その日、僕アルフレッドは天使を見た。
生まれ育った城にある、歩き慣れた庭園の中、銀色の髪を靡かせ母親と歩く少女の姿はまるで絵画のような光景だった。
思わず見惚れて立ち止まっていた僕に少女は気づくと、そのままニコリと優しく微笑みかけた。
……恐らくこれが一目ぼれと言うものなのだろう。
彼女について知りたくなった僕はすぐに彼女について調べた。
僕はこの国の第一王子であり、既に隣国の王女と言う結婚が決まった相手がいる、こんな感情を持ってはいけない事は子供ながらわかっていたが、それでもこの気持ちは治まらなかった。
せめて、彼女が一体誰なのかを知りたい、そう思い周囲に尋ねてみたらすぐに答えは返ってきた。
……そして、知らなければよかったと後悔した。
彼女の名前はマリア・ランドルフ、王国騎士団長を務めるロックの娘で二つ下の弟、セシルの婚約者だった。
セシルは良くも悪くも生真面目な性格で、僕より自由な立場にいながら勝手に不要な使命感に縛られている愚かな弟だ。
僕は彼女が弟に会いに城に来るたびに、どうにか理由を探しては声をかけ、そして彼女の笑顔にまた鼓動を早くした。
叶わぬ恋なのは分かっているが、それでも見かける度に綺麗に成長していく彼女にどんどん目が離せなくなる。
セシルは国のための婚約などと興味なさそうに言っていたが、彼自身が自覚するのも時間の問題だろう……
年月を重ねるにつれ、僕の結婚の日も近づいていく、そろそろ諦めようと考えていた時、思いがけない連絡が入った。
それは僕の結婚相手である王女が病で亡くなったということだった。以前会った時は元気そうで、とても病気になるとは思えなかった、恐らく何かしらの理由で結婚を拒んだのだろうと推測する。
だが所詮それは推測にすぎず、両国の関係の悪化を考えれば詮索することも難しい。
両親は二人揃って困惑していたがこれは僕にとってはチャンスだと思った、婚約破棄をされ同情されている今なら多少の我が儘も通ると思ったからだ。
だから僕はマリアと婚約したいと伝えた、勿論、双方同意の上でと言う条件でだ、可能性は低いが愚かな弟なら承諾するかもしれない。そして、セシルは僕の予想通り拒む事なく判断をランドルフ家に委ねた。
セシルがマリアに惚れていることは明らかなのに、ここに来てまだ誰も課していない使命に囚われているとは実に愚かである。だが、容赦はするつもりはない。
僕はすぐに縁談を進めるように働きかけ、早々に彼女との婚約が決まろうとしていた。
だがその婚約が決まる直前になって、今度はセシルが我儘を言ってまで婚約破棄の撤回を求めてきたのだ。
結果、両方の縁談が白紙になり、今一度両親達が話し合っているが進む気配はない。
セシルも自分の行動に罪悪感を感じつつ退くつもりはないらしい、面白い、ならば受けてたとう。
これで二人とも我が儘を通した、遠慮する必要もないだろう。
富、名声、権力、僕の持てるもの全てを使って僕は彼女を手に入れて見せよう、勿論強引にはしない、それはあくまで
これがきっと執着というものなんだろう。
そして僕は今、彼女の屋敷を訪れていた。突然やってきた王子である僕の対応に追われ、屋敷の中は慌ただしい。
本来なら連絡もなしに訪問なんて失礼な事はしないがセシルが動いたなら話は別だ。
先日、セシルがこの件について謝罪するため僕より先に彼女を訪ねた様だった。
幸い大きな進展はなかった様だが、帰ってきてからセシルが何やらやる気になっている、何があったかは知らないが先を越された形だ、失礼なんていってられない。
それに今日は邪魔者になりそうな、ロックもいない。
真面目な彼はこう言う礼儀に欠けることをすれば怒るだろうが別に顔色を伺う必要はない、王子と騎士とはそう言う関係だ。
どちらかと言うと、この子の方が問題かもしれない、マリア専属のメイドであり、侍女としても度々城にも同行していたアンナと言うメイドだ。
他の使用人たちが僕の来訪に黄色い悲鳴や戸惑いの声をあげている中、この子だけは一切動じる事なくポーカーフェイスを保っている。
しかし、淹れられた紅茶からは明らかな怒りの様なものが見られた。
アンナの淹れた紅茶は美味しくはないが不味くもないと言う絶妙な味で、嫌がらせというよりは僕に対する嫌悪感を伝える為のものに感じた。
メイドと言う立場で何も言えない彼女が口には出さずともこちらに怒りを伝える、なかなかの曲者である。
僕はそんななんとも言えない味の紅茶を飲んで待っていると、ノックの音が聞こえマリアが部屋に入ってくる。
「お待たせしましたアルフレッド様。」
「いや、こちらこそ急な、訪問で申し訳ない。でもどうしても君に会いたくなってね。」
「ふふ、ありがとう存じます。」
彼女は僕の笑顔を受け流す、パーティーでこの笑顔を女性に向ければ、頬を染め上げるものだがやはり彼女には通じない、だからこそ燃え上がるものもある。
彼女が僕の対面に座ると、彼女にもアンナの淹れた紅茶が出されるが、
普通に飲んでいるところを見ると、やはり僕の紅茶だけ味を変えていた様だ。
「単刀直入に言うよ、僕は出会ったときから君が好きだった、だから君を将来の妃として迎え入れたい。」
だが彼女はいつものように微笑み首を振った。
「お気持ちはうれしいですが、私にはその気はありません。」
「ああ、勿論僕も君の気持ちを無視するつもりはない、だが僕たちはまだお互いの事を知らない、だからこれからもこうして会って話をして、知って行こうと思うんだ。お互いの事を知って行けばもっと仲良くなれると思ってね。」
「素敵な考えだと思います。」
「なら今日は君の事を教えてくれないか?例えば、好きなものとかあるかい」
そう言って僕は紅茶を飲みながら彼女の言葉を待つ。
「うんこです。」
ブブゥー!
彼女の口から飛び出した言葉に思わず紅茶を吹き出す。
「だ、大丈夫ですか⁉」
「あ、ああ問題ないよ。それよりもな、なかなか可愛らしいものが好きなんだね?」
どうやら僕は緊張しているようだ、ウサギをうんこと聞き間違えるなんて……
「まあ!そんな事を言われたのは初めてです、皆からは臭いだの、汚いなど言われてるようなものなので。」
あ、聞き間違えじゃなかった。これ本当にうんこだ。
どうしよう、これは予想外の回答だ。
宝石といったお金で買えるものなら二人で街へ繰り出しプレゼントするつもりだった、花が好きだというなら庭園をマリアの好きな花で埋め尽くして招待し、料理なら自ら手料理を振る舞おうと考えていたが、この回答はさすがに頭になかった。
どうする?恥ずかしいが自分でも用意できるものだ、渡せば喜んでくれるだろうか?
いやいや落ち着け、そもそも王妃となろうものがそんな汚物を好むなんてあってはならない。
そんなこと知られればどれだけ有能でも、周囲から反対されるだろうし僕自身も反論の言葉も浮かばない。
まずは情報収集だ、何故そんなものを好むのかを聞かないと、好きになったきっかけから否定する理由を探すんだ。
「それで、何故その、う、うん、が好きなんだい?」
「はい、実は私うんこの聖女を目指しているんです。」
「な、なるほど……。」
まるで意味がわからない。
うんこの聖女を目指すからうんこが好きなのはわかる、わからないのはうんこの聖女の存在だ。
一体どこをどう探せばそのような存在を見つけ、目指すことになったのか
僕はうんこの聖女の事について尋ねると、彼女は村で出会ったという、うんこの女神について話し始めた。
「――と、言うわけなんです。」
「ハハハ、そうか、そうか……ふう……」
よし、紅茶でも飲んで一旦落ち着こう……うん、相変わらずなんとも言えない味だ。
今の話を整理すると、要するに彼女はうんこの女神とやらに惚れ込み、その女神に仕えるため聖女を目指すという事だな。
そして、聖女になると結婚できないので僕たちとは婚約できないと……
それはつまり、僕たちは彼女の中ではうんこ以下という事になる、何とも耐え難い屈辱だ。
セシルがやる気になった理由が分かった。
……だが、逆に考えれば、それさえ消せば彼女が婚約しない理由が消えるという事だ。。
「ちなみにその村の場所って教えてもらえるかな?今度僕も行ってみたいんだ。」
「まあ!アルフ様もうんこの女神様に興味がおありですか?では是非今度一緒に行きましょう。」
い、一緒にか……
非常に魅力的な提案で少し心が揺れるが、目的を考えればこれに関しては一人でいかないと、それに二人っきりで行くなら劇場といった恋人と行くような場所が好ましいしね。
「それもいいんだけど、その前に僕一人でも一度行っておきたいんだ」
そう言って僕は彼女からその神殿がある村の場所を聞きだした。
そして、その日の帰り道……
「すまないが、城に戻る前に一度この村に寄ってくれないか?」
そう言って僕は馭者にマリアに書いてもらった地図を見せる。
すまない、マリア……僕は君が思う程、優しくないんだ。
僕は君を手に入れるためなら、例え女神だって排除するよ……