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92.炎の中の遺言

 私は腕を振り上げる。それだけで空間が熱を帯び、周囲が震える。空気が軋み、視界の端が歪んでいく。


「泣けよ、美紗。痛い、辛いって喚けよ。・・・まあ、何したって許さないけどね」


私は、口元を歪めて笑った。


「今さら“怖い”とか“仕方なかった”とか、そんな台詞じゃ誤魔化せないくらい──私はお前に壊されたんだよ。せめて、泣け。喚け。命乞いしろ」


 ノエルは震え、声を出そうとしたが、言葉にならなかった。

怯えている。怯えて、震えて、それでも、かつての自分を“守ろうとしている”。


それが、許せなかった。


「私はさ、あんたに“命乞い”すらさせてもらえなかったんだよ」


言いながら、手のひらに火球を作り出す。

それは次第に膨れ、灼熱を含んだ魔力となって唸り始める。


「私が泣いてたとき、あんたは見て見ぬふりをしてた。机の中のゴミに顔を近づけて吐いたとき、笑ってたよね?“気持ち悪~”って、周りと一緒に──笑ってたよね?」


 魔力が燃え上がる。火球が形を変え、蛇のように渦を巻く。


「・・・自分の行いってのは、いずれ自分に返ってくるもんだ。だから・・・今度は、お前が吐く番だよ。涙も、恐怖も、全部呑み込め」


 ただひたすら、怒りに身を任せた。

私は、“優しい子”じゃない。二度とそんなフリはしない。今の私は──私自身のために、怒ってるんだ。


 火蛇が地を這い、美紗のすぐそばの地面を焼いた。土が裂け、炎が地中を這い回る。ノエルのスカートの端が焦げ、肌を燃やし、ようやく声をあげた。


「や・・・やめてっ!」


その叫びに、私は鼻で笑う。


「やめて?・・・今さら?」


 近づく。一歩ずつ、ノエルとの距離が詰まっていく。


「ごめんね・・・?私は、もう止まらない。誰にも、止められない。だってこれは──私が“生きるため”の怒りだもん」


顔を近づけ、呟いた。


「ようやく取り戻せたんだよ、怒りを。私の声を。・・・今度は、お前が壊れる番だ。私と同じ地獄の底まで、沈めてあげる」


──その時、背後から一陣の風が吹き抜けた。


(・・・誰か来る?)


 微かな気配が、怒りに濁った私の集中をわずかに逸らした。

けれど、まだだ。私はまだ終わっていない。


私は叫び、怒鳴る。

心の底から、全てを吐き出す。


「私はな・・・ずっと泣いてたし、痛かったんだよ!辛かったんだよ!泣いてるのを見たなら、助けてほしかった!“やめろ”の一言でよかったのに、それを誰も言わなかった!だからもう・・・私自身が裁くしかないんだよ!!」


 炎が爆ぜる。世界が赤く染まり、ノエルは両腕で頭を抱えるようにして、蹲った。


私は炎を構えた手を振り上げた。

その先に──地獄が待っている。


 ノエルは、ぼろぼろの制服の袖を震わせながら、必死に手を組んだ。

震える指先が描いたのは、魔力による防御障壁──簡易結界。


けれど、それはあまりに脆く、頼りない。

“あの頃”のように、自分を守る言い訳だけでできているような、そんな中身のない結界だった。


「──無駄だよ」


 私は低く呟き、指を鳴らす。


次の瞬間、炸裂した。

炎が咆哮を上げ、ノエルの結界を真っ向から貫いた。防壁は、まるで紙細工のようにあっけなく崩れ落ちる。


 その背後にいたノエルは、咄嗟に腕で顔を庇った。だが──意味はなかった。


焼け爛れる肉。弾ける悲鳴。

地面に崩れ落ちた彼女の身体が、なおも炎に包まれてのたうつ。


「熱い・・・!し、死ぬうっ!た・・・助け・・・助けてぇっ・・・!!」


 無様だった。身をよじり、髪を焼かれ、涙を垂れ流し、声を潰して喚いている。

あの頃、私がどんなに泣いても誰も見てくれなかったのに。

今は、ようやく。やっと──。


「──私を、見てくれてるじゃん?」


私は笑った。歪んだ、ひどく歪んだ笑みだった。

でも、それは間違いなく私の“本音”だった。


「いいよ、その顔。やっと似合うようになったじゃん、地獄の景色にさ」


 やがて、炎がゆっくりと弱まる。

空気が冷え、焦げた土の匂いが、校舎裏の夕闇に染み込むように漂う。


そこにいたのは──もはや“ノエル”でも“伊原美紗”でもない。焼け焦げ、皮膚の半分がただれ、視線も定まらぬ“ただの生き残り”だった。


それでも、彼女はまだ息をしていた。

小さく、小さく。喉の奥で引きつった音を立てながら。


 私はその傍にしゃがみ、そっと顔を覗き込む。


「・・・ごめんね、ちょっとやりすぎちゃった」


囁くように言った。

その言葉に、ノエルがわずかに動いた。顔を、私の方に向けようとした。

だが、瞳はもう焦点を結んでいない。彼女は、すでに“壊れて”いた。


「お願い、許して。・・・最後に、一つだけあげるからさ」


私は指を一本立て、ふっと息を吹きかける。


 ──そして、告げた。


「美紗・・・死ね」


 最後の言葉と同時に、私の指先から小さな炎が生まれ、彼女の胸元にすっと落ちた。

その瞬間、炎が“花のように”咲いた。


赤い光が舞い、世界が沈黙した。


 この瞬間、私の中でひとつの過去が焼き尽くされた。

前世から続く因縁は、確かに──この手で、断ち切った。


それはただの怒りでも、恨みでもない。

私が、“生きてきた”という証。

泣きながら、それでも歩き続けた人生の、血と涙で刻んだ──通過点。





 血のように赤い光の中で、ノエルの喉がごくりと動いた。

その唇が、かすかに動く。


「・・・あのとき・・・ほんとは・・・止めたかった、んだよ・・・」


 しわがれた、ひび割れた声。

それでも、確かに言葉だった。


「私は・・・こわくて、逃げただけ・・・ごめん・・・」


その目には、焦点はなかった。

でもその声だけが、やけに“生”を帯びていた。




 私は──動けなかった。

胸の奥に、何かが突き刺さった。


それは炎じゃない。怒りでも、憎しみでもない。

ただ、ただ・・・“痛み”だった。


「・・・逃げただけ、ね」


 呟きながら、私は目を伏せる。

ノエルは謝った。自分が“見殺しにした”と認めた。

今さら、そんな言葉を聞いたところで。

許す気なんて──あるはずがないのに。


(・・・なのに、なんで。こんなに、苦しいの?)


私は、膝をついた。

指先はまだ熱を帯びているのに、心だけが急激に冷えていく。


「・・・言い訳、しないでよ。今さら・・・ずるいよ」


 そう口にして、私は自分の声に、わずかな震えがあることに気づいた。


ノエルの唇は、かすかに震えている。

焦点の定まらないその瞳が、空を見つめる。


「ごめん・・・ 三春・・・」


 その声がかすれ、肺から最後の空気が抜けるように、途切れた。


そして──一滴。

焼け爛れた頬を伝い、涙がこぼれた。

まるで、罪の証のように。


 ノエルは、それきり動かなくなった。

私は、ただ見下ろしていた。


赦さない。赦されない。

それでも、確かに聞いた。

彼女の声を。言い訳を。後悔を。命の最後の揺らぎを。


 そして、私は──呟いた。


「・・・遅いよ」


それは、怒りでも、哀れみでもなかった。

ただ、“事実”だった。


遅かった。

あまりにも、すべてが。


「・・・遅いよ。この、バカ女」


 最期に、そう伝えた。

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