目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

88.揺らぐ地、封じられた記憶

 夜の静けさの中、私はまどろみの中に沈んでいた。


──夢。


足元がぐらりと揺れる。

石畳に亀裂が走り、大地が呻くような音を立てる。

赤黒く染まった空が、裂けるように燃えていた。


 その中心に、彼女がいた。

橙色の髪が風に舞い、瞳もまたオレンジ色に冷たく光っていた。

地面が彼女の足元から盛り上がり、ひび割れが走る。


大地が、まるで彼女に呼応するかのように呻いている──否、“服従”している。


「アリア・・・」


 遠くから、誰かの声が聞こえた。サラ?

振り返ろうとしたその瞬間、地面が崩れ、私は真っ逆さまに落ちていく。




──ガバッ。


「・・・っ!」


 息を呑んで目を覚ました。

冷や汗が額を流れ、胸が苦しい。

窓の外はまだ夜の闇に包まれていた。母の寝室の向こうも静まり返っている。


(また、夢・・・)


だが、今回は違う。いつもの“紅”の夢ではなく、もっと鈍く重い“地の呻き”。

そしてそこに立っていたのは──ノエル・ルシリス。


彼女の橙の瞳が、夢の中で私を真っすぐ見ていた。







 同じ夜、サラもまた浅い夢の中で目を覚ました。


「あの人・・・」


 彼女の夢にも、ノエルが現れていた。


土が盛り上がり、黒い棘のようなものが地面から生えてくる。

ノエルはその中心に立ち、サラをただじっと見つめていた。言葉も、動きもなく。


だが、その無表情の奥に、確かに“意思”のようなものを感じた。


「見てた。はっきりと、こっちを・・・」


 胸に手を当て、サラは震える息を吐く。


(これは夢じゃない。あれは──視られてた)


ノエルは、なにかを知っている。

そしてきっと、アリアのことも。







 翌朝。教室の窓辺、光の差す静かな時間。


「・・・見た?」


私が小声でサラに問いかけると、彼女は静かにうなずいた。


「はい・・・ノエルさんが、地面の上に立っていて・・・私のことをずっと見てました」


「私も。崩れた地面に引きずり込まれるような感覚。普通の夢じゃなかったと思う」


 そのとき、シルフィンがやってきて、机に肘をつきながら言った。


「私は夢は見てないな。・・・けど、朝、ノエルとすれ違ったときに変な感じがしたの」


私とサラが、同時にシルフィンを見る。


「変な感じ・・・?」


「うん、“空気”っていうのかな。姿勢も話し方も丁寧なのに、ぜんぜん周りと噛み合ってない。見えない壁があるっていうか・・・この世界の“地”じゃない何かが混ざってるような気がした」


 私は無意識にノエルの席を見やった。

彼女は静かに座り、本を読んでいる。

今日は栗色に近い茶のリボンを髪に結んでいた。


誰とも話さず、背筋を正したその姿は、まるで手本のように整っている──けれど。


(違う)


もう、私は彼女を「ただの転入生」として見ることはできない。


 夢が告げている。

サラも、私も、そしてシルフィンも、それを感じている。


──ノエル・ルシリス。

地を揺らし、無言で世界に干渉する者。

彼女はこの世界の一部でありながら、別の“因果”を背負ってここにいる。


 私は拳をぎゅっと握る。

なぜ、あの夢にノエルが出てくるのか。

なぜ、私の“地”が揺らぐのか。


(・・・もうすぐ、なにかが動き出す)


そう、感じていた。





 それから数日間、私たちは慎重にノエルの様子を見ていた。


彼女は変わらなかった。

授業では誰よりもまじめで、先生の問いには的確に答え、ノートの字も美しく整っていた。


 昼食の時間には、サラと私、シルフィンの三人で座るのに対し、ノエルはいつも一人。

周辺のテーブルに座った子たちには礼儀正しく接するものの、それ以上の関係にはならない。


──完璧すぎる。

そう思ったのは、シルフィンだった。


「ちょっと、怖いくらい整ってると思わない?」


 ある日の放課後、私たちは学院の中庭にいた。

炎の属性を持つ生徒用に設けられた、耐火性のある訓練場の横のベンチに腰かけて、日が傾く空を見上げる。


「息をするみたいに『正解』だけを選んでる感じ。普通、間違えたり、迷ったりするでしょ?」


シルフィンの言葉に、サラはおずおずと頷いた。


「あの夢で見たノエルさんも、なんていうか、すごく“できあがってた”感じでした。無表情だったけど・・・完成された何か、みたいな」


 私は答えず、視線を宙に泳がせる。


(完成された“何か”。・・・それって、人間でも魔法使いでもないもの?)


そのとき、学院の鐘が夕刻を告げ、風が冷たく肌を撫でた。






 そして、事件は起こった。


風の強いある日、地属性の生徒が集まっていた訓練場で、突発的な魔力暴走が発生した。

訓練中に地面が突然隆起し、周囲の生徒を巻き込んで巨大な石柱が乱立したのだ。


「下がってください!結界班、展開急いで!」


 教師たちの声が飛び交う中、私とサラ、シルフィンも現場に駆けつけた。

そして、そこに──


「・・・ノエル」


石柱の中心に立っていたのは、彼女だった。


表情は無い。瞳は虚ろに空を見つめ、まるで別の何かに意識を預けているかのようだった。


 足元の大地が彼女を中心に脈動している。まるで心臓の鼓動のように。


サラが小さく声を漏らす。


「・・・夢の、通り・・・」


その瞬間、ノエルの瞳がゆっくりと私たちの方を向いた。


無表情。だが確かに、視線が私たちに届いていた。その目には、怯えも怒りもない。ただ、深い深い“静けさ”があった。


地の底のような静けさ──何も語らず、すべてを飲み込み、沈黙する土の感情。


「アリア」


 ノエルが、名前を呼んだ。


初めてだ。彼女が私を呼び捨てにしたのは。


私は無意識に、一歩前へ出ていた。


「あなた、いったい──」


 言葉の続きを、言えなかった。


その瞬間、ノエルの身体がふっと揺れた。

何かの均衡が崩れたように、彼女は膝をつき、そのまま意識を失って倒れた。


「ノエルさん!」


私たちは駆け寄った。冷たい土の匂いが立ち込める中、彼女の手を取る。

その指先は、震えていた。


 まるで、何かに怯えるように──過去の、自分の記憶の奥にある“なにか”に。






 その夜、私は夢を見なかった。だが、眠れなかった。

窓の外を眺めながら、私は思い続けていた。


(あれは、偶然じゃない。彼女の中にあるものが、少しずつ滲み出してきてる)


前世の因果。失われたはずの記憶。

そして──私がずっと抱えてきた、あの“痛み”。


彼女は、まだ気づいていない。

でも、私はもう確信している。


(ノエル・ルシリス。あなたは、あのときの・・・)


 言葉にはしない。

けれど、私の中に燃えるものがある。


──許すかどうかは、私が決める。

その前に、やるべきことがある。


静かに、私は目を閉じた。


(・・・もうすぐ、始まる)



この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?