二〇二七年九月六日。
秋晴れとはほど遠い、そんな今日。とうとう撮影が始まった。
基本的な流れとして、毎週月曜日、ノー部活の日を撮影日に設定。残りの日程で、諸々の事務作業や、放送部、プログラミングクラブによる、編集作業を行うことになった。
「に、してもあっちいなあ」
長谷川君は真夏ではあるが、今日は学ランを着てもらっている。なにせ、最初のシーンである、二〇一六年一二月一五日。主人公である輿水大気さんの事故シーンの撮影だからである。
AIに聞いたところ、基本的な撮影では、同じ場所で、使うシーンごとで一気に撮影するものだと言う。その方が効率的であるし、学校の敷地外の場合、毎度毎度許可取りをする必要がないためである。
ただし今回は、あえて演者の感情移入をしやすいようにということで、史実通りというか、実際の時系列通りに撮影を行っていくことにした。というのは建て前。実際には、脚本自体が、完成していなかった。前半部分は、夏休み中になんとかなった。ただし、あの大気さんの生き返りの部分が不明確過ぎて、そこから何かに取りつかれたように、筆が動かなくなった。
「まあ、スポーツ選手じゃないけど、作家にも調子があるもんね」
渚から叱責というか、「まあしょうがないよね」程度にしか、捉えられなかった。
「まあ、橘さん、すごいよね」
手を団扇のようにして、必死に仰ぐ長谷川君は、気だるそうに話し掛けてきた。
「何が?」
「いや、今回の小説。よく書こうと思えたね」
「まあ、中学生だし、暇だったんだと思う」
「そうかな? 暇だったら、別のことするけど」
「長谷川君なら、何をするの?」
「普通にモンハンしたいな。野球も好きだけど、ぶっちゃけ部活で十分」
「あはは、意外にそこは冷めているのね」
「んー、まあね。自分の実力は理解しているつもりだし、その分努力すべきものと、その掛けようは考えているつもり」
意外というべきか。いや、よくよく考えてみたら、当たり前だろうか。長谷川君は思ったよりも頭がいいようだ。だからこそ、野球部のキャプテンに選ばれている。
「おっと、そろそろかな」
夕日が傾き、事故シーンとなる、学校近くの新荒川橋には、渚、キャストに加え、撮影隊の生徒会と放送部が揃っていた。
「てかさ、このシーン、本当に今撮影していいの?」
長谷川君はまだ学ランを着ていなかったが、見るからに嫌そうな表情をしていた。それはそう。暑すぎる。半袖で立っていることすら苦しいのに、学ランはきつい。
「いや、今回は練習の撮影らしいよ」
「は? そうなの?」
長谷川君の驚く表情をし、どうやら渚が伝え忘れていたようだ。いや、あえてそうしたのかもしれない。
「うん。本当の撮影は、せめて十一月くらいにするかな」
「じゃ、今回はなんで」
「あくまでも私たちは素人だし、最初から流れに沿って撮影した方が、感情移入しやすくて、みんなで色々工夫やアイデアを出せるかなって。部分部分撮影だと、なかなか感情移入しにくいし、撮影隊自体も、ただの作業になっちゃうしね。だから今回は練習を兼ねてってこと。でも本気でやるから、長谷川君、よろしくね」
渚が考えたそのアイデアはナイスである。私と渚で演出やら諸々指導したところで、素人に変わりない。それならば、アマプラやネトフリでコンテンツ中毒になりつつある私達世代なら、みんなで意見を出し合った方がいい撮影ができるかもしれない。
「さあ、やるよー!」
渚の大声に従い、自転車にまたがった演者の長谷川君と、撮影隊、そして見学の残りのキャストが配置につく。
基本的にこのシーンでは、デートに行く輿水大気さんが、自転車に乗り、橋の上を通るシーンとなる。お互いに部活動の忙しかった二人にとって、たまたまできたデートのチャンス。相当嬉しかったはずだ。さらにその上で、橋の上から見える夕暮れに、輿水大気さんはひどく感動する。それはその美しさもあるが、何よりもその風景を姉に見せたかったと思い、スマホで写真を撮影したという。私のような部外者がいうことではないが、相当恋愛にどっぷりしていたのだと思う。ちなみに、回収された大気さんのスマホには、その写真が残っていた。
「はい、アクション」
その声と同時に、撮影がスタートする。橋の手前に位置した撮影隊に向かって、自転車を漕ぐ長谷川君(輿水大気さん)が漕いでくる。その表情は明るく、でも何か期待しているようなものであった。
「はい、ストップ」
渚が止めた瞬間、演者の二人は爆笑していた。
「お、おい何だよ」
「ごめんって。涼香も思ったと思うけど、力入り過ぎ」
「んな、そうか?」
「うんうん」
確かにそうだ。撮影されていることに意識が行って、何というかぎこちない。自転車を漕いでいるはずが、まるで初めて三輪車に乗った幼稚園児のように見える。
「春、どう思う?」
「渚も思ったかもしれないけど、確かにね、意識し過ぎているというか、緊張し過ぎかも」
「そうねえ。うん」
ため息をつきながら、渚はしょうがないなと長谷川君の肩を叩く。
「翔太。緊張し過ぎよ」
「んなこと言われても、しらねえよ。演者なんてやったことねえし、いくら演劇部の連中に教えてもらたってさ。しかも、そりゃいきなり学校の外で撮影しているし」
「もう少し、視線を変えてみたら?」
「視線?」
「うん。カメラを意識し過ぎ。一旦さ、うちら撮影しないから、普段学校から帰るように漕いでみて」
「お、おう」
一旦撮影隊をどかし、遠くから長谷川君の自転車の様子を見守る。私たちが見ているということもあるが、先ほどより、各段に良くなった。自然体である。でも、それでもぎこちなさが残る。
「おう、どうだった?」
「幼稚園児から小学生くらいになったかも」
「な……」
長谷川君と渚のやり取りに、再度演者二人が大爆笑。確かにそれでも自然というか、今度はただ自転車に乗っているだけで、特別感が無い。まるで、風景のように見えてしまうから、難しい。風景になり過ぎず。けど不審者過ぎず、そういった演技が求められる。
本当に長谷川君にできるのだろうか。もう練習ではあるが、撮影はスタートしている。そうは言っても、まだ傷口は大きくならず、何とかまとめられるような気がしてしまう。けど、渚はそんな私をよそに、長谷川君に細かく指示を出す。
「おっけい。じゃあ次にさ、最近あった嬉しいことを思い出しながら、自転車漕いでみて」
「嬉しいこと?」
「うん。いつも自転車を漕ぐ時って、何か考えたり、何かしたりしているでしょう? その一つとして、楽しいことを考えてみて
渚の問いかけに対して、長谷川君はうーんと唸る。
「英語の小テストを合格したとか?」
「弱い。そうじゃなくて、例えば高校に入学した時とか」
「受験のこと?」
「そう、翔太ってバカだから、ずっと心配してたじゃん? でも受かったって分かったらめちゃくちゃ喜んでたし、それでいいや」
「おい!」
怒りつつも、長谷川君的に納得した様子。その上で渚は撮影隊に対し、こっそりと、今の遠くの位置から長谷川君を撮影するように指示を出す。
「はい! 次も練習ね、アクション!」
また長谷川君が自転車を漕ぎだす。ただし、先ほどよりも自然に、その上で目立っている。長谷川君自身のアドリブだろう。自転車を立ち漕ぎして、その上で表情を明るい。まるで夕焼けに走っていくような、いや、そうというか、未来に走っていくような、青年の姿を感じる。自然ではあるが、地味過ぎない。どこかにいそうな男子高校生。でも、この場に置いて、主人公としてふさわしい画になっていると、直感的に感じた。
「はい! ストップ!」
他の演者の二人も、「おー」と驚いている様子。かなり良かった。
早速撮影したタブレット端末を、渚と共に確認する。うん、とても自然である。
「ごめん春、こういう撮影の仕方どうかな?」
おそらく渚としては、私が書いた演出案と違うことに、気にしている様子。確かに、遠目からの画はこれで十分ではあるが、近場からの画が取れていない。
「いや、最初より全然いい。きっと当時の大気さんもこんな感じだったんじゃない?」
「そうかな……分かった。けどこれじゃ足りないよね?」
「うん。もう少し、画が欲しいかな。後々それをどう使うかは検討したいし」
「改めて、この場から見ると、春だったらどんな画が欲しい?」
そう渚に言われ、じっくりと考える。
最初の事故のシーンだが、その直前までは、ザ・青春と言って過言では無い。なるべく、アオハルさを出したい。たしかに長谷川君の姿は画になるが、もっと見ている人が、より印象的に感じるような画が欲しい。
「例えばさ、自転車の車輪」
「車輪?」
「うん。車輪だけが動いている画とか。その背景に、橋から見える川の表面がキラキラ光っている画とか。車輪自体を追っかけるより、どこかに固定したカメラで撮ることで、自転車が過ぎ去っていくスピード感を出せるんじゃないかな」
「おー、なるほどね。たしかにこの場面、大気さんは橘先生とのデートに早く行こうと焦っていた。つまり、楽しさもありつつも、でもどこか焦りがあったということね」
「うん。まあ使うかどうかは置いといてだけど、撮影しときたいな。いい?」
「うん。もちろんよ!」
渚は大きく手でジェスチャーしつつ、長谷川君たちに指示を出す。長谷川君は何のことだか分からずに、「おい、おっけいってこと?」と大声で叫んでいた。その後、画を変えた何パターンかを撮影し、最初の輿水大気さんの事故シーンの撮影は、その日のうちに終えられた。気が付いたら、とっくに夜になっていた。