し涙の跡が頬に残っていることに気づいた。

胸の奥がじんわりと熱い。フィアが残してくれた、あのやさしい炎のせいだろうか。


夢だったのに、あまりに現実的で・・・ けれど、どこか確かだった。サラの手の温もりも、フィアの言葉も、あの燃える街も。


 私は布団の中からぼんやりと天井を見上げて──ふと思い出した。

・・・サラも、あの夢にいた。


それがただの偶然なのか、それとも本当に“同じ夢”を見ていたのかはわからない。

だけど私は、今日どうしても、彼女に会わなければならない気がした。





 学院に着くと、サラはいつものように静かに教室の隅にいた。

私は誰の目も気にせずに、まっすぐ彼女の元へ歩いていった。


「サラ。・・・話せる?」


サラは一瞬だけ戸惑ったような目をしたが、すぐにこくりとうなずいた。


 私たちは、学院の裏庭──あまり人が来ない、小さな花壇のある場所へ移動した。風が冷たいが、もう春の匂いが混じっている。


「ねえ、昨夜・・・夢を見なかった?」


私の問いに、サラは小さく目を見開いた。そして、ゆっくりと──けれど確かにうなずいた。


「・・・フィアさんの夢、ですよね」


 私は息をのんだ。やっぱり・・・。


「やっぱり、同じ夢を見ていたんだね。私、サラがいてくれて、すごく・・・心強かった」


サラは困ったように微笑む。


「私の方こそ、アリアさんがいてくれて良かったんです。怖かったけど・・・あの夢を一人で見ていたら、私はきっと目をそらしていた」


 風が、ふたりの髪をそっと撫でていく。


「ねえ、サラ・・・私は、たぶん・・・あの夢を“受け継がなきゃいけない”って、思ったの」


「・・・フィアさんの願いを?」


私はうなずいた。


「彼女の炎は、たしかに強すぎた。でも、それを誰かが・・・ちゃんと意味あるものにしなきゃいけないって思う。私は、そのために生まれてきたのかもしれない」


 サラはしばらく沈黙していた。でも、最後にはしっかりと目を上げ、私を見た。


「私も・・・できることがあるなら、手伝わせてください。アリアさんは、ひとりじゃないです」


その言葉に、私は心の底から救われる思いがした。

──ありがとう、サラ。


 フィアが遺した“炎の願い”は、今、私たちの中に生きている。





 季節は巡り、長くて冷たい冬がようやく終わった。冷えきっていた空気はやわらぎ、街を歩けば春の香りが鼻をくすぐる。


芽吹きはじめた草木の匂い、土の匂い、人々の衣の軽さ──何もかもが新しく、生まれ変わったように感じられた。


 そして、私たちは今日から四年生。

ゼスメリア魔法学院の校門をくぐる瞬間、思わず背筋が伸びる。

桜のような花びらが風に乗ってひらひらと舞い、空はまぶしいくらいに青い。


教室へ向かうと、そこには──


「やっ、アリア!」


軽やかに手を振ってきたのは、ライドだった。明るい金髪が朝日に照らされて、まるで雷光のようにきらめいている。


「進級おめでとう、だな!」


「うん、おめでとう・・・って、ライドはそんなにテンション高くて疲れないの?」


「春だからなー! 冬の間ずっと体に電気ためてたんだ。放電しないと体が爆発する!」


「・・・そんな体質じゃないでしょ」


 後ろからひらりと現れたのは、いつも通りというべきか、シルフィンだ。赤い瞳が相変わらず鋭くて、でもどこか安心感がある。


「あなたが爆発する前に、私が吹き飛ばすわよ、雷男」


「ひどっ!」


「ふふっ・・・」


思わず笑ってしまう。なんだろう、このやりとりも懐かしくて、心地いい。


そこに、のそっと現れたのは──。


「・・・みんな元気そうだな。朝からうるさいくらいに」


青髪のマシュルが、あくび混じりにぼやく。


「マシュルも進級おめでとう」


「うん。アリアも。・・・でも、こうして四年生になれて、正直ホッとしてる」


「だな。進級試験、ちょっと難しかったしな」


 いつも通りの四人。だけど、私の中には確かに、あの冬に見た夢と、燃えるような決意が残っている。


そしてそれが、静かに私を変えていくのを感じていた。


「ねえ、今年は・・・ちょっと特別な一年になるかもね」


私がふとそう言うと、シルフィンがこちらをじっと見てきた。


「あなたの“炎”がそう告げてるの?」


「ううん、そうじゃなくて・・・なんとなく。でも、いい意味で。そんな気がするの」


 ライドがニカッと笑ってうなずいた。


「だったら、僕はワクワクしてきたよ!どんな事件でもドーンと来いってね!」


「やめろそういうの・・・ほんとに来たら面倒だろ」


 マシュルの冷静な突っ込みに、また笑いがこぼれる。


 こうして始まった、四年生の春。

桜色の風に包まれて、私たちはまた新しい一歩を踏み出す。



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