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第21話 俺はソレル家の次男坊 3 (アロイス視点)

 幼い頃から俺には剣だけ。


 なのに、今、剣と同じ場所にエグランティーヌ様がいる。恐れ多くも主君の娘だ。

 俺は馬鹿か。


 エグランティーヌ様を初めて垣間見た時、精霊か何かだと思った。人間の美しさじゃなかった。


 一目見た瞬間、俺の心は奪われた。


「アロイス様、エグランティーヌ様の綺麗な顔に騙されちゃ駄目よ。ああ見えて、とっても意地悪なんだからぁ」

 ニノンがことあるごとにエグランティーヌ様について耳打ちした。

「アロイス様、エグランティーヌ様にまたいじめられた。みんなの前では優しいのに陰でいじめるからひどいのよ……ちょっと、聞いている?」


 ……エグランティーヌ様が意地悪?

 俺が知る限り、ダルシアク公爵閣下には従順な娘だし、エドガール様にとっては優しい姉君だし、使用人や騎士たちには優しい主君だ。

 我が儘な令嬢だったらいいのに、身分に関係なく、誰に対しても優しい。俺の心は完全におかしくなった。


 初恋だと自覚したくなかった。だが、自覚せずにはいられなかった。しかし、気づかれないように気持ちを深淵に沈めていた。




 だから、婚約者になったと聞いた時、信じられなかった。

「父上、どうしてそんな嘘を……」


 まさか、俺の気持ちに気づいているのか?

 それで揶揄われているのか?

「アロイス、嘘ではない。お前はエグランティーヌ様と結婚し、子爵位を授けられる」

 鼓舞するように肩を叩かれたが、俺は何がなんだかわからない。


「……は?」

 夢でも見ているのか?

 俺に都合のいい夢?


「お前は魔力も武勇も優れている。国随一、とすでに称えられている。さすが、我が息子、鼻が高い。……ダンスはできるか?」

 城下町で見た祭のダンスか?

 ソレル騎士団の酒盛りでのダンスか?


「……ダンス? ソレル騎士団の裸踊り?」

 パートナーは騎士だったり、酒瓶だったり、樽酒だったり。なんにせよ、女人禁制のダンスだ。


「……そ、その様子だと基礎のステップも知らないのか?」

 しまった、と父上がこめかみを指で揉むと、母上が血相を変えて口を挟む。

「私が教えます」

 母上に覚醒するように両頬を叩かれ、俺は自分を取り戻した。ソレル騎士団の裸踊りはダンスじゃないな、と。


「エグランティーヌ様をリードして踊れるようにならねばならん」

 父上に肩を揺さぶられ、俺は掠れた声で反論した。

「無理だ」


 デュクロ王国中の騎士相手でも戦って勝つ自信ならある。なんの前触れもなく、近衛騎士団の練習試合に放りこまれても俺は負けなかった。

「お前ならできる」

「無理」

 父上は馬鹿か。エグランティーヌ様が眩しすぎて、ダンスどころか横に立つことさえ想像できない。

「無理でもやれ」

 未だかつてこんな父上は見たことがない。


「……って、どういうことだ?」

「お前がエグランティーヌ様の婚約者に決まった。そういうことだ」

 バンッ、と父上は勢いよくテーブルを叩いた。

「嘘だろう?」

「本当だ。一日も早く、お前はソードマスターになれ」


 ここでいきなりソードマスター?

 どうして、そうなる?


「……ど……そ……え?」

「お前、大丈夫か?」

 そんなところも兄上そっくり、と父上は肩をがっくり落とす。母上もどこか遠い目をした後、俺を力強く抱きしめた。

「……夢でも見ているような気分だ」

 偽らざる正直な気持ち。


「夢じゃない」

 ぎゅっ、と父上は俺の頬を摘まんだ。

 確かに、痛感はある。


「どういうことだ?」

 どうして、俺が?

 エグランティーヌ様は高根の花なんてもんじゃない。

 本来、そばに近寄ることすらできない姫だ。

 何故?

 エグランティーヌ様には高位貴族のみならず列強の皇族からも求婚状が届いていたはずだ。いくらダルシアク公爵家でも、大帝国からの求婚は拒めない。


 俺の失恋は初めてから決まっていたのに。


「公爵閣下はエグランティーヌ様をそばにおいておきたい。意味はわかるな?」

 父上に確かめるように問われ、俺は深く頷いた。

「……はい」

 エグランティーヌ様を溺愛しすぎて、手放したくないダルシアク公爵の思惑が働いたことはわかった。

 エドガール様も姉君が遠く離れることを泣いていやがったこともあるのだろう。


 ……それでも、俺?

 俺なんかが?

 俺でいいのか?




 俺に都合のいい夢は続いた。

 ……否、夢じゃなかった。


「アロイス」

 エグランティーヌ様に手を差しだされたが、俺は触れていいのか?

 ……俺が?


「アロイス?」

 俺に高貴な姫をエスコートする資格があるのか?

 父上の言う通り、ソードマスターになればいいのか?

 まだソードマスターじゃない。

 こんなことなら、さっさと最北の氷山にこもればよかった。


「アロイス、女に恥をかかせるものじゃなくってよ」

 エグランティーヌ様の言葉が俺の心を突き刺した。心の臓が砕け散り、鷹に食われて、俺も消える……って、俺は何を考えているんだ?

「……は、はい」

「……さぁ」

 エグランティーヌ様の白い手が眩しすぎる。

 いいのか?

 ……いいんだな?

 不敬に問われないな?


「失礼します」

 恐れ多くも、エグランティーヌ様をエスコートしながら歩きだした。

 ……よし、周囲に不審者はいない。不可解な魔力の風も感じない。エグランティーヌ様の専属騎士が顔を歪めている? ……イレール? 俺に合図を送っているのか? ……なんだ?


「……アロイス、反対よ」

 精霊が何か言っている。

「……は、はい」


「壁に向かってどうするの?」

 精霊じゃなくてエグランティーヌ様だ。

 壁がどうした?

「はい」


「壁にぶつかるわよ」

「はい」

「アロイス、止まって」

「はい」

「アロイス、今日がどのような日かご存じ?」

「はい」

「私の話、聞いていないわね?」

「はい」

「私の顔をご覧なさい」

「はい」


 エグランティーヌ様、愛している。

 俺の命を捧げる。

 どうしたらいい?

 どうしたらいいのかわからない。

 不器用な俺はどう接したらいいのか、見当もつかない。


 ニノンがいろいろ助言してくれるが、それさえも頭には入らなかった。

「アロイス様、エグランティーヌ様は大帝国の皇子妃になると思っていたから、アロイスの身分に不満なのよ。可哀相に、お互いに望まない婚約をさせられたのね。けど、大丈夫よ。きっと上手くいくわ」

「…………」


 俺はエグランティーヌ様に相応しくない。

 それは身に染みて知っている。


「エグランティーヌ様に嫌われないように、そばに近寄らないこと。いいわね?」

「…………」

「エグランティーヌ様とは最低限の挨拶をするだけでいいわ。今まで通り、訓練に集中すること。いいわね?」

「…………」

「アロイス様、聞いているの?」

「…………」

「アロイス様、ちゃんと聞いて。あなたのためなのよ」

「…………」

「私はアロイス様のお父様やお母様からも頼まれているの。信用して」

「…………」

「私は誰よりもアロイス様を理解しているわ。信じてちょうだい」


 エグランティーヌ様と意味のない挨拶が行き来する日々。



 やはり、俺との婚約に不満なのか?

 俺はパーティーにパートナーとして参加する名誉も与えられない。せいぜい、専属騎士と一緒に護衛につくぐらい。

 だが、それでよかった。

 きっとエグランティーヌ様が直視できず、大恥を掻くだけだろう。


「アロイス、エグランティーヌ様に花でも贈りなさい」

 父上に言われたが、どんな花を贈ればいいのかわからない。花屋でよく見かける花の花束を買って、ダルシアク城に入ったら、母上に呆れ顔で止められた。


「アロイス、お墓参りですか?」

 虚を突かれたが、俺は正直に答えた。

「エグランティーヌ様に……」

「それは死者に捧げる花です」

 母上の顔色が青色から土色に変わった。


「……は?」

 死者に捧げる花?

 そんな花があったのか?

 花屋は死者に捧げる花を売っているのか?

「エグランティーヌ様に鎮魂の花を贈ったら、その場で婚約破棄を言い渡されます。私が選ぶからお待ちなさい」

「…………」

「もぅ、この子ったら……」


 貴族名簿に俺は正妻の子として登録されている。

 けれど、ソレル夫人は俺の実の母親ではない。

 しかし、実の子のように育ててくれた。


『私のアロイス、あなたは誰が何を言おうと私の息子よ。旦那様の魔力が強くて、私は何度も流産したの。無事に出産できたのはセレスタンだけ……魔力の強い女騎士に私の息子を生んでくれるように頼んだの』


 どこまで真か知らないが、俺の実母は夫人に選ばれたらしい。期待通り、魔力の強い子供が生まれたそうだ。

 ソレル夫人の母としての愛を疑ったことはない。兄上がふてくされるぐらい俺は甘やかされたように感じる。

 耳に焼き付くぐらいリピートされた夫人の感謝。


『私のアロイス、生まれてきてくれてありがとう……私の可愛い子……』


 俺の持っているものは魔力のみ。

 父親に並々ならぬ野心があることは知っていた。

 魔力の強い息子を得るため、女騎士に俺を産ませたこともわかっていた。

 俺をエグランティーヌ様の婿にして、ダルシアク公爵家に食いこむ気なのだろう。エドガール様の代も、家令として影響力を持つことを企てているに違いない。

 そう思っていた。


 それならそれでいい。

 俺はエグランティーヌ様をお守りするだけ。

 エグランティーヌ様をお守りするため、俺は強くなる。……そう誓った。


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