「本当に、どこへ向かうのかしら……」
シュテファンを尾行しながらリズは首を傾げた。シュテファンの馬車は、メインストリートから東に曲がり、さらに路地をくねくねと進む。さすがに街灯もまばらになり、建物も少なくなってきた。目的地の予想がつかない。
「あまり来たことがないところだわ……」
ここがどこか気になるものの、それでも窓からずっと身を乗り出しているわけにもいかず、リズは車内に大人しく引っ込む。そのまま馬車はゆっくりと進む。ふと、馬車内に棚があることに気付いた。
「そうだわ……お母さまはいつも新聞や本を読みなさいって言うのよね……」
前世でもそうだった。毎日の新聞はもちろんのこと、撮影の合間に読む本、オフの日に読む本、それぞれがいつの間にか用意されていた。
リズに限らず前世の記憶がある者は、新しく情報や知識を仕入れる機会が減ってしまう。それでは完璧な「この時代の人」になれない、というのが母の考えだ。
「まぁ……社交界において、新聞と本を読んでおいて損はないのよね……」
車内は、母の魔法で快適に保たれている。不自然にならない程度の温度調整、常時ついたままのランタンや、どうやって設けたのかわからないテーブルやドリンクホルダー、見た目のわりに少し広い座面、そして座り心地がやたら良くて安全で快適な御者台などがそれである。
「んー……エチケット•ブック……より先に、この本を読んでみましょ……」
革の表紙を捲る。王都でレディたちに人気の恋物語であるらしい。
「……あら? これは……」
あらすじはーー
身分が低い側室が皇帝に愛されて皇子を産むが他の皇妃の嫉妬をあびる。
その側室は、廊下に閉じ込められたりトイレに閉じ込められたりしたのちに、病死してしまう。皇子は父である皇帝にひきとられ、光り輝くような皇子と呼ばれるようになる。だが、母に生写しという父の後妻を密かに愛するようになりーー何やら見覚えのある展開である。
「いやいや、この国に『源氏物語』を知ってる人がいるとは思えないから気のせい……」
しかしリズの脳内では、皇帝ではなく帝に変換され、側室はドレスではなく十二単を着て光り輝く皇子は光る君となり……。
怨霊となる側室や、パレードの馬車を止める場所取りで争う場面、ことあるごとに和歌ではなくポエムを送り合い……。
「……まぁよくあるおはなし、よね?」
知っているストーリーだからだろか、どんどん読み進めることができる。まだまだ物語は序盤だ。この先ゆっくり楽しむことにする。
「……これの著者、転生者だったりしてね」
ゆっくりした馬車にゆられているうちに、少しウトウしただろうか。リズは不思議な夢をみた。
王立教会で誰かが結婚式を挙げている。新郎新婦が幸せそうに歩く。涙ながらに祝福しているリズは参列者として参加しているのだが――ほかの参列者が「次は貴女ね」と口々に告げる。
――王立教会で結婚式を挙げるのは王族と王に特別に許された側近だけよ……
だから、ただの貴族令嬢であるリズがそこで結婚式を行うことはあり得ない。
そう思ったところで、はっと目を覚ました。
「妙にリアルな夢だったわね……」
さすが夢、というべきか。
「花嫁さま、キレイだったわ」
ただし、こちらの世界の結婚式を知らないため、ドレスのデザインも式のスタイルも、前世で出席した式だったが……。
だが、妙に心に引っかかる夢でもある。なぜか転生者が見る夢は、正夢になることが多い。これも正夢になる気がするが――。
「お嬢さま、止まりましたよ……」
御者が、不思議そうに言う声でリズは現実に戻った。
「ここは……」
「王都の東側の通りです。どうやら、あとをつけられることを警戒して、あちこち走ってから、ここへ戻って来たようです」
窓を開けて身を乗り出す。冷たい風がリズの頬を撫でて、眠気が飛ぶ。
街頭の数が少ないため、はっきりは見えないが、どうにも立派な貴族の子息が立ち寄りそうな場所には思えない。なんとも寂しい場所だ。
「このあたりは、お店も何もないわね。後ろにつけちゃ怪しまれるから、そのまま追い越して止めておいて頂戴……って、ここは……」
道の端に止まったシュテファンの馬車と、その前に止められた小ぶりな馬車を追い越し、少し走ってから止まる。
馬車から降りて、シュテファンが立ち寄るその場所がどこかを確認したリズの目が、大きく見開かれた。
「――え、まさか……」
そこはリズが、よく知っている場所だった。ただし、リズはいつも表から入るが今いるのは裏口だ。
出入り口のところでシュテファンを出迎えている男も、旧知の間柄だ。
「シュテファンさま、なぜこの教会に……」
もちろん、シュテファンとアンドリューは学友だと聞いている。だから、シュテファンがここを尋ねても不思議はない。不思議はないが、なぜ、こんな時刻なのだろうか。
「やれやれ。レディがひとりで道の真ん中で仁王立ち、頂けないねぇ……」
ふいに横からかけられたのんきな声に、リズは飛び上がるほどに驚いた。
「レ、レオさま!?」
「やぁ、レディ・リズ。屋敷に帰らず、ここで何をしてるんだい? ……って、シュテファンを追いかけてきたんだね?」
「ええ、そうよ。シュテファンさまがどなたに思いを寄せていらっしゃるのか知りたくて追いかけていたら、ここへたどり着いたの……今日はデートなさらないみたいね」
はぁ、とレオが気の抜けたような声を出した。
「知って……どうするんだい? イシュタルお得意の、ライバルを蹴落とすのかい?」
レオの問いかけに、リズは答えに困った。自分はどうしたいのだろうか。
しばらく考えたのちに、わからないわ、とリズは素直に首を横に振った。
「それなのに、後をつけてきたのか……」
「レオさま、はしたない娘だと呆れてしまわれた?」
リズが恐る恐るレオを見る。
この時代のレディの行動規範から大きく逸れてしまっただろうか。
「まさか! 行動力に驚いたくらいさ。うちの部下もこのくらいの判断力と行動力が欲しいものだ」
よかった、と、安堵する。
「でも……シュテファンさまが本当に愛していらっしゃる方なら……お二人の幸せを祈りたい。そんな女でありたいのです」
自分がシュテファンを手に入れたいがためにシュテファンの今の幸せを壊すことは、リズにはできなかった。
そうまでして手に入れた幸せは、本当に幸せなのだろうか。
――シュテファンさまに愛されている女性……どんな方なのかしら……
それだけは、とても気になる。きっと、とてもいい女なのだろう。
「しょうがないなぁ……。煽った俺にも責任があるから、よし、俺も一緒にやるよ」
「え?」
「どうせ、シュテファンの相手が判明するまで、頑張るんだろう?」
はい、と、頷くリズに、レオはにこりと笑った。人懐っこい笑顔はいつもリズの心にあたたかい光を灯してくれる。
「心行くまで、やるといい。付き合うから」