……う……いくらなんでも言えない。
私、ウザい女になっちゃう。
……って、言わなきゃ、わかってくれないのよね?
「アロイス、ニノンと腕を組んでは駄目」
エグランティーヌ時代には言いたくても吞みこんだ思いを初めて口にした。震えたから、ばあやには気づかれたみたい。
「いつもニノンが勝手に絡みついてきたようです」
無表情で固まっている婚約者に変わり、秘書官が事務的な口調で返事をくれた。
「私の婚約者はニノンに触れちゃ駄目。触れさせちゃ駄目。ふたりきりで会っても駄目。挨拶以外、喋っちゃ駄目」
一度口に出したら止まらない。エグランティーヌ時代の鬱憤が雪崩ように口から飛び出してくる。 あの時もあの時もあの時もあの時も、本当に辛かったの。悲しかった。寂しかった。本当はニノンの勝ち誇ったような顔に扇を投げつけたかった、って。
「ベルティーユ様、その調子です」
秘書官のエールに私の口はフル回転。
「ニノンに笑いかけちゃ駄目」
「アロイスはニノンどころか誰にも笑いかけません。目の錯覚です」
目の錯覚、と秘書官に断言されたうえ、イレールやクロエたちも賛同するように頷いた。けど、釈然としない。
「ニノンに優しい顔をしちゃ駄目」
ニノン相手とエグランティーヌ相手では表情が違ったの。態度も声音も雰囲気も、すべて違ったのよ。
「不愛想な大馬鹿野郎はニノンどころか誰にも優しい顔を向けません。目の錯覚です」
秘書官はとうとう自分の主人を『無愛想な大馬鹿野郎』と言い切った。アロイスも自覚があるのか、謝罪するように私に一礼。
それでも、深淵に突き刺さった棘は残ったまま。
「私に対する表情とニノンに対する表情が違ったの」
「……それ、朴念仁が高貴な婚約者に緊張していただけでしょう。ニノンやほかの令嬢にはなんの感情も持っていないから緊張しない。誤解です」
秘書官曰く『朴念仁』が誰か、確かめるまでもない。アロイスに関し、ばあやに言われた言葉も重なる。
……あれ、あれは……私を、エグランティーヌを意識しすぎたからあの態度?
不器用だとは知っていたけれど、あまりにも不器用すぎるよね?
けど、不器用は免罪符にならない。
「許せないのよ。アロイスは半径一メートル以内にニノンを近づけちゃ駄目っ」
私がばあやの膝で力むと、秘書官は称賛するように手を叩いたの。
「姫様、それです。脳内筋肉の朴念仁にははっきり言葉にしないと伝わらない。肝に銘じてください」
アロイス、脳筋だったの?
計算とか数字には強かったわよね?
「ニノンにどれだけいやがらせされたと思っているのよ。二度と……って、どうしてみんな、笑っているの?」
ようやく、私は我に返った。
コランタンやイレール、ばあやにクロエにリアーヌたち、みんな、楽しそうに笑っている?
「姫様、続けて。朴念仁はようやく自分の片思いじゃないとわかったようです。初恋は実らないもの、と諦めていたアロイス少年は……」
ボカッ、と秘書官はアロイスに殴られて苦しそうに蹲った。
とうとうアロイスの鉄拳。
「朴念仁……アロイスは片思いだと思っていた?」
エグランティーヌの気持ち、知らなかったの?
どうして?
「姫様、ばあやの言った通りでしょう。ばあやの言葉を信じないからですよ。もったいないことをしましたね」
ばあやにしたり顔で頬を撫でられ、私はむくれた。ぎゅっ、とばあやのドレスを摘まむ。これは子供時代のエグランティーヌの癖。
「……いや、あれはアロイス様が悪い。姫様は悪くない」
秘書官がフォローすると、イレールもアロイスを非難した。
「そうだ。男としてあれはない。姫様は悪くない」
「……うん、私は悪くないわよね。アロイスが悪いのよね?」
私が改めて同意を求めると、アロイス以外の男性たちは賛成するように頷いてくれた。
「そうです」
「アロイスが悪い。同じ失敗は許さないわよ……って、こんな話じゃない。エドガールを探す話をしたいの」
はっ、と気づき、私は慌てて話を戻した。
これ、商団設立を流されるところだった?
その手には乗らないわよ。
「姫様、今までさんざん手を尽くしました。ハーニッシュ帝国やワイエス帝国、シュタルク帝国も捜索済みです」
秘書官に重苦に満ちた顔で言われ、思わず、私は声を荒げてしまう。
「エドガールは生きているわっ」
「はい。エドガール様はご無事だと思われます」
「どんな手を使ってもいいから、エドガールを探して」
「ありとあらゆる手を尽くしました。……と、言いたいところですが、探し方を変えたほうがいいのかもしれません」
「そうね。右から行っても駄目なら左から行って」
「エーチャ騎士団はソレルに敵視されています。イレールは何度も命を狙われました」
いきなり、秘書官が話題を変えたらびっくりした。けど、イレールは何も言わず、辛そうに一礼するだけ。
「……そんな……」
ソレル伯爵を始めとする多くのソレル派は、イレールがエグランティーヌの元専属騎士だと知っている。生き残りも許さないの?
「イレールやエーチャ騎士団はロゼ商団に守られているようです」
突然、ワイエス帝室御用達の大商団名が飛び出したから面食らった。すべてにおいてソレル商団とはスケールが違う。ワイエス帝国を拠点にデュクロ王国やシュタルク帝国にも支店を置き、東国や北国にもルートを持っている。
「大陸一の大商団?」
「結束が固くて、ロゼ商団にはソレルも食いこめない。デュクロ王室も列強の帝室も潰せない。ある意味、最強の組織です」
噂だけど、ロゼ商団の総資産はデュクロ王室やワイエス帝室を超えるという。その気になれば爵位も手に入るのに、あえて爵位を手にしないとも。
「ロゼ商団主の夫人は伯母様よ」
亡きお父様には年の離れた異母姉様がいたの。ダルシアク城には肖像画が何枚も残っていたけれど、美しい淑女。
『絶世の美女だからといって幸せになるとは限らない』という格言のひとり。
「そうです。ジュー夫人はエグランティーヌ様とエドガール様の伯母様にあたりますね」
伯母様にお会いしたことは一度もなかったけれど、亡きお父様から何度もお話は聞いた。ずっと慕い続けていたもの。
「伯母様がイレールたちを守ってくれているの?」
「間違いなく」
「伯母様はダルシアク家を恨んでいるのではないの?」
ジュヌヴィエーヴ・シャンタルレ・ラ・ダルシアク。
高貴な名前を持つ伯母様のお母様はワイエス帝国の皇女。
お祖父様の命令で商人に嫁がされ、高貴な名前を名乗ることができなくなった。『ジュー』と名乗っているという。
貴族子女にとっては屈辱的な結婚。
そういえば、地下牢でソレル夫人がさんざん伯母様を詰った。
「ダルシアク革命の折、ロゼ商団はロゼ騎士団や傭兵を出し、公女様と小公爵様を助けようとしました。国王陛下には王命を下すように脅した模様」
あの日、ソレルはダルシアク城や城下町など、主要個所にあるゲートの使用を禁止した。ロゼ騎士団もゲートを使えず、馬を走らせることになったんだろう。
「……伯母様が?」
「実際、動いたのは、商団主と息子たちです」
「息子たちなら従兄弟ね」
「ダルシアク革命の異常な速さの理由が判明しました。おそらく、ロゼ商団に介入されたくないから公女様の処刑を早め、革命の早期幕引きを図ったのでしょう」
「私、拷問されると覚悟していました」
ぶわっ、と最も屈辱に満ちた苦しい時が脳裏に蘇る。