こんなこともあるのですね。
ルイゾン様は第三妃を追わず、残りました。
「ジュヌヴィエーヴ嬢、どうして、そんな誤解をしているんだ?」
信じられない、と言った風情がルイゾン様には漂っています。
「誤解ですか?」
「そうだ。誤解だ」
「最後に婚約者のエスコートでパーティーに参加したのはいつだったでしょう? 覚えていらっしゃる?」
私としては口にするのも空しいけれど。
「……そ、それは……第三妃が危ないから……」
今夜のパーティーも昨夜のパーティーも、私のエスコートはお父様でした。いつものように婚約者は第三妃に従僕の如く仕えていました。
「婚約者らしく、お誘いをいただいたことがあったかしら?」
「……あ、あっただろう……先月の食事会とか……」
「王太子殿下や第三妃のお食事に誘われただけですわ。王宮マナーを身につけていない第三妃のサポートに呼ばれたのだと理解しています」
「……っ……だから……公にはできないが、第三妃の命が狙われている。目が離せないんだ。わかってくれ」
王太子殿下たってのお願いもあり、私は第三妃の義兄と婚約しましたが、数えるぐらいしか、お会いしていません。お約束をしても、決まってお断りの連絡が入りますの。どんな時でも理由は同じ。
『第三妃の護衛につく』
第三妃の専属騎士ではないのに護衛?
ルイゾン様の心が第三妃にあることは存じています。けれど、第三妃は王太子殿下の寵姫です。立場を弁えたらいかがですか?
「ルイゾン様は婚約者の気持ちや立場は理解してくださらないのですか?」
ルイゾン様にとってダルシアク公女は路傍の石にすぎないのでしょうか?
「ジュヌヴィエーヴ嬢はデュクロの王位継承権を持つ公女だ。なんの後ろ盾もない平民出身の義妹とは違う。わかってくれ」
セシャン伯爵家の令嬢が平民と駆け落ちして、生まれた子供が第三妃ことエミリー様だと聞いています。もっとも、両親の相次ぐ不幸により、エミリー様はセシャン伯爵家に養女として引き取られ、溺愛されたそうです。
ルイゾン様は傑出した魔力持ちですから、王太子殿下の御学友に選ばれました。幼い時からルイゾン様を通してエミリー様と交流があったそうです。
王太子殿下もエミリー様もお互いが初恋だとか?
幼い王太子殿下は初めてエミリー様をご覧になった時から運命を感じていたとか?
王太子殿下はエミリー様と結婚すると宣言されていたから大変でしたわ。国境を巡る戦争を止めるため、王太子殿下と皇女の政略結婚は必要でしたもの。フレデリク六世陛下が我が家に参られ、父上相手に愚痴を漏らしていました。
王位継承権はそう簡単に捨てられるほど、軽きものではございません。
「私はデュクロ王国の王位継承権だけでなく、ワイエス帝国の皇位継承権も所有しております」
こんなことを口にしたくないけれど、ルイゾン様には口にしないと理解してもらえない。亡き母はワイエス帝国の皇女でした。
「……そ、そうだったな」
「王位継承権も皇位継承権も軽くはございません」
この言葉、ルイゾン様を通して王太子殿下や第三妃まで届きますように。
「あぁ」
「私は重きものを背負っています」
重いものを背負っている私をどうしてそこまで軽く扱うのでしょう?
私の名誉を傷つけるだけでなく、背負っているものの名誉も傷つけているのです。
私の精一杯の嫌みは通じなかったようでした。
「ジュヌヴィエーヴ嬢と第三妃は違う。……頼む。大目に見てくれ。これくらいで怒らないでほしい」
「これくらい?」
「結婚したら、公爵令嬢じゃなくてしがない伯爵夫人だ。これくらいで怒っていたらやっていけない」
この人はいったい何を仰っているの?
私の気持ちがまったく通じていないのね?
愕然としていると、控えめなノックの音が鳴り響きました。
「失礼します。ルイゾン様、王太子殿下がお召しです」
王太子殿下の侍従が強張った面持ちでルイゾン様を呼びにきました。おそらく、第三妃が泣き止まないのでしょう。きっとルイゾン様がそばで慰めない限り、涙は止まらないはず。
『淑女は感情を爆発させてはいけません』
家庭教師の言葉が私の耳に残っています。淑女だけでなく貴族の基本ですが、第三妃の耳には誰も入れなかったのでしょうか?
「ジュヌヴィエーヴ嬢、すまない。後でまた」
こんな時まで淑女である必要があるのかしら?
亡きお母様の声が聞こえたような気がしました。
「ルイゾン様、お待ちください」
無意識のうちに、呼び止めていました。
「時間がないんだ。また」
「花の一輪も贈ってくださらない婚約者様、このまま去るなら婚約解消です」
自分で言っておきながら驚愕しました。
「……なっ?」
ルイゾン様はよっぽど驚いたらしく、目と口を大きく開かれました。王太子殿下の侍従は身体のバランスを崩し、ドアに縋りつきます。
そんなに意外でした?
「不実な婚約者様、お座りになって。二度目の結婚式延期について話し合いをしましょう。これ以上、ダルシアクとワイエスを愚弄することは許しません」
私を軽んじることはダルシアクとワイエスを軽んじること。ようやくルイゾン様は理解したようです。
……理解してくださったのですね?
「……わ、わかってくれ」
「ダルシアクとワイエスを敵に回すおつもり? 領地戦でもなさる?」
宣戦布告、とばかりに私は扇を向けました。
「わかってくれ」
「ルイゾン様が私になさったことは、ダルシアクとワイエスに手袋を投げたようなもの。それすらも理解できないのかしら?」
「わかってくれーっ」
ルイゾン様は悪魔のような顔で叫びました。
「ルイゾン様の第三妃への想いを理解せねばなりませんか?」
「……な、何を言っているんだ?」
「婚約解消を希望します。それがルイゾン様の本心でしょう」
私がすべての想いを振り切るように微笑んだ時、王太子殿下の侍従が手にしていた伝達の魔導具が光りました。
どうやら、急かされているようです。
「ジュヌヴィエーヴ嬢、我が儘を言わないでくれ。後で詫びはいくらでもっ」
いつもと同じように、ルイゾン様は風のように去っていきました。
静寂の後。
「……ひ、ひどい」
ドロテが独り言のように零した時、私の心も砕けたようです。
「……っ……」
私の頬を何かが伝っています。
一瞬、ルイゾン様の魔力による水だと思いましたが、いくらなんでもありえません。
……涙です。
人前で涙を流すなど、言語道断……ですが、姉とも思うドロテしかいませんから、許してもらえますよね?
「ジュヌヴィエーヴ様?」
ドロテは息堰切ったように泣きだし、私を抱きしめてくれました。
……あぁ、お母様が亡くなった時のことを思い出します。部屋で息を殺して泣いていると、優しく抱きしめてくれましたね。
「…………っ……」
おそらく、結婚式は何度も延期されるでしょう。たとえ、結婚してもルイゾン様の態度は変わらないと思います。いずれ、私の自制心が壊れるに違いありません。
お父様に意見する覚悟を決めました。
婚約解消し、ルイゾン様を綺麗さっぱり忘れます。