朝、私は訓練場に来ていた。
静かな空気の中、誰かが息をひそめて私を待っている・・・ そんな気配がした。
私が床に踏み込んだ瞬間、まっすぐな声が響いた。
「おはよう、アリア。待ってたよ」
・・・やっぱり、いた。
赤い短髪を朝日が照らしている。きりっとした目元、無駄のない立ち姿。見間違えるはずがない。
シルフィンこと、シルフィン・マグナスターだ。
成績自体は並みだが、実はこの世界でも一目置かれる炎魔法の名門の子。何より、セリエナ・・・私の母を「女皇」とまで称える家系。
私は思わず、ため息混じりに声をかけた。
「・・また朝から訓練?あなた、ほんと真面目よね」
苦笑を含ませたつもりだったけど、シルフィンはまるで気にしない様子で首を軽く振った。
「今日はね・・・私、あなたと戦いたいの。“あなたの炎”と、正面から」
その目はまっすぐで、揺らぎも迷いもなかった。
(・・・まさか、また母を引き合いに出してくるタイプ?セリエナの娘はどれほどのもんか、って)
心の中でうんざりしたけど、シルフィンの視線を見返して私は気づく。
その目には、憧れでも侮りでもなかった。
ただ、まっすぐな対等の「敬意」が宿っていた。
私は小さく鼻を鳴らす。
「・・・いいわよ。あなたがその気なら、付き合ってあげる」
マントを脱いで、軽く肩を回す。心の中で、魔力の流れが火のように灯るのを感じた。
「でも・・・手加減はしないから」
「いいよ。というか、それでこそよ」
訓練場の空気が、ピンと張り詰める。
いつの間にか、他の生徒たちが私たちの様子を遠巻きに見ている。
ああ、またか──そんな声が聞こえてきそうだった。
「見て見て、シルフィンとアリアが・・・!」
「名門と大魔女の娘のぶつかり合いってこと?ヤバそうだな・・・」
──うるさいわ。
どうせ、「母の力」目当てで見てるんでしょ。
そう言いたくなった。
けど、シルフィンだけは違った。
私の目の前で、彼女は静かに詠唱を始める。
「『
この魔法は見たことがある。魔力を凝縮し、槍状の高密度火炎を前方に形成する中級の攻撃魔法で、シルフィンの得意魔法だ。
私の
熱が一気に上がる。空気が揺れて、視界の端が歪む。
訓練場には安全対策の結界が張られているが、その結界の内側だけが、真夏の陽炎みたいだった。
私は軽く舌打ちした。
(いきなり全力・・・!やるじゃない)
でも、負けてられない。
私も詠唱に入る。
「
螺旋を描く爆裂炎を放出し、相手の動きを止めながら圧迫する連続炎撃。
消費魔力は800。ちょっと重いが、それに見合った威力がある中級魔法だ。
炎が、咲いた。
まるで花のように、紅蓮の輪がいくつもいくつも──咲き乱れていく。
「・・・アリア」
シルフィンが私の名を呼ぶ。
「・・・なに?」
「あなたはセリエナ様の子で、私はマグナスター家の娘だけど・・・そのことは、今は忘れて。あなた自身と、炎で語り合いたいの」
その言葉が、私の中の何かを少しだけほぐした。
「・・・あなたって変よね、ほんと」
私は小さく笑う。
「でも──悪くない。ちゃんと応えてあげる。燃え尽きる覚悟があるなら、ね」
ちょっとだけ、大きな口を叩いてみた。
『灼炎の女皇』の娘として、カッコつけてみた。
でも、誰も何も言わなかった。
そして、私たちの炎はぶつかった。
魔力が衝突し、訓練場の中央に赤い閃光が炸裂する。
これは、ただの訓練じゃない。
言葉じゃない、“私”を賭けた対話──炎による、誓いの一撃だった。
空間が軋む。
シルフィンの
私は身を翻しながら、自分の
紅い輪がいくつも、弧を描いて迫る槍にぶつかり──
──ズガァァン!
衝突した魔力が炸裂して、訓練場の床がびり、と鳴った。防御結界がなかったら、間違いなくここ一帯が焼けていたと思う。
「・・・やっぱり、強い」
シルフィンが息をつきながら言った。
その顔には、焦りも、驚きもなかった。
ただ──嬉しそうだった。
「これが・・・“あなたの炎”なんだね」
私は答えず、次の詠唱に入る。
「『
二対の炎の刃が、私の両手に生まれる。
これは中距離まで対応できる炎の斬撃魔法。元は三年生の時に教科書に載っていた魔法だけど、私は私なりにアレンジして使っている。
対するシルフィンも、構えを変えた。
「『
三連の小槍が、彼女の背後に浮かび上がる。
牽制と奇襲を兼ねた、応用型の多段魔法だが・・・彼女がここまで使いこなしていたとは。
「いくよ・・・!」
私は駆けた。魔力で強化した脚で、床を蹴る。
炎の刃を交差させて、突き出す。
シルフィンは小さく回避しながら、浮かべた火槍を撃ち放つ。
私の左腕が焼けるように熱を持った。咄嗟に盾魔法を起動していなかったら、裂けていたかもしれない。
それでも──止まれなかった。
(私はアリア。アリア・ベルナードだ)
叫ぶように、もう一撃を叩き込む。
その時だった。
──カラン!
遠くから、鐘の音が響いた。
それは、朝の自主訓練の終了を告げる音。
どちらともなく動きを止めた。
額から汗が流れているのがわかった。けれど、火照っていたのはそれだけじゃなかった。
私は息をつきながら、相手を見る。
「・・・はぁ。ほんとに、あなたって全力なのね」
シルフィンも肩で息をしながら、笑った。
「それは、お互い様。・・・すごく楽しかった。ありがとう、アリア」
まっすぐな声だった。
──こんな風に誰かと清々しく戦ったの、いつぶりだっただろう。
剥き出しの好意でも、押しつけがましい期待でもなく。ただ、自分の炎を「知りたい」と願ってくれる、誰かと。
少しだけ、胸が熱くなった。
私は顔をそらして、ぼそっと言った。
「・・・また付き合ってあげても、いいけど」
「ほんと?やった」
その笑顔が、思ったよりも眩しくて──私はつい、顔を背けたままだった。