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85.焔と焔

 朝、私は訓練場に来ていた。

静かな空気の中、誰かが息をひそめて私を待っている・・・ そんな気配がした。


私が床に踏み込んだ瞬間、まっすぐな声が響いた。


「おはよう、アリア。待ってたよ」


・・・やっぱり、いた。


 赤い短髪を朝日が照らしている。きりっとした目元、無駄のない立ち姿。見間違えるはずがない。

シルフィンこと、シルフィン・マグナスターだ。


成績自体は並みだが、実はこの世界でも一目置かれる炎魔法の名門の子。何より、セリエナ・・・私の母を「女皇」とまで称える家系。


 私は思わず、ため息混じりに声をかけた。


「・・また朝から訓練?あなた、ほんと真面目よね」


苦笑を含ませたつもりだったけど、シルフィンはまるで気にしない様子で首を軽く振った。


「今日はね・・・私、あなたと戦いたいの。“あなたの炎”と、正面から」


その目はまっすぐで、揺らぎも迷いもなかった。



(・・・まさか、また母を引き合いに出してくるタイプ?セリエナの娘はどれほどのもんか、って)


 心の中でうんざりしたけど、シルフィンの視線を見返して私は気づく。


その目には、憧れでも侮りでもなかった。

ただ、まっすぐな対等の「敬意」が宿っていた。


 私は小さく鼻を鳴らす。


「・・・いいわよ。あなたがその気なら、付き合ってあげる」


マントを脱いで、軽く肩を回す。心の中で、魔力の流れが火のように灯るのを感じた。


「でも・・・手加減はしないから」


「いいよ。というか、それでこそよ」





 訓練場の空気が、ピンと張り詰める。

いつの間にか、他の生徒たちが私たちの様子を遠巻きに見ている。


ああ、またか──そんな声が聞こえてきそうだった。


「見て見て、シルフィンとアリアが・・・!」


「名門と大魔女の娘のぶつかり合いってこと?ヤバそうだな・・・」


 ──うるさいわ。

どうせ、「母の力」目当てで見てるんでしょ。

そう言いたくなった。


けど、シルフィンだけは違った。

私の目の前で、彼女は静かに詠唱を始める。


 「『紅の鉄槍グレイブ・ルージュ』」


 この魔法は見たことがある。魔力を凝縮し、槍状の高密度火炎を前方に形成する中級の攻撃魔法で、シルフィンの得意魔法だ。


私の焔の槍ブレイラムスと似ているが、消費する魔力が300と少ない、作り出す槍が一本である、より貫通力と速度に特化している、といった違いがある。


 熱が一気に上がる。空気が揺れて、視界の端が歪む。

訓練場には安全対策の結界が張られているが、その結界の内側だけが、真夏の陽炎みたいだった。




 私は軽く舌打ちした。


(いきなり全力・・・!やるじゃない)


でも、負けてられない。

私も詠唱に入る。


 「輪の焔フレア・ヴァルス!」


 螺旋を描く爆裂炎を放出し、相手の動きを止めながら圧迫する連続炎撃。

消費魔力は800。ちょっと重いが、それに見合った威力がある中級魔法だ。


炎が、咲いた。

まるで花のように、紅蓮の輪がいくつもいくつも──咲き乱れていく。


「・・・アリア」


 シルフィンが私の名を呼ぶ。


「・・・なに?」


「あなたはセリエナ様の子で、私はマグナスター家の娘だけど・・・そのことは、今は忘れて。あなた自身と、炎で語り合いたいの」


 その言葉が、私の中の何かを少しだけほぐした。


「・・・あなたって変よね、ほんと」


私は小さく笑う。


「でも──悪くない。ちゃんと応えてあげる。燃え尽きる覚悟があるなら、ね」


 ちょっとだけ、大きな口を叩いてみた。

『灼炎の女皇』の娘として、カッコつけてみた。

でも、誰も何も言わなかった。


 そして、私たちの炎はぶつかった。

魔力が衝突し、訓練場の中央に赤い閃光が炸裂する。


これは、ただの訓練じゃない。

言葉じゃない、“私”を賭けた対話──炎による、誓いの一撃だった。




 空間が軋む。

シルフィンの紅の鉄槍グレイブ・ルージュが、一直線に私へと放たれた。熱と圧力が混ざったそれは、まるで炎でできた流星。


私は身を翻しながら、自分の輪の焔フレア・ヴァルスを前へと押し出す。

紅い輪がいくつも、弧を描いて迫る槍にぶつかり──


 ──ズガァァン!


 衝突した魔力が炸裂して、訓練場の床がびり、と鳴った。防御結界がなかったら、間違いなくここ一帯が焼けていたと思う。


「・・・やっぱり、強い」


シルフィンが息をつきながら言った。


その顔には、焦りも、驚きもなかった。

ただ──嬉しそうだった。


「これが・・・“あなたの炎”なんだね」


 私は答えず、次の詠唱に入る。


「『双刃炎舞ツイン・ファランクス』」


二対の炎の刃が、私の両手に生まれる。

これは中距離まで対応できる炎の斬撃魔法。元は三年生の時に教科書に載っていた魔法だけど、私は私なりにアレンジして使っている。


 対するシルフィンも、構えを変えた。


「『火翔乱槍サーベラス・ダート』」


 三連の小槍が、彼女の背後に浮かび上がる。

牽制と奇襲を兼ねた、応用型の多段魔法だが・・・彼女がここまで使いこなしていたとは。


「いくよ・・・!」


私は駆けた。魔力で強化した脚で、床を蹴る。

炎の刃を交差させて、突き出す。


 シルフィンは小さく回避しながら、浮かべた火槍を撃ち放つ。


私の左腕が焼けるように熱を持った。咄嗟に盾魔法を起動していなかったら、裂けていたかもしれない。


それでも──止まれなかった。


(私はアリア。アリア・ベルナードだ)


 叫ぶように、もう一撃を叩き込む。



その時だった。


──カラン!


 遠くから、鐘の音が響いた。

それは、朝の自主訓練の終了を告げる音。


どちらともなく動きを止めた。

額から汗が流れているのがわかった。けれど、火照っていたのはそれだけじゃなかった。


 私は息をつきながら、相手を見る。


「・・・はぁ。ほんとに、あなたって全力なのね」


シルフィンも肩で息をしながら、笑った。


「それは、お互い様。・・・すごく楽しかった。ありがとう、アリア」


 まっすぐな声だった。


 ──こんな風に誰かと清々しく戦ったの、いつぶりだっただろう。

剥き出しの好意でも、押しつけがましい期待でもなく。ただ、自分の炎を「知りたい」と願ってくれる、誰かと。


少しだけ、胸が熱くなった。


 私は顔をそらして、ぼそっと言った。


「・・・また付き合ってあげても、いいけど」


「ほんと?やった」


その笑顔が、思ったよりも眩しくて──私はつい、顔を背けたままだった。



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