「ノエルは死んだ。私にとっての“ノエル”は、あの日確かに死んだ」
そう呟いた時、自分の声が少し震えていたのがわかった。
でも、それを認めたくなくて、私は続ける。
喉の奥が、きつく締まる。
「・・・もう一度、終わらせてやる」
その声音には、怒りと、そしてほんの少し“怯え”が混じっていた。
まるで、自分の中の「決着」が崩れていくのを、認めたくないみたいに。
私の中で終わったはずの“復讐”が、再びうごめき出していた。
部屋は静かだった。
窓から射す夏の夕陽が、床にオレンジの影を落としている。
シルフィンの案内で、私は彼女の家に足を踏み入れた。
そこにいたのは──ノエル。いや、伊原美紗。
白い包帯が腕を巻き、薄いシーツの上に座っている。
その姿を見た瞬間、私は胸の奥にあった何かがぐしゃりと潰れるのを感じた。
でも、表情には出さなかった。
私は、ただ冷たく、そして強く、自分を律するように睨みつけた。
──空気が、重い。重すぎて、呼吸が難しいほどに。
ノエルもまた、私を見ていた。だが、視線がすぐ逸れた。
私は一歩、踏み込む。
何も言えずにいた私たちに、シルフィンが小さく口を開いた。
「二人とも・・・話して。もう、黙って傷つけ合わないで」
その言葉に、私はゆっくりと顔を上げ、ノエルの目を見据えた。
「・・・なんで、生きてるの」
怒りが込み上げてくる。
「なんで、死んでくれなかったの。・・・また、私に殺されたいの?」
怒っていた。叫ぶように。
でも本当は、どこかで“答え”を探していたのかもしれない。
ノエルは一瞬だけ目を伏せ、震える唇で答えた。
「・・・わたしだって、死んだと思ってた。でも・・・彼女は、私をわかってくれた」
あえて「助けられた」とは言わなかった。
それが、余計に私の感情を逆撫でした。
掌に炎が灯る。あの時と同じ、灼熱の魔力が私の中を駆け巡る。
「“わかってくれた”・・・?ははっ・・・誰が?シルフィンが!?──あんたの、何をわかってるってんのよ!!」
炎がうねり、空気が焼ける。
──でも。
「やめて、アリア!」
シルフィンが即座に私の前に立ち、手を握った。
「──あなたは、もう“壊す”必要なんてない」
その声に、私の手から魔力が少しずつ揺らぎ、熱が下がっていく。
「・・・あの日、あなたは叫んだんでしょ?私は忘れてない。誰にも助けてもらえなかったって。──それは、とても辛かったと思う。でも、今は私がいる。だから、お願い。これ以上、あなたが“自分”を壊さないで」
その言葉は、静かに、でも確実に私の胸に届いた。
私は、目を伏せて呟いた。
「・・・わかんないよ、もう・・・」
唇が震える。止まらない。
「あんなに憎かったのに。終わったはずだったのに。・・・どうして、まだ私の中に残ってんのよ・・・!」
涙が、頬を伝った。炎は消え、魔力は霧散していく。
その時だった。
「・・・あの日、あの教室で、私が逃げなければ。笑わなければ。見ないふりをしなければ──」
ノエルが、自分の言葉で語り出した。
「アリア。・・・私は、あなたを殺したと思ってる。だから、あの時燃やされたのは当然だって、ずっと思ってた。・・・むしろ、生きてたのが申し訳なかった」
その声には、嘘がなかった。
私は、何も言えなかった。
何かが、崩れていく音がした。胸の奥で。
──この人は、変わろうとしている。
なのに私は、まだ許せていない。
どうして?なぜ?それでも──
言葉にならない思いが、喉の奥で絡まって、吐き出せなかった。
私は、両手をぎゅっと握りしめたまま、俯いた。
こんなに涙が出るなんて、思ってなかった。
憎くて、憎くて、ただ燃やして、消し去って、それで終わるはずだったのに。
「・・・ノエル」
その名前を呼ぶのが、怖かった。
でも、それ以外に、もう言葉がなかった。
顔を上げる。ノエルも、私を見ていた。
目は赤く、泣き腫らしていた。
あの頃の教室で見た彼女の顔じゃない。
勝ち誇った顔でも、無関心な仮面でもない。
──ただの、ひとりの、壊れそうな女の子の顔。
私は、ゆっくりと、手を伸ばした。
彼女の前に、震える指先を差し出す。
「・・・まだ、許せてない。でも・・・」
言葉が詰まる。
「でも、私も・・・本当は、ずっと怖かったのかも。・・・終わってしまうのが」
ノエルが、ゆっくりと自分の手を重ねてきた。指先が触れる。熱が伝わる。涙がまた、一筋、頬を伝った。
「ごめんなさい・・・」
かすれた声で、ノエルが言った。
私もまた、唇を震わせながら応えた。
「・・・私こそ、ごめん」
ふたりの手が、確かに重なっていた。
痛みと後悔と、赦しきれない思いと。
そのすべてが、今ここで混ざり合っていた。
──赦すとか、赦されるとか、そんな簡単なことじゃない。だけど、それでも。
「ありがとう、シルフィン・・・」
私はふと、そう呟いていた。
彼女がいなければ、きっとこの手は、伸ばすことさえできなかった。
シルフィンは、少しだけ微笑んで──それから目尻をぬぐった。
「・・・うん、よかった。もう、二人とも、泣くの禁止」
その言葉に、私もノエルも小さく笑った。
涙まじりで、ぐちゃぐちゃな笑顔だったけど、それでも──確かに、あの頃とは違っていた。
私は、少しだけ前に進めた気がした。