アロイスの筋肉に頼ればあっという間に、初代皇帝夫妻の肖像画が飾られた大広間。
ここで引いたら詰む。
なんとか手を打たなきゃ。
「あるち、誰と結婚ちたい?」
私が確認するように聞くと、アルチュールはアロイスの腕の中で答えた。
「姫と結婚ちたい」
アロイスが『例のおじさん』だって知らないのかな?
「わたくち、おじさんと結婚」
パンパンッ、と私はおじさんの腕を叩いた。
アロイスは無表情のまま聞き流し、秘書官は口元を緩めている。ぶはっ、と盛大に噴きだしたのは聞き耳を立てていたマルタン。
「かなちい」
アルチュールの目がうるうる。
「さっき、可愛い女の子、たくさんいた」
「怖い」
アルチュールのつぶらな目が恐怖で潤み、ぎゅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ~っ、とアロイスの腕を掴みなおす。
よっぽど?
「あるちのお嫁さん候補」
ひとりぐらい気になる子はいなかったのかな?
「いやだっ」
リアル天使の拒絶反応が半端ない。
トラウマレベル?
……まぁ、私もアルチュールにはもっと優しい子と結婚してほしい。
「悪いおじちゃん、いる。あるちのお嫁さん、悪いおじちゃん、決める」
自分でも何を言っているのかわからなくなったけれど、アルチュールにはちゃんと伝わったみたい。
「やだ。いやだ。姫の騎士になる」
第四王女と結婚できないとわかったら騎士希望?
わかった。
よ~くわかったよ。
いざ、尋常に勝負。
私は心魂に必勝の鉢巻きを巻き、アロイスに抱かれたまま大広間に突撃……じゃない、入った。
純金と魔石がふんだんに使われたシャンデリアの下、国王陛下を中心とした主要貴族が揃っている。私の首席侍女や専属侍女、専属騎士たちもぞろぞろと入ってきた。
私とアルチュールはアロイスにしがみついたまま。
アロイスは子供をふたり抱いた体勢で、陛下に向かって略式の礼を取った。
誰も咎めたりはしない。
感情を出さないように叩きこまれているから、国王陛下の表情はこれといって変わらない。
けど、何か楽しそう?
「ベルティーユ、アルチュールをそんなに気に入ったのか?」
陛下に鷹揚に尋ねられ、私は力強く頷いた。
「あい」
「アロイスの嫁になるのではなかったのか?」
「アロイスの嫁になる」
「アロイスの嫁になれば、アルチュールの嫁にはなれぬ。わかるな?」
「アルチュールを愛人にする」
私の爆弾発言に、国王陛下や宰相、スーレイロル公爵たちはいっせいに息を呑んだ。あのソレル一族もびっくりして固まっている。
「……どこで『愛人』という言葉を覚えた?」
お父様、忘れたの?
三歳児に向かって初めて『愛人』なる言葉を口にしたのは父であるあなたよ。
「お父ちゃま」
人差し指で指すと、陛下は思い出したみたい。
「……そういえばそうだったな」
陛下は思案顔で唸りつつ、横目でソレル伯爵や宰相を眺めた。どちらも、苦虫を嚙み潰したような顔をしている。
「アルチュール、私の愛人にする」
よし、ちゃんと言えた。
貴族社会において、政略結婚は義務なの。だから、夫も妻もそれぞれ愛人を持つのよ。ただ、決して愛人におぼれず、家庭をキープしたまま貴族人生をまっとうする。
愛人をひとりも持たなかったダルシアク公爵夫妻が稀。
ソレル伯爵にもスーレイロル公爵にも宰相にも愛人はいるの。アロイスも表向きは夫人の子供だけど、実際は愛人が産んだ婚外子よ。
「スーレイロル公爵、どう思う?」
陛下が苦笑を漏らしながら尋ねると、スーレイロル公爵は神妙な面持ちで答えた。
「アルチュールも愛らしい姫を好いております」
「よいのか?」
「野暮ですぞ」
「重ねて尋ねる。……よいのか?」
陛下が念を押すのも無理はない。愛人文化が熟成しているとはいえ、筆頭公爵家の後継者を愛人にするなど、ありえない。
「国の剣でも恋は止められますまい」
「そうであったな」
「我が孫のためにお集まりくださった令嬢には申し訳ない」
スーレイロル公爵は謝罪のポーズを取ったけれど、痛烈な嫌味ね。おそらく、強引にセッティングされたお見合いに、腸が煮えくり返っている。
「余に免じて許してもらおう」
「アルチュールの心には愛くるしい姫君がいらっしゃる。陛下も第四妃もご存じでしょう」
スーレイロル公爵が第四妃の名を出すと、実家のラグランジュ侯爵家当主が渋い顔をした。何せ、ラグランジュ侯爵令嬢はアルチュールの正妻の座を狙っているもの。
場の流れを見ていたものの、耐えられなくなったみたい。ソレル伯爵がこめかみを揉みながら口を挟んだ。
「なんと、建国史に名を刻んだ公爵家の跡取りを愛人にするおつもりか?」
「ソレル伯爵、詐欺師でも己の心は偽れぬ」
スーレイロル公爵が堂々と言い返すと、ソレル伯爵は愛国心を漲らせた。
「国のためにもアルチュール様には婚約者をお決めになってほしい」
ソレル伯爵はスーレイロル公爵から国王陛下に視線を流した。……これ、陛下に圧力をかけているのかな?
負けないで、と私は心の中でエールを送る。
「ソレル伯爵、余の父である先代国王の恋を知っているか?」
突然、陛下は実父であるフレデリク七世の真実の愛に触れた。第四王女の祖父の恋物語は国の隅々まで知れ渡っている。
「……恥ずかしながら、田舎育ちなものですから」
「余の父は平民出身の伯爵家養女に一目惚れした。以来、一途に愛した。なれど、政略結婚は受け入れ、国王の義務を果たした」
「さようですか」
「天に召されても一途に愛しているようでの」
陛下が呆れたように言うと、ソレル伯爵は苦笑を漏らした。
「それはそれは……」
「恋は止めなくてもよい」
「止めるならば今のうちですぞ」
「止めて止まるような恋ならば幸い」
「お可哀相ですが、止めましょう」
「恋が止められるのならば、何故、我が父は苦しみ抜いたのであろう?」
禅問答みたいになってきて、私はついていけない。
アロイスやマルタンたちも微妙な表情だけど、スーレイロル公爵の眉間の皺は深くなった。
ソレル伯爵もだいぶ苛立っているみたい。
「陛下、そこまでになされませ」
「デュクロの恋は止められぬ。そう心得よ」
陛下は帝王然とした態度でソレル伯爵を撥ねつけた。そうして、私とアルチュールに向かって微笑んだ。
「ベルティーユ、アルチュール、恋を楽しむがよい」
陛下のお墨付き?
今だ、と私は心の中で勢いこんだ。
「お父様、鞭が怖い」
私が目をうるりとさせると、その場の空気が一変した。喉を引き攣らせたのは、私の首席侍女や専属侍女たち。
「……なんと?」
陛下の目が怒気を帯び、不快感を隠そうともしない。背後の侍従長は威嚇するように周囲を見回した。
「鞭はいや」
「王女であるそなたに誰が鞭を使った?」
「家庭教師、侍女、みんな、いや」
私が泣きそうな顔で言うと、アルチュールも同意するように大きな相槌を打つ。必死になって、陛下に訴えかけた。
「姫に鞭、駄目。悪魔みたいなおばちゃん」
私とアルチュールの訴えに静まり返る。
スーレイロル公爵は静かに怒っているし、陛下の雰囲気も普段とは違う。
「あいわかった」
首席侍女が何か弁解しようとしたけれど、父親である宰相にきつい目で止められた。
ソレルの操り人形と化した宰相も最後の矜持は持っているみたい。
「騎士、いや」
この機会にソレル派の騎士も排除したい。
「よかろう」
私はマルタンやベビーブルーの髪と瞳の騎士など、つい先ほど、アルチュールを守った騎士たちを人差し指で指していった。
「マルタン、このお兄ちゃん、こっちもこっちも……こっちからこっちのお兄ちゃんもわたくちのきち」
私の騎士にして、と言いたいのに舌の呂律が回らなくなってきた。それでも、ちゃんと通じたみたい。
「ほぅ……我が娘、お気に入りの騎士がいるのか?」
「あい」
「よかろう」
陛下の一声で、マルタンたちは私の護衛騎士になる。その場でマルタンたちは私に騎士の礼を払った。
アルチュールが祝福するように手を叩くと、マルタンは嬉しそうにウィンクを飛ばす。
「陛下、甘すぎるのではないですか?」
ソレル伯爵が苦言を呈したけれど、陛下は鷹揚に首を振った。
「よい。元気で育ってくれさえすれば」
子供を次から次へと失った父親の悲哀に、ソレル伯爵も二の句が継げなかったみたい。
やった。
※※※
ケガの功名?
アルチュールは凄絶なトラウマを植え付けられたみたいだから可哀相だけど、私はソレル派の首席侍女や教育係、騎士たちを一掃することができた。
洗脳担当の伯爵夫人は貴族の身分を剥奪され、戒律の厳しい修道院に送られたという。
アロイスやスーレイロル公爵が奮闘してくれたらしく、首席侍女はスーレイロル派の伯爵夫人になったし、専属侍女のひとりにクロエが入った。
これで少しは風通しがよくなるはず。
私はクロエが淹れてくれたショコラを飲みながら今後の計画を立てた。