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84.ただ一人の名を掲げて

 放課後、私は彼女に呼び出された。

理由は特に言われなかったけど、何となくわかっていた。


部屋に私を呼びつけたのは、冷たい声だった。だが威圧感はなく、まるで凍てついた湖面のような静けさをたたえていた。


銀髪の魔女、ヴァルナは私をじっと見つめ、その魔力の流れや構造を確かめていく。


 彼女の視線には、噓も妥協も通じない。

目が合うだけで、心の奥まで見透かされるような──そんな気配があった。


「・・・アリア・ベルナードさん」


 名を呼ばれると、心なしか部屋の空気がひんやりと張り詰めた。

ヴァルナが、まっすぐ私を見ている。


「──構えなさい。何でもいいわ。あなたの“もっとも得意な炎”を、私に見せなさい」


私は深く息を吸い、指先に魔力を集中させる。

赤い炎が、私の周囲に灯る──揺らぎではなく、鋭く、燃え盛る槍のような炎。


辺りの空気が熱を帯びていき、それは現れる。


焔の槍ブレイラムス!」


 以前より愛用している、焔の槍を打ち出す魔法。

私は軽やかに一歩踏み込み、焔の槍で虚空を斬り裂いた。


私の手から放たれたそれは、赤い閃光を伴い、真っ直ぐに空を裂いた。空気が焼け、焦げる匂いが鼻をつく。


 周囲の空気が弾け、熱の渦が立ち昇った。しかし、ほんの一瞬でそれは止まった。

氷のような冷気が、その炎を凍らせるように制したのだ。


──いや、凍らせたのではない。

ただ“見られただけ”なのに、私の魔力は震え、静かに揺らいだ。


「・・・その魔力の質。そして、炎の律動」


ヴァルナはゆっくりと歩み寄ると、目を細めた。


「間違いなく・・・セリエナのものだわ。──あなたが、セリエナの娘ね」


「・・・はい。知ってるんですか?」


「いいえ、今知ったのよ。“厳冬”はすべてを凍らせる。でも、本当の火は凍らない。そして、セリエナの炎も・・・」


ヴァルナは小さく笑った。けれど、それは寂しさを帯びた微笑だった。


「セリエナ・・・彼女は、炎の力をしっかりと残せたみたいね。あなたの瞳が、それを証明してる。セリエナの炎は、まだ世界に燃えている」


「あなたは・・・やはり、かつて母と共に戦った大魔女なのですか?」


 私の問いに、ヴァルナは頷いた。


「私は、彼女の仲間の一人だった。かつて、世界を焼く戦火の中で、私たちは七人だった。そこに、“炎”の魔女であるセリエナが加わって、私たちは世界を救うために戦った者たち・・・“八大魔女”と呼ばれた」


初めて聞く言葉に、私は固唾をのんだ。


「でも彼女は・・・一人だけ、壊れかけていた」


 そう呟いたヴァルナの瞳には、過去の幻がよぎっていた。


「セリエナは、優しすぎたのよ。誰よりも、人の痛みに敏感だった。だからこそ、誰よりも“世界を焼き尽くした”」


「え・・・」


「あなたは、あの人とは違うかもしれない。でも、あなたの中には彼女の火がある。それは、いずれ世界を動かすでしょう。──そのとき、あなたはどう生きるの?」


 その問いに、私はすぐには答えられなかった。

けれど、胸の奥で何かが強く、灯っていた。


(母さん・・・)


 ──私は、セリエナの娘なんだ。

そのことを、今日、初めて誰かに「見抜かれた」。それは、怖さじゃなかった。


ただ、熱かった。認められたような、でも試されているような・・・そんな感覚。


「・・・また来週、指導に来るわ。あなたには、教えるべきことが山ほどある」


 ヴァルナはそれだけを言い残し、部屋を去るように言ってきた。

その背からは、凛とした風が吹いていた。


氷の大魔女──“厳冬の魔女”が、最後にこう言ったのを私は聞いた。


「・・・セリエナの娘、か。厄介な宿命を背負って、生まれてきたものね」


 私は、その言葉を胸に刻んだ。


でも、恐れはしなかった。

母の炎は、今も私の中で燃えている。

“アリア・ベルナード”として、私はこの世界を生きていく。




 ヴァルナが去った後も、私はしばらくその場に立ち尽くしていた。


 残響のように、彼女の言葉が胸の奥に残っていた。

「あなたの中には彼女の火がある」──そして、「厄介な運命」。


自分の内側が、静かにぐらりと揺れていた。


 ──その時だった。


「ねえ、アリア」

聞き慣れた、優しい声が背後からかかった。


 振り向くと、そこには赤髪のショートを揺らしながら、組んだ腕をほどいて歩いてくるシルフィンの姿があった。

いつの間にか、あの場面を見ていたらしい。


「・・・あなたの炎、あれ、本気じゃなかったよね?」


それは問いというより、確信だった。


 私は驚いて目を見開いた。

彼女はわかっていたのだ。私がヴァルナに見せた炎が、「理性の下で抑えたもの」だったことを。


「・・・少し、怖かっただけ。どこまで出せるか、自分でもよくわからなくて」


「だろうね。でも、その“加減できること”がどれだけすごいか、わかってる?」


 シルフィンは近づいてきて、私の前で立ち止まり、真っ直ぐに目を見る。


「私の家は代々、炎魔法の使い手の一族なの。祖母も、母も、子供の頃から炎一筋だった。そして・・・」


そこで、彼女の声が少しだけ熱を帯びる。


「うちだけじゃないんだけど、炎魔法の使い手にとって、“灼炎の女皇”・・・セリエナ様は特別な存在なの。炎の使い手の誇りであり、私たちでは到底到達できない域に達した偉大な存在・・・というか、“象徴”に近いかな」


私は思わず息を飲んだ。


「だからね・・・今も覚えてるんだけど、入学の時にあなたの名前を最初に聞いた時、すごく驚いた。セリエナ様の子供が、私の同級生?信じられない・・・って。でも、その後のあなたを見ていて、納得したの」


 彼女は、口元にわずかな笑みを浮かべた。


「究極的には、“炎”の魔法はただ燃やすだけの力じゃないって聞いたことがある。魔法使いの内側から生まれるもので、迷いや怒り、誇りや哀しみといったものを抱えて、それでも進む者だけが、本当の“炎”を扱えるんだって」


「・・・」


「私は見たことないんだけど、母さんが言ってた・・・セリエナ様は、そういう魔女だって。あなたにも・・・それがあるよ。少なくとも、今日まで私が見てきた限りは」


 その言葉は、思いがけず私の胸に響いた。

母を「象徴」として信じる者に、そう言われたことが──嬉しかった。


「・・・ありがとう、シルフィン。でも、私は母さんみたいにはなれないと思う」


「そんなことないよ。アリアの魔法は、他の誰よりもすごい・・・私よりずっと」


これまでにも、ちょくちょく言われてきた言葉だった。


「この前アリアの写真を母さんに見せたら、セリエナ様に似てるって言ってたよ・・・見た目も、魔力も」


「・・・まあ、母娘だからね」


「うーん、そういうことじゃないのよね」


シルフィンは、何やら残念そうな顔をした。

そしてすぐに、「あなたは“アリア・ベルナード”。偉大な炎の大魔女の血を引く、この世で唯一の存在なのよ!」と言って、私の肩を軽く叩いた。


「ただ・・・もしも、だよ。もしあなたが、その炎をどう使うべきか迷う時が来たら・・・私に見せて。中途半端な魔女に見せるぐらいなら、“炎を知る者”に見せた方がいい」


「・・・え?」


「私は戦いたい。強い炎と。熱くて、真っ直ぐで・・・ちょっとヤバそうなぐらいのとね」


 彼女の赤い目が、冗談めかして、でも真剣に輝いていた。

その瞳を見て、私は思わず笑ってしまった。


「・・・そのときは、よろしく。ちょっとどころじゃなくヤバいかもしれないけど」


「それでもいいよ。だって・・・私たちは、友達だもの」


シルフィンはひとつ頷くと、背を向けて歩き出した。

その背中には、確かな覚悟と、“同じ炎を知る者”としての誇りが宿っていた。



 私は、静かに拳を握りしめた。


私の炎は、まだ未完成だ。

それでも、誰かの中に“何か”を伝えることができた。

ならば、きっと・・・


この炎で、私は私の道を進んでいける。



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