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97.受け継がれしもの

 あれから、数日が経った。


ノエルが「もう一度話したいことがある」と言って、私の家にやってきたのは、ちょうど午後の陽射しが落ち着いてきた頃だった。


母さんは出かけていて、今この家には私とノエル、二人きり。


 お茶を淹れ、リビングに向かい合って座る。

あの日の涙も、言葉も、もう過去のものになりつつあったけど、まだどこか、少しだけぎこちなさは残っていた。


そんな空気の中で、ノエルがふいに口を開いた。


「・・・ねえ、アリア。ちょっと変な話なんだけど、聞いてくれる?」


「うん、いいよ」


 私が頷くと、ノエルは少しだけ躊躇って、それでも覚悟を決めたように、ぽつりと語り出した。


「私の父・・・前の世界では、普通の会社員だったけど、この世界では魔法使いでね。昔、“封律の賢女”の弟子だったの」


私は思わず目を見張った。

“封律の賢女”と言えば、八大魔女の一人・・・地の大魔女、オルガ・グラウセリスだ。


「・・・それって、大魔女オルガ? “八大魔女”の一人の?」


「うん。そのオルガ。かつて邪神ガラネルを封じた、八人の魔女のひとり。地の魔法を極めた、偉大な魔女だって聞いてる」


 もはや説明不要とも言えるが──八大魔女とは、かつてこの世界を蝕み、支配した異界の邪神を封じた、八人の魔女のこと。


その中に私の母──セリエナ・ベルナードもいた。炎を操る魔女であり、“灼炎の女皇”とも呼ばれている。


「父はね、私が魔法学院に入ることになってから、よく言ってたの。『いつか、セリエナ様の娘さんと会う時が来るかもしれない。その時は、ちゃんと目を見て話しなさい』って」


「・・・目を、見て?」


「うん。ただそれだけ。でも、今になって少し分かる気がする。・・・たぶん、あの人は知ってたんだよね。私がこの世界で、何を背負うことになるか。あなたと、どう関わるか」


 ノエルの声には、少しだけ震えがあった。でもそれは、怯えではなかった。

過去と、宿命と、そして今を見つめようとする勇気の震えだった。


「でも・・・ 実際には、そんな簡単な話じゃなかったね。私、あんなふうにして、あなたを・・・三春を、失って・・・ 」


「・・・お互い、変な因縁だったんだね」


私は静かに言った。

でも、その言葉に刺々しさはなかった。


「炎の大魔女の子と、地の大魔女の弟子の子。前世のいじめっ子と、いじめられた子。・・・どうしようもないほど複雑で、噛み合わない。でもさ、それでも」


私は、ノエルを見た。ちゃんと、目を見て。


「こうして話してるんだから、悪くはないと思う」


 ノエルもまた、まっすぐに私を見返して、ゆっくりと頷いた。


「うん・・・そうだね」


ほんの小さな、でも確かな笑みが、ふたりの間に浮かぶ。


因縁なんて、きっとどこにでも転がっている。

けれど、それをどう受け止めるかは、私たち自身が決めていい。


 “八大魔女”が世界を救ったように、今を生きる私たちにも、きっと──自分の世界を守る力がある。





 玄関の扉が、そっと音を立てて開いた。


「ただいま。・・・アリア、いるかしら?」


母の声だ。私は小さく息を呑んで、立ち上がった。


「うん、リビングにいるよ。・・・それと、お客さんも」


 ノエルも立ち上がり、ほんの少し緊張した面持ちで私の隣に並んだ。


数秒後、リビングの戸を開けて、母が姿を現した。

赤い髪を肩でまとめ、焦げつくような瞳を湛えたその姿は、いつ見ても──否応なく「灼炎の女皇」の名にふさわしかった。


 けれど、その眼差しは娘の私に向かうとき、いつもと同じ、穏やかなものになる。

そして──その目が、ノエルを見た瞬間、ふっと細められた。


「・・・あなたが、“地の弟子”の娘さんね」


その一言で、ノエルの肩がぴくりと動いた。


「やはり、似ているわ。オルガの弟子だったあの人に。目元が」


「っ・・・初めまして、セリエナ様。私は、ノエル・ルシリスと申します。父は・・・かつて地の大魔女・オルガ様に仕えていました」


 ノエルは深く頭を下げる。

母は、それを黙って受け止めたあと──一歩だけ、こちらへ近づいてきた。


その気配は、まるで焔のようでいて、不思議な静けさを湛えていた。


「オルガね・・・気難しい人だけど、誠実だった。弟子に何を託していたのかは、私たちも知らない。でも・・・」


 そこで母は、ノエルの目をまっすぐに見据えた。


「あなたがアリアに何を伝え、どう生きてきたかは──その目が教えてくれる」


ノエルは少し驚いたように目を見開き、それから小さく微笑んだ。


「・・・ありがとうございます」


 私は、母とノエルのやり取りを、少し離れた場所で黙って見ていた。


かつて世界を救った者たち。その意志が、今、私たちに受け継がれている。そんな気がした。


 母は最後に、私に視線を戻して言った。


「アリア、あなたの友達なら、歓迎するわ。・・・ここは、あなたたちが未来を話し合う場所でいい」


 私は、自然と頷いていた。

いくつもの過去が絡み合って、私たちはようやく、今という場所に立っている。

それを信じてくれた人が、ここにいる。


だから私は──もう、振り返るだけの生き方はやめようと思った。



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