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第13話 悪女なんで愛人を作りましたの 3

 いつしか、耳に入ってくる音は鳥のさえずりや木々のざわめき。


 もういいですよ、とばかりにマルタンがアルチュールの髪や肩についた葉を取った。頬についた泥をハンカチで拭う。

 私とアルチュールは目を合わせた。

 よしよし、とアルチュールの頭を撫でた途端。


「……姫、おじちゃんのお嫁さんになっちゃうの?」

 アルチュールにうるうるの目で非難され、私は裏返った声で聞き返した。

「……お、お、おじちゃんのお嫁さん?」

「僕、姫をお嫁さんにちたかった」

 ……や、拗ねている?

 胸きゅん。

 可愛い。

 お姉様と結婚できない、ってエドガールが知った時を思い出した。


「ありがとう。わたくち、おばちゃんだからね」

 アルチュールの頭をさらに激しく撫でまくると、きょとんとした顔をされた。

「姫がおばちゃん?」

「おばちゃんなのよ」

「お祖父ちゃまが悪しき輩に負けた、って」

 アルチュールは私と婚約できなかった理由を的確に把握していた。スーレイロル公爵よりソレル伯爵の権力が上回った。そういうことだ。


「あ~っ。そだね」

「ぼく、お嫁さんにちたい」

 ぎゅっぎゅーっ、とアルチュールに手を握り直され、潤んだ目で見つめられた。

 リアル天使の破壊力がヤバい。

「ありがとう」


「ぼく、大切にするよ」

 前世も含めてそんなことを言われたのは初めて……いや、令和の残念な女時代も含めて言われたことがない。

 この子、侮れない。


「ありがとうでち」

 私はお礼を言うことしかできなかった。


「あ~っ、なんとかならねぇのかなぁ」

 マルタンが独り言のように零すと、ベビーブルー色の髪と目を持つ騎士が歯痒そうに言った。

「ソレル伯爵はベルティーユ王女を取りこもうと必死だ。アルチュール様を排除したくてたまらないんだろう」

「それでいきなり婚約命令かよ」

「アルチュール様が婚約すれば、ベルティーユ王女との縁は消える」

「だからって、あれはないだろう。本当にスーレイロル公爵家に相応しい令嬢か?」

 よりによってソレル派の令嬢ばかり、とマルタンは腹立たしそうに続けながら地面を踏み鳴らした。

「令嬢といっても子供だし、親に焚きつけられたんだろう。アルチュール様は王位継承権を持つ大貴族だ」


 初代スーレイロル公爵は初代国王の異母弟であり、王位継承権を持ち続けている。今までに何人もの王女が降嫁した。列強の皇女も降嫁し、ダルシアク公爵家が滅んだ後の筆頭公爵家。

 元々、王位継承権を持つ大貴族なんて数えるぐらいしかないから、アルチュールは幼いながらも最高の優良物件。


 私は貴族女性の道を改めて思い出した。

 何せ、結婚か修道院の二択しかない。その結婚にしても天国と地獄ほどの差があった。最高の優良物件を巡り、血が流れても仕方がないのかもしれない。

 今、アルチュール以上のフリー物件は公の場に出ることもできない王太子のみ。


「それでもあれはひどい。アルチュール様に決めさせろ、って庭園に放りこむなんてさ。ソレル伯爵夫人は悪魔だ」

 マルタンの言葉を聞き、私は顎を外しかけた。


 ソレル伯爵夫人が『幼児に婚約者を決めさせろ』って、女児軍団とアルチュールを庭園に移動させたの? ここはややこしいマナーが多い王宮よね? 無礼講の宴会じゃないよね? 誰も止めないの? いつから王宮はソレルの言いなりになった? 


 確実におかしすぎる。

 私の背筋に冷たいものが走った。


「ベルティーユ殿下とアロイス卿の婚約が決まったから調子に乗ったんだろう」

 ソレル派の勢いは末端の騎士でも知っている。

「あ~っ。悔しい。ダルシアク公がご存命ならばこんなことには……」

「言うな」

「国王陛下も王太后陛下もどうしてなんの手も打たない?」

「ベルティーユ殿下の御前だ。落ち着け」


 ううん、落ち着かなくていい。

 もっと教えて……って、話して。

 マルタンたちを急かそうとしたら、アルチュールに話しかけられた。


「べるちちゃま」

 ……あ、ベルティーユ様、って言おうとしたんだね。

 全私でわかるよ。

「あい」


「僕のお嫁になって」

 アルチュールの顔が近づいたと思ったら、頬にキスをされた。チュッ、と。


「ちゅーちた」

 リアル天使の無邪気な笑顔に完敗。

 こやつ、やるな。


「うん。姫もキスちて」

 目をうるうるされて、遠い日の弟を思い出した。キスしなかったら、とんでもなく面倒なことになる。

「甘ったれめ」


 ちゅ、とアルチュールのぷっくりほっぺにキスした途端、甲高い悲鳴が上がった。


 いつの間にか、背後に首席侍女や近衛騎士たちが迫っていた。

 侍女たちは自然の森から逃げたんじゃなかったの? 

 ……王室専属魔法師がいるから、私の居場所がわかったのかな? もしかして、アルチュールは気づいていた? 見せつけるためにキスしたの? 違うよね?

 ほんの一瞬で、疑問が立て続けに浮かぶ。


「ベルティーユ王女様、今まで甘やかしてしまいました。教育を見直さなければなりません」

 首席侍女たちが今にも鞭を取りだしそうな顔で言うと、マルタンが地を這うような低い声で言い返した。

「首席侍女の責任でしょう」

 マルタンが意見するとは思ってもいなかったらしく、首席侍女の顔は醜悪に歪んだ。

「なんですって?」

「ベルティーユ王女のおふるまいは首席侍女や侍女たちの責任です。全員、更迭が妥当」

「おだまりなさい」


 ……その手があったか。

 私が悪女を極めれば、ソレル派の侍女たちを一掃できる?

 首席侍女たちは憤慨したけれど、闇夜の海で灯台の光を見つけた気分。

 私はアルチュールの手を握り直すと、首席侍女たちに宣言した。


「わたくち、あるちーるを愛人にちゅる」


 微妙に呂律が回らなかったけれど、周囲の顔を見る限り、通じたよね? 

 グッジョブ、私。


 マルタンや近衛騎士たちは口をポカンと開けたまま固まっている。イケメンはこんな時でもイケメンなんだね。

「ベルティーユ王女様、お疲れですね。お部屋に戻りましょう」

 首席侍女、スルーしやがった。

「アルチ~ルと一緒にカヌレ、モグモグ」

 私はアルチュールの手を掴みなおしながら足踏みした。

 悪女たるもの、ここで魔力を爆発させるべきかな?

 ……ううう……青々と生い茂っている草木を燃やしちゃ駄目だよね?

 樹齢三千年っていう噂のクスノキもあるし、伝説の大魔法師が魔力を倍増させたっていう噂のユリノキもあるし、豊穣の女神が微睡んだっていう逸話付きのアカシアもあるし。


「アルチュール様はお約束がございます。邪魔してはいけません」

「いや」

「ベルティーユ王女様は我が国の煌めく星です。我が儘を申さないでください。国民のお手本となる態度を心がけてください」


 ふんっ、と私は鼻を鳴らしてからマルタンに命令した。

「マルタン、わたくちはアルチルとモグモグするの。邪魔させないで。命令でち」

 舌の呂律は妙だけど、マルタンにはきっちり通じた。

「デュクロの煌めく星、承りました」

「……おどきなさい。ご存じないかもしれませんが、私の父は宰相です」

 首席侍女の権力入り圧力にも、マルタンは怯まなかった。

「第四王女のご下命にて」


 マルタン、後は任せた。

 私はアルチュールと手を繋いだまま走りだした。


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