放課後──。
陽が傾き、校舎の裏は長く伸びた影と静寂に包まれていた。
風が吹き抜け、誰もいない空間が、ただ時間の経過を告げている。
私は、そこに立っていた。
待っていた。ずっと──。
陽は赤く、空を染めていく。あの頃、何度も見上げたはずの空。
けれど、当時の私はそれを綺麗だと思ったことは、一度もなかった。
学校にいる時間のすべてが、地獄だったからだ。
(美紗──)
私は心の中で、そう呼びかける。
ノエルじゃない。伊原美紗。かつての名前で。
覚えてる?靴がなくなった日のこと。机の中がゴミで埋まっていた朝のこと。
水筒の味が変だった昼休み。ロッカーに入った瞬間に漂ってきた腐臭。
放課後の部室で、誰にも気づかれないように押し込められたあの時間。
私がどんな顔をして、黙って涙を飲み込んだか──覚えてないよね。
というか、知る由もないよね。あんたたちにとっては、ただの“遊び”だったんだもの。
誰かを傷つけることに、意味なんてなかった。ただ、「そうすればウケる」から、「そうしたほうが面白い」から。
それだけで、私を壊した。
地獄だった。
心が、毎日どこかで死んでいた。
だけど、それでも私は“生きていた”。
あんたたちが笑い、楽しんで、何の罰も受けずに過ごしていたその日々に、私は毎秒、歯を食いしばって耐えてた。
──それを、たった一言の謝罪で終わらせるつもりなら、私は絶対に許さない。
あの頃の私の悲鳴を、涙を、息が詰まりそうだった夜を、全て“無かったこと”にしようとするなら──私は、お前を地獄に引きずり込む。
ゆっくりと日が沈み、空が紫がかる。それでも、誰も来ない。
(・・・逃げたか)
当然と言えば当然だ。この期に及んで、逃げるような女だったのだ。あの頃から、ずっと。
だが──その時だった。
「・・・アリア」
かすれた声。私は、顔を上げた。
校舎の影から、ゆっくりと現れたその姿。
制服のリボンは少し乱れ、肩はかすかに震えていた。目の下には赤みが残り、瞳は酷く曇っていた。
「・・・ごめん、遅くなって」
私は何も言わない。ただ、じっと見つめた。
「・・・全部じゃないけど、少しずつ、思い出してる。まだ夢みたいで・・・でも、あれは私の記憶。私がやったこと」
美紗──いや、今はノエルと呼ばれている彼女は、震える声でそう言った。
だが、その次に口にした言葉が、私の胸に釘を打ち込んだ。
「でも・・・あの時はね、私も怖かったの。仕方なかったの。状況が状況だったから。逆らったら、自分がやられるかもしれなくて。みんなに合わせるしかなかった。誰かを守る余裕なんてなかったの。・・・ごめんね。悪気があったわけじゃないの ・・・」
その瞬間、私の中の何かが切れた。
ゴオッ──という音が響いたのは、風のせいじゃない。
私の背後で、赤い炎が燃え上がった。空気が震え、地面が揺れる。
夕焼けの赤よりも、遥かに深く、熱く、鋭い色が私の身体から噴き出していた。
美紗の顔が青ざめ、引きつる。
それでも、私は止まらなかった。
「・・・言い訳?」
低く、怒気を噛み殺した声。
「“悪気はなかった”? “仕方なかった”? “合わせるしかなかった”?・・・ ふざけんなよ!」
言葉と同時に、炎が炸裂するように広がる。草が焦げ、空気がひび割れる。
「お前が“周りに合わせただけ”で、私は死ぬ羽目になったんだよ!!」
叫んだ声に、自分でも驚くほどの怒りが混じっていた。
全身が震えていた。怒りで、苦しみで、ようやく言葉にできた絶望で。
「誰かを泣かせて、笑っておいて・・・ 自分も被害者だみたいな顔するな!私はな、毎日毎日お前たちが怖くて泣いてたんだよ!誰にも助けてもらえず、ただただ苦しかった!だから・・・結局、死ぬしかなかったんだよ!!」
魔力が爆ぜる。
背後に燃え上がる炎は、赤ではなく、もはや深紅だった。
「・・・そうだ。だったらさ、私も“悪気なんてない”って言ってやるよ。これから、お前を焼き尽くすこの炎も──ただの、気持ちのままなんだ。私は私の正しさを信じて、お前に同じ痛みを味わわせるだけ。生きたまま焼かれて、後悔して、絶望して──ようやく、お前も理解できるんじゃない?」
その瞬間、美紗の足がすくんだように、がくりと膝をつく。
私は一歩、前に出た。
「“ごめん”って言うだけで、何もかもがチャラになるとでも思ってた?“私は悪くなかったんです。仕方なかったんです”って言って、許してもらおうとしてた?・・・ふざけんなよ。お前たちは、私をバカにしすぎだ!」
もはや、自分でも止められない。長らく眠っていた私の中の炎は、激しく燃え上がる。
「しかも・・・お前は今も、自分の罪を認めきれないでいる。その姿こそが、私の怒りを燃やすんだよ・・・!」
さらに一歩、また一歩と近づく。
美紗は何も言えず、ただ震えていた。顔は蒼白で、手が地面を掴んでいた。
「許さない・・・絶対に、絶対に許さない。お前がそういう姿勢を取るってなら、私は容赦しない。かつての私と同じ・・・“惨めな最期”を、お前に与えてやる」
地面が割れ、私の魔力は大地の奥から炎を引き出す。
それはまるで地獄の火口のようで、赤く脈打ち、唸り声を上げていた。
「今度は、“お前の番”だよ──伊原美紗」
その名を、冷たく告げる。