目次
ブックマーク
応援する
2
コメント
シェア
通報

第30話 ジュヌヴィエーヴとセシャン 2 (ジュー視点)

 もっとも、切なる願いはすぐに露となりましたの。


 パーティーの後、王太子殿下の私室に呼び出された時から、いやな予感はありました。侍女のドロテを同席させて正解です。


 婚約者であるルイゾン様が冷厳な面持ちで仰せになられました。

「ジュヌヴィエーヴ嬢、結婚式を延期してほしい」


 当たってほしくなかったのに。

 私はショコラが注がれた紋章入りのカップから手を離し、内心の動揺を悟られないように確かめました。


「ルイゾン様、確認させていただきます。結婚式の延期でございますか?」

「すまない」

 ルイゾン様に頭を下げられましたが、私の心には何も響きません。……私になんらかの異常があるのでしょうか?


「二度目の延期ですわね?」

 無意識のうちに、口から出ていました。王太子殿下や御学友のスーレイロル公爵、第三妃もいらっしゃるというのに。


「すまない。エミリーが……第三妃が懐妊したんだ。無事に出産するまで、そばについてやりたい」

 王太子殿下の寵姫である第三妃はルイゾン様の義妹。

 現在、王都だけでなく王国中で注目を集めている女性。

 ルイゾン様が誰よりも大切にされている方。


「第三妃のご懐妊、お聞きしています。おめでとうございます」

 教育された通り、私は淑女として祝福しました。


 なのに、第三妃であるエミリー様は涙目で口を挟みました。

「……ご、ごめんなさい……ジュヌヴィエーヴ様、怒っているわね? 王宮では信用できる人が少ないの。今日も私の食事に砂が混じっていたし、ショコラは変な味がしたし、衣裳部屋には蛇がいたのよ。お兄様がいなかったら危なかったわ……お願い、許して……殿下はご公務で忙しいし……お兄様がいないと怖いの……怖くて怖くて……お父様とお母様は伯爵夫妻だから、ずっとそばにいられなくて……」


 第三妃が嗚咽を零しながら捲し立てると、王太子殿下も苦渋に満ちた顔で仰せになられました。

「ジュヌヴィエーヴ嬢、私からもお願いする。国のため、耐えてもらえぬか?」


 王太子殿下、第三妃の懐妊が国のためですか?

 第三妃にはすでに第一王子と第二王子がお生まれですよね?

 王太子妃殿下も第一王女の後、ようやく第三王子をご出産されましたよね?

 寵姫のため、宰相の娘の結婚を二度も延期することが国のためですか?

 そもそも、この縁談は殿下の希望でまとまった縁談ですよね?

 国のため、大陸のため、シュタルク帝国の第五皇子とまとまりかけていた縁談を強引に終わらせたのも殿下ですわよね?


 私は感情をいっさいこめずに返しました。

「父の命令により、セシャン伯爵家のルイゾン様とのご縁をいただきました。何事も父にお願いします」


 私の返事に反応したのは、王太子殿下でもなければ婚約者でもなく第三妃。

「……や、やっぱり……やっぱりジュヌヴィエーヴ様は怒っていらっしゃるんですね。ごめんなさい。私が王宮でいじめられて……王太子妃殿下たちにいじめられているから、お兄様たちが心配して……私も王子の命も危なくて……お願いします。許してください。せめてお腹の子が無事に生まれるまで……結婚式をしたら、半月は新婚夫婦で過ごす習わしでしょう……その半月の間に何かあったら……狙われるなら、お兄様がいないその半月よ……ちょっとの間でいいから我慢して……結婚したら、お兄様はジュヌヴィエーヴ様のものだから……」


 いつもと同じように、第三妃は泣きじゃくりつつ、言葉を連ねます。王太子殿下やルイゾン様は狼狽し、必死になって宥めます。

 今まで何度繰り返されたか、もう覚えてはいません。


 ……そういえば、王太子妃殿下も同じようなことを仰せになっていました。『私と第三妃がお使いになる風は異なり、雲の行き先を決められませんの』と。


『第三妃とは会話が成り立たない』という意味。


 第三妃は貴族的な話術を習得していらっしゃらない。貴族子女ならば養女であっても、教育されるはずです。

 私も第三妃ではなく王太子妃殿下が相手ならば、楽しい会話が続きます。


 ……いえ、それ以前の問題です。第三妃は何かにつけて『意地悪されている』やら『王太子殿下の愛を受け入れてしまった私が悪い』やら『愛妾でよかったのに』やら……。

 根本的なところで違うようです。

 貴族ならば政略結婚の必要性は幼い頃から叩きこまれています。


 私は婿養子をもらってダルシアク公爵家を継ぐものだと育てられましたの。 淑女教育のほか、後継者教育も受けています。

 ただ、お父様が若い後妻をもらって、歳の離れた異母弟が誕生しました。 跡取り娘として背負わされたものが消え、楽になりましたが、さらに難しいものを背負わされてしまいました。


 私は運命の女神に疎まれているのでしょうか?

 どのように申せばよいのか、見当もつきません。


 本来ならば、今頃、私は婚約者であるルイゾン様と結婚し、落ち着いていた頃でしょう。主催のティーパーティーの準備に追われていたかもしれません。王太子妃殿下とのお約束も果たしたいのにどうしましょう。


 二度目の挙式の延期ですか?

 一度目の延期の理由は第三妃の毒殺未遂事件でしたね?

 ルイゾン様の心が私ではなく第三妃にあることは知っていますが、いくらなんでも、ありえないのではありませんか?


 心が折れました。

 淑女らしくあることさえ、馬鹿らしくなってきます。

 ドロテの堪忍袋の緒が切れたらしく、真っ赤な目で口を挟みました。

「ルイゾン様、ひどすぎます。ダルシアク公女を蔑ろにするのも、いい加減になさいませ」


 ルイゾン様は第三妃の数々のマナー違反は咎めないのに、ドロテには険しい顔つきで注意されました。

「ドロテ、侍女の出る幕はない」

 ジュヌヴィエーヴ嬢の顔に免じて無礼は許してやる、とルイゾン様は怒気を含んだ声で続けました。


「ルイゾン様、ご自分がどれだけひどいことをしているのか、理解していないのですか?」

「ドロテ、王太子殿下の御前だ。控えろ」

 ルイゾン様の叱責にも、私を思うドロテは怯んだりはしません。けれど、私が姉のような存在の侍女を止めました。

 ……止めるしかないの。


「ジュヌヴィエーヴ嬢、まず、婚約者であるあなたの承諾を得たい」

 つまり、私の言質を盾に挙式延期するおつもり?


 無骨な騎士様だと思ったけれど、意外にも策士ですか? 

「ルイゾン様、縁談を決めた父に申してください」


 私とルイゾン様の縁談は第三妃を守るため。


 ダルシアクという強力な後ろ盾が欲しいのでしょう。父も王太子殿下を見込み、第三妃の義兄に私を嫁がせることを決めました。臣下序列第一位の公爵家から見れば、田舎の貧乏伯爵家は格下です。本来、縁談が持ち上がることもないのに。


 私たちの結婚の意味を理解していますか?


「ジュヌヴィエーヴ嬢の意思を聞きたい。……わかってくれるな?」

 わかってくれるよな、とルイゾン様の目は雄弁に語っています。


「ルイゾン様、私の意思を申してもよろしいのですか?」

「もちろん。わかってくれるな?」


 ……私としたことが。

 どうして、私は不実な婚約者をお慕いしてしまったのでしょう?

 お慕いしていなければ、こんなに苦しまずにすんだのでしょうか?

 もう疲れ果てました。

 私が私でいるうちに、幕を下ろしたいと思います。

 これ以上、苦しみたくありません。


 けれど、ダルシアクの娘である限り、口に出すことは憚られます。


「花に歌を命じても歌えません」

 貴族辞書で要約してください。貴族子女の教育は『花であれ』です。庭園であれ、野であれ、道端であれ、咲いている花は喋りますか? 


「……花に歌? ……言ってくれ」

 セシャン伯爵家には貴族言葉が通じないのでしょうか?

 先祖代々、魔力は強い一族でしたわよね?


「ルイゾン様こそ、本心を明かしてください」

「本心?」

「挙式延期が本当の望みですか?」

 王太子殿下や第三妃だけでなく、代替わりしたばかりのスーレイロル公爵もいるから、ちょうどいいのかもしれません。核心に切りこみましょう。


「そうだ。挙式直前になって、申し訳ないと思っている。この詫びは後でいくらでも……」

 この詫びは後でいくらでも?

 そのお言葉、今までに何度お聞きしたでしょう?

 いつもそのお言葉だけ。

 一度も『お詫び』はございません。


「ルイゾン様の本当の望みは婚約解消ではないのですか?」

 ……ああ、とうとう口にしてしまいました。


 今宵のパーティーでは各所で賭けが行われたそうです。多くの宮廷貴族が二度目の結婚延期と婚約解消に賭けたそうですよ。


「……な」

 ルイゾン様はよほど驚愕したらしく、上体を派手に揺らしました。


「ルイゾン様のお気持ちが私にないことはよく存じ上げています。ルイゾン様のため、一刻も早く婚約解消……」

 私の言葉を遮るように、ルイゾン様は声を張り上げました。

「……ち、違うーっ」


 ルイゾン様を押しのけるように、第三妃が涙に濡れた声で捲し立てた。

「……ご、誤解ですわ……ジュヌヴィエーヴ様、ごめんなさい。私が悪いんです。王太子妃様や側妃様たちに嫌われて、王宮でいじめられて、王子の命が危険で……王子を守りたくてお兄様を頼りました。誤解しないでくださいーっ」


 第三妃があまりにも興奮したから、王太子殿下やスーレイロル公爵が慌てました。

「エミリー、落ち着け」


 どんなに楽観的に考えても胎児によくないでしょう。

 初めてお見かけした時は、大陸でも珍しいピンクブロンドを靡かせて王太子殿下と一緒に走り回っていましたが、まったく成長されていませんね。女王陛下が回されたマナーの教師は第三妃を虐めたのではございません。誠意を以って、妃教育しただけですわよ。


「失礼する」

 王太子殿下とスーレイロル公爵は第三妃を宥めるため、退出されました。いつもならルイゾン様も続きます。


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?