あれから、数日が経った。
ノエルが「もう一度話したいことがある」と言って、私の家にやってきたのは、ちょうど午後の陽射しが落ち着いてきた頃だった。
母さんは出かけていて、今この家には私とノエル、二人きり。
お茶を淹れ、リビングに向かい合って座る。
あの日の涙も、言葉も、もう過去のものになりつつあったけど、まだどこか、少しだけぎこちなさは残っていた。
そんな空気の中で、ノエルがふいに口を開いた。
「・・・ねえ、アリア。ちょっと変な話なんだけど、聞いてくれる?」
「うん、いいよ」
私が頷くと、ノエルは少しだけ躊躇って、それでも覚悟を決めたように、ぽつりと語り出した。
「私の父・・・前の世界では、普通の会社員だったけど、この世界では魔法使いでね。昔、“封律の賢女”の弟子だったの」
私は思わず目を見張った。
“封律の賢女”と言えば、八大魔女の一人・・・地の大魔女、オルガ・グラウセリスだ。
「・・・それって、大魔女オルガ? “八大魔女”の一人の?」
「うん。そのオルガ。かつて邪神ガラネルを封じた、八人の魔女のひとり。地の魔法を極めた、偉大な魔女だって聞いてる」
もはや説明不要とも言えるが──八大魔女とは、かつてこの世界を蝕み、支配した異界の邪神を封じた、八人の魔女のこと。
その中に私の母──セリエナ・ベルナードもいた。炎を操る魔女であり、“灼炎の女皇”とも呼ばれている。
「父はね、私が魔法学院に入ることになってから、よく言ってたの。『いつか、セリエナ様の娘さんと会う時が来るかもしれない。その時は、ちゃんと目を見て話しなさい』って」
「・・・目を、見て?」
「うん。ただそれだけ。でも、今になって少し分かる気がする。・・・たぶん、あの人は知ってたんだよね。私がこの世界で、何を背負うことになるか。あなたと、どう関わるか」
ノエルの声には、少しだけ震えがあった。でもそれは、怯えではなかった。
過去と、宿命と、そして今を見つめようとする勇気の震えだった。
「でも・・・ 実際には、そんな簡単な話じゃなかったね。私、あんなふうにして、あなたを・・・三春を、失って・・・ 」
「・・・お互い、変な因縁だったんだね」
私は静かに言った。
でも、その言葉に刺々しさはなかった。
「炎の大魔女の子と、地の大魔女の弟子の子。前世のいじめっ子と、いじめられた子。・・・どうしようもないほど複雑で、噛み合わない。でもさ、それでも」
私は、ノエルを見た。ちゃんと、目を見て。
「こうして話してるんだから、悪くはないと思う」
ノエルもまた、まっすぐに私を見返して、ゆっくりと頷いた。
「うん・・・そうだね」
ほんの小さな、でも確かな笑みが、ふたりの間に浮かぶ。
因縁なんて、きっとどこにでも転がっている。
けれど、それをどう受け止めるかは、私たち自身が決めていい。
“八大魔女”が世界を救ったように、今を生きる私たちにも、きっと──自分の世界を守る力がある。
玄関の扉が、そっと音を立てて開いた。
「ただいま。・・・アリア、いるかしら?」
母の声だ。私は小さく息を呑んで、立ち上がった。
「うん、リビングにいるよ。・・・それと、お客さんも」
ノエルも立ち上がり、ほんの少し緊張した面持ちで私の隣に並んだ。
数秒後、リビングの戸を開けて、母が姿を現した。
赤い髪を肩でまとめ、焦げつくような瞳を湛えたその姿は、いつ見ても──否応なく「灼炎の女皇」の名にふさわしかった。
けれど、その眼差しは娘の私に向かうとき、いつもと同じ、穏やかなものになる。
そして──その目が、ノエルを見た瞬間、ふっと細められた。
「・・・あなたが、“地の弟子”の娘さんね」
その一言で、ノエルの肩がぴくりと動いた。
「やはり、似ているわ。オルガの弟子だったあの人に。目元が」
「っ・・・初めまして、セリエナ様。私は、ノエル・ルシリスと申します。父は・・・かつて地の大魔女・オルガ様に仕えていました」
ノエルは深く頭を下げる。
母は、それを黙って受け止めたあと──一歩だけ、こちらへ近づいてきた。
その気配は、まるで焔のようでいて、不思議な静けさを湛えていた。
「オルガね・・・気難しい人だけど、誠実だった。弟子に何を託していたのかは、私たちも知らない。でも・・・」
そこで母は、ノエルの目をまっすぐに見据えた。
「あなたがアリアに何を伝え、どう生きてきたかは──その目が教えてくれる」
ノエルは少し驚いたように目を見開き、それから小さく微笑んだ。
「・・・ありがとうございます」
私は、母とノエルのやり取りを、少し離れた場所で黙って見ていた。
かつて世界を救った者たち。その意志が、今、私たちに受け継がれている。そんな気がした。
母は最後に、私に視線を戻して言った。
「アリア、あなたの友達なら、歓迎するわ。・・・ここは、あなたたちが未来を話し合う場所でいい」
私は、自然と頷いていた。
いくつもの過去が絡み合って、私たちはようやく、今という場所に立っている。
それを信じてくれた人が、ここにいる。
だから私は──もう、振り返るだけの生き方はやめようと思った。