私は王宮で第四王女として過ごしつつ、アロイスからの連絡を待った。ソレル派に囲まれていた時が嘘のように楽しい。
「は~い。ベルティーユ様もアルチュール様もお上手です。見ているだけでも幸せな気分になりますよ」
アルチュールと一緒のダンスの授業も楽しい。
スーレイロル公爵夫妻がお手本で踊って見せてくれるのも憎い。マジ、いいお祖父ちゃんといいお祖母ちゃん。
老夫妻のダンスは流れるように綺麗。
私とアルチュールのダンスは転んだり、つまずいたり、尻もちついたり、おでこでごっつんこしたり、ふたりそろって壁に突進したり……まぁ、いろいろ。
それでも、逐一、庇ってくれるアルチュール、イケメンすぎ。
私のミスでも絶対に責めない。
自分も痛いのにいつも私を気遣う。
本来の性格?
スーレイロル公爵家の紳士教育の成果?
アルチュールのお父様も叔父様も大叔父も温厚な紳士だ。
やっぱ、お祖父ちゃんの愛かな?
「ベルティーユ王女、アルチュール、お聞きください。王宮のマナーを身に付けていれば、どこに行っても恥をかくことはありません。マナーは自分を守る最大の武器です」
スーレイロル公爵の含蓄ある言葉に私は大きく頷いた。アルチュールはどこまで理解しているのかわからないけれど、素直にコクリ。
「マナー、大事」
何が失礼なのか、知っておかないと危険。
「ベルティーユ王女、そうです。大事なのです。どんなに純粋で優しい心根の持ち主でも、マナーを身につけていなければ嫌われ、敵を作ることになります」
スーレイロル公爵の声音にはなんとも言い難い後悔が滲んでいる。……ような気がする。クイッ、と公爵の袖を掴んでしまった。
「……ふぇ?」
「わしは王女にもアルチュールにも後悔してほしくない。わしも二度と後悔したくない。マナーの勉強に時間を多く割くこと許してくだされ」
スーレイロル公爵の言葉に賛同するように、首席侍女や教育係たちが相槌を打った。マナーの授業がやたらと多いのは私も気になっていたの。
「じいじ、何があった?」
あれ、今、私はなんて言った?
元宰相で国の中枢である外務大臣を『じいじ』呼びした?
ぱっ、と慌てて掴んでいたスーレイロル公爵の袖を離す。
「ほぅ~っ、王女はわしを『じいじ』と呼んでくださるのか……そうか……じいじの若い頃のお話でしてな。わしはフレデリク七世陛下……当時は王太子殿下でした。王女の祖父様の御学友に選ばれましてなぁ……いやぁ、若かった……今ならばあのような悲劇は防げるでしょうに……」
フレデリク七世の真実の愛事件のことを言っているのかな?
当時、側近だったよね?
生き字引……じゃなくて、生き証人。
「じいじ、お話して」
あざとく頼むと、フレデリク七世の御学友は顔をくしゃくしゃにした。
「王女のお祖父様の初恋相手は明るくて純な女性でした。淑女ではなくお転婆でしたな。ドレスをめくりあげて、駆けずり回っていました」
エミリー嬢、とスーレイロル公爵はどこか遠い目でポツリと続けた。傍らの公爵夫人は悲しそうに微笑み、アルチュールの頭を優しく撫でた。
「お転婆?」
やっぱり!!
エミリー嬢ならフレデリク七世の寵姫の名前。
「王女もお転婆ですな?」
「ふんっ」
お転婆じゃなくて悪女よ。
「エミリー嬢はちと困ったお転婆でしたな。平民出身のせいか、人との垣根が低いというか、男女の区別もないといか、馴れ馴れしいというか、親しみやすいというか、愛嬌があるというか……まぁ、貴族人形に飽き飽きしていた王女のお祖父様は夢中になられました」
スーレイロル公爵はどこか遠い目で、噛み締めるように言い連ねた。傍らの公爵夫人は意味深な扇の振り方。
「あい」
貴族子女=貴族人形?
言いたいことはよ~くわかる。
「エミリー嬢は第三妃になっても、王家の色を持つ王子を生んでも、いっさい変わらなかった。無邪気なお転婆のまま、王宮で過ごしたのが命取りでしたな」
「いじめられた?」
王宮のしきたりに馴染めず、病んでしまう側妃は少なくない。侍女でも戸惑うことが多く、入れ替わりは激しい。すんなり馴染んだクロエには拍手喝采。
「おぅ、理解しておられる?」
「あい。いじめ。いっぱい」
欲に塗れた泥沼では王女も虐待される。
あの時、鞭打ちされたらトラウマが残ったと思う。
「公然とマナー違反を繰り返したら、排除されても仕方がない……が、当時のわしらは理解できなかった。ひたすら第三妃を守ろうとした。フレデリク七世陛下やルイゾンとともに……」
ルイゾン、とは伯母様の婚約者だったセシャン家の令息だ。こんなに切なそうに名前を口にするなんて。
「じいじ、えんえんちてる?」
私はスーレイロル公爵の目に手を伸ばした。
「じいじはどんなに悲しくても人前で涙は見せませぬ。それが貴族の在り方です」
スーレイロル公爵が悠然と微笑むと、公爵夫人たちも同意するように頷いた。……それ、エグランティーヌ時代に叩きこまれたよ。
「あい」
お父様はエグランティーヌに激甘だったけれど、淑女教育はみっちり。
「第三妃は公式の場でも泣きじゃくり、顰蹙を買った。フレデリク七世やわし、ルイゾンは諫めることもせず、守ろうとした。痛恨の極み」
公式の場で泣く側妃なんてありえない。
エグランティーヌ時代、第三妃に関してそんな噂は聞かなかった。……いや、私の耳に入らなかっただけ? ダルシアク家も関わっていたから?
「第三妃、教育」
「そうです。わしらは第三妃に王宮での生き方を教えるべきだった。気づいた時には手遅れでしてのぅ」
気づいた時、無理心中事件が起こったのかな?
加害者になったルイゾン様のこと、どう思っている?
「手遅れ?」
「夢想だにしていなかった痛ましい事件が起こってしまいましてのぅ」
スーレイロル公爵は無念そうに肩を落とした。なんとも形容し難い悲哀が発散され、傍らの公爵夫人は口元を扇で隠す。
「どちて?」
「フレデリク七世やルイゾン、わしらが守り方を間違えた。そういうことですな」
その口ぶり、スーレイロル公爵はルイゾン様が加害者じゃないと思っているの?
ちょっと、そこのところ、もうちょっと教えて。
「どちて?」
「わしもフレデリク七世も悔やんだ。……悔やんでも悔やみきれない。ルイゾンの名誉も晴らせず、月日を重ねてしまった」
それそれそれそれそれ、ルイゾン様の名誉?
無理心中事件じゃないのね?
無理心中事件だと思っていないのね?
本当の加害者は誰?
目星はついているんでしょう?
最有力候補は当時の王太子妃、つまり今の王太后よね?
エグランティーヌにとってもベルティーユにとってもお祖母様よ。
「どちて?」
……うううう、ちゃんと質問したいのに、舌の呂律が回らない。
「面倒だと思われるマナーも身に付けて損はない。言葉遊びと揶揄される貴族言葉を理解できねば墓穴を掘る。どうか、最高の武器を手に入れてくだされ」
「あい」
スーレイロル公爵の愛をひしひしと感じながら、ダンスの授業は続いた。楽しいから、飽きずに学べる。
アルチュール、いいお祖父ちゃんを持ったね。