王国暦一〇八四年の葡萄月の三日。
フレデリク六世が体調を崩し、寝込まれていますが、王宮では王太子殿下の第三王子生誕のパーティーが続いています。
「パンも食べられない民がいるのに、なんて贅沢な……」
王太子殿下の第三妃が独り言のように零し、そばにいた養父母のセシャン伯爵夫妻や義兄のルイゾン様に窘められていました。
第三妃様、贅沢だと思わないでください。貴族社会では必要な行事ですの。国交間においては最も重要な行事です。王太子殿下の寵姫がそのようなことを口にしてはいけません。……と、面と向かって、正すことができない私をお許しください。
私の父は建国に尽力したダルシアク公爵家の当主であり宰相、亡き母はワイエス帝国の皇女ですし、継母はシュタルク帝国の皇女ですから、パーティーに参加しないわけにはまいりません。
ジュヌヴィエーヴ・シャンタルレ・ラ・ダルシアクという私の名前にこめられた重さも理解しています。
本日、継母がパーティーを欠席していますので、私が代理で父の隣に立ちました。第三妃の品のない所作が目立ちますが、誰も注意したりはしません。一言でも申せば、第三妃に涕泣され、王太子殿下に叱責されることがわかっていますもの。
「王太子殿下、王太子妃殿下、おめでとうございます」
「デュクロ王国とハーニッシュ帝国の懸け橋になる王子です。永遠の友好と繁栄が約束されるでしょう」
「ハーニッシュの帝宮でも連日のお祝い行事を催しています」
「ハーニッシュ帝国随一の美姫がデュクロ王国随一の美の女神になられましたな。王太子妃殿下、以前にもましてお美しい」
長引く戦争を終わらせるため、我が国の王太子とハーニッシュ帝国の美貌の皇女が結婚されました。そのおふたりの間に誕生した後継者ですから、パーティーが一月続くのも当然です。毎夜、楽しく過ごしている宮廷貴族がいらっしゃるようです。
……が、つい先ほど、ファーストダンスの際、王太子殿下のお振る舞いにより、ハーニッシュ帝国の招待客の心に波が立ったご様子。
「……見たか? 王太子殿下は王太子妃殿下に見向きもしない。ファーストダンスも第三妃の手を取ろうとして、宰相に止められていたぞ」
「見ました。王太子妃殿下に王子を誕生させたから、義務を終えたと思ったのだろう。王太子妃殿下の悋気がひどいと聞くし、近いうちに離宮に幽閉されるんじゃないか?」
「王太子妃殿下がお産みになった第一王女は第三妃が引き取るらしい」
「王太子殿下の心には遠い日から第三妃しかいらっしゃらない。無理もないだろう。……確かに、第三妃は可愛い」
王太子殿下とセシャン伯爵家養女であるエミリー様の恋は『真実の愛』として知れ渡っています。何しろ、平民出身のエミリー様への愛を貫くため、王位継承権を放棄しようとしましたから。
国王夫妻やお父様が手を尽くし、王太子殿下を制しました。子供の頃から聡明な王子でしたから、初恋に夢中になっていても、義務を忘れてはいません。
結果、ハーニッシュ帝国の皇女と結婚し、有力貴族から側妃を迎えると同時にエミリー様を第三妃として得られたのです。
もっとも、王太子殿下が熱心に通われるのは第三妃の閨のみ。
国王夫妻やお父様の圧力により、王太子殿下が王太子妃殿下の閨にお渡りになられ、第一王女様が誕生した時は安堵の息を漏らしました。
けれど、第三妃が第一王子と第二王子を立て続けにお産みになり、王太子殿下の後宮は永久凍土のように凍りつきました。
当然、王太子妃殿下と第三妃の間は芳しくありません。
毎日、幾度となく見苦しい諍い。
剣を抜く騎士もいたそうです。
由々しき事態ですわ。
お父様の命により、私は第三妃の義兄であるセシャン伯爵家のルイゾン様と婚約しました。両者の仲を取り持つように指示されましたが、無理でございます。
※
『ジュヌヴィエーヴ、シュタルク帝国の第五皇子との縁は白紙に戻った。そなたの未来の夫はセシャン伯爵家の長子だ』
いつもお父様は私の気持ちを確かめることさえしません。私もお父様には従うものとして育てられました。
『お父様、ルイゾン様ですか?』
渦中の人物のひとり。
『そなたに比べればだいぶ格下だが、国の安寧のために耐えてほしい。……わかるな?』
『ルイゾン様との婚約、お引き受けいたします』
『王太子妃殿下の悋気を押さえてくれ』
辣腕宰相と名高いお父様まで、王太子殿下や第三妃の言葉を鵜呑みにしていらっしゃる? 私が試されているのかしら?
『お父様、誤解していますわ。王太子妃殿下は第三妃を認めています。広い心には小波さえ、立てていません』
冷静に異を唱えたら、お父様は満足そうに口の端を緩めました。やはり、私は試されたみたいですわね。
『私の美しい夫人も同じことを申した。……頼むぞ。国王陛下はもう無理はできぬ。王太子殿下に自覚を持っていただくしかない』
王太子宮の問題は王太子妃殿下ではなく第三妃にあります。王太子妃殿下はご自分の義務を理解していますから、第三妃に嫉妬などしていません。いつも勝手に第三妃が騒いでいるのです。
※
確かに、第三妃には逆風が吹いていますが、それは寵姫の定めのようなもの。正直、私は疲れ果ててしまいました。
今も大広間の各所で噂話が交わされています。
「王太子妃殿下が離宮に幽閉されたら、ハーニッシュ帝国が黙っていない」
「王太子殿下は第三妃の義兄とジュヌヴィエーヴ様を婚約させた。第三妃はダルシアク公の後ろ盾を得たようなものだ。王太子妃殿下もハーニッシュもジュヌヴィエーヴ様には文句が言えますまい」
「その、義兄のルイゾン卿とジュヌヴィエーヴ嬢だが……ルイゾン卿は義妹の第三妃にご執心でジュヌヴィエーヴ嬢を嫌っているらしい」
「……あぁ、ルイゾン卿の義妹の溺愛ぶりは昔から有名だ。ジュヌヴィエーヴ嬢にはお気の毒だが、諦めるしかないだろう」
……えぇ、私も婚約前からルイゾン様の第三妃様への想いは聞いていました。けれど、ここまで重いとは知りませんでした。
「ジュヌヴィエーヴ嬢はシュタルク帝国の第五皇子との縁談が進んでいたのに、王太子殿下が横やりを入れたと聞いている」
「第三妃のためにジュヌヴィエーヴ嬢の縁談を壊して、ルイゾン卿と婚約させたが、肝心のふたりは……あぁ、今夜もジュヌヴィエーヴ嬢のエスコートは父上の宰相だ」
「延期された結婚式、どうなるかな? 賭けるか?」
壁の花と化している私に視線が集まり、逃げだしたくなりましたが堪えました。ルイゾン様と婚約してからよくあること。
『婚約者に嫌われている淑女』も『婚約者に疎まれている高慢な女』も私の異名でございます。
運命の女神は私に何をさせたいのでしょう?
一度、ルイゾン様との結婚は延期されています。現在、私は結婚式の準備に追われていますが、セシャン伯爵家にそういった風は向いていないようです。
ただ、何をしなくても時は流れます。
王太子殿下と王太子妃の間に誕生した第一王女がお健やかに育っていることを拝見し、ほっと胸を撫で下ろしました。第三王子もいずれ、フレデリク八世として即位されるでしょう。
……あ、その前に王太子殿下のフレデリク七世としての即位ですわね。その頃、無事にルイゾン様と結婚して、落ち着いていたい。切に願いしました。