勢いこんでダルシアク貴族街邸に帰宅したものの、お父様はご不在でした。
三日経ってもお父様は王宮からお戻りになられません。宰相として多忙な日々を過ごしていることは知っています。
五日目、結婚延期をお父様の秘書官から聞きました。ダルシアク公爵夫人、継母様が優雅な微笑でご立腹です。歳は変わらないけれど、本当の娘のように可愛がってくださるの。私もふたりめの母として敬愛しています。
「私の麗しいジュヌヴィエーヴ、お茶にしましょう」
侍女に命じ、母国から送られてきた最高級の紅茶を用意させました。スコーンにはクロテッドクリームとマーマレードの重ね付けですわ。
幼い異母弟は私の隣で苺のガナッシュを口にしています。可愛くてたまりません。この子のためならば、なんでもしたあげたくなります。
ルイゾン様も第三妃にそういうお気持ち?
……少し違いますわよね?
言葉に上手くできませんが、妙な違和感が拭えませんの。
「ジュヌヴィエーヴ、セシャン伯爵家は我が家門に関し、学んでいらっしゃらないようですわね」
お母様がルイゾン様の家門に怒りを向けるのは当然です。ダルシアクを侮っているとしか思えません。
「お継母様、三度目もあると思います」
三度目の挙式延期を口にすると、お継母様の目は綺麗な弧を描きました。焼き立てのスフレを運んできたメイド長の顔つきが変わります。
「セシャン伯爵家が風を読めないとは思いたくありませんわ」
セシャン伯爵家もそこまで愚かだと思いたくない、とお継母様は仰せです。日々、このようにして貴族言葉を学ぶのです。セシャン伯爵家ではなかったのでしょうか?
「セシャン伯爵家に風を読めると思いますか?」
騎士上がりの家門ですが、基本的に何かが違うような気がしてなりません。
「風を読めなければ露に」
ダルシアクを侮れば滅ぶだけ、というお言葉に賛同したいのですが、王太子殿下の第三妃への御寵愛を知るだけに首を縦に振ることができません。
「花に注がれる水の流れが止まるとは思いません」
「花の栄華はうつろいやすく、水の流れもうつろいやすく」
どのような寵愛もいずれ薄れる、というお言葉にも同意したいのですが、第三妃はすでに王家の色を持つ王子をふたりもお産みになられました。どちらの王子も生まれつき魔力が高く、健康だとお聞きしています。
「花には実がなりますゆえ」
「実るとは限らなくてよ」
お継母様と二杯目の紅茶を飲み終えた時、なんの先触れもなく、セシャン伯爵家と王太子殿下の使者が参りました。どちらも同じ用件です。
窓の向こう側では大勢の近衛騎士たちが待機しています。プラタナスの前にセシャン伯爵家の騎士たちも見つけました。まるで、罪人の捕縛のような物々しさ。
……罪人ではなく専属侍女の捕縛でしょうか?
「私に第三妃の専属侍女になれ、と申されますの?」
感情を顔に出さなかった自分を褒めたい気分です。ドロテを始めとする侍女たちは一様に顔色を変えましたもの。
家令はさりげなく伝達の魔導具でどこかに連絡した模様。
「ダルシアク公女、どうか、第三妃をお支えください。第三妃が強くご希望されています」
使者であるルイゾン様の補佐官が真剣な顔で言いました。
『ジュヌヴィエーヴ様が私の専属侍女になれば、ルイゾン様と一緒にいる時間ができるから、誤解は解けるわ』と、第三妃は主張しているそうです。
どこからそのような考えが出てくるのか、私には見当もつきません。
お継母様はいつも以上に艶麗に微笑んでいますが、今にも宣戦布告をしそうなぐらい激憤していらっしゃいます。
「第三妃に必要なのは専属侍女ではなく、貴族社会について説く教師ですわ。女王陛下に紹介していただけるように申し上げますわね」
ダルシアク公爵夫人にしては珍しい言い回し。
「……王太子殿下とルイゾン様の顔に免じて何卒……」
「私の美しい娘はリュディヴィーヌ王女の教育に携わることになっております。王太子妃殿下とのお約束を違えることはできませんわ」
お継母様が仰せになったように、王太子妃殿下の御依頼により、私は第一王女の教師のひとりに数えられています。名誉なことでございますわ。
「……そ、それは……」
王太子妃殿下の名が出た瞬間、空気が一変しました。セシャン伯爵家にしてみれば、王太子妃殿下は可愛い第三妃を虐める悪しき正妃。
「王太子妃殿下の姉君がどなたに嫁いだのか、お忘れなのかしら」
ワイエス帝国の伯父上様は正妃として王太子妃殿下の姉上様を迎えています。つまり、ワイエス帝国の皇太子とハーニッシュ帝国の皇女の政略結婚です。デュクロを含めた列強は婚姻を繰り返していますから、複雑になっています。
『……親戚同士でどうしてそんなに結婚しているの? 戦争を終わらせるための結婚とか、戦争をしないための結婚とか、ちゃんと胸を開いて話し合えばいいんのしょう?』
第三妃に幾度となく説明しましたが、未だに理解されていないご様子。
そんな第三妃を王太子殿下は無垢で愛らしい、とお褒めになっているそうです。
「……ジュヌヴィエーヴ様はルイゾン様の妻になるのに王太子妃派なのですか?」
使者の不埒な言葉に対し、ダルシアク公爵夫人は艶冶な微笑を浮かべながら扇を振りました。
「王宮マナーを学んでからいらっしゃい」
「これは王太子殿下の御命令です。背かれるのですか?」
「不敬罪に問えるとお思い?」
「いくらジュヌヴィエーヴ様でも王太子殿下に無礼を働けば不敬罪に問われます」
使者が手招きすると、屈強な騎士たちが挨拶もせずに押し寄せてきました。魔力拘束具や魔力の檻まで手にしています。
私を罪人のように捕縛するおつもり?
これは第三妃や王太子殿下のご命令?
ルイゾン様のご意思?
ボンッ、という耳障りな音とともに魔力の網が建物に張られた模様。
……いえ、ダルシアク騎士団が抵抗して、魔力の網を排除させたようです。そのまま睨み合っていますね。
双方、剣を抜きました。
一触即発の状態。
あちらも引けないのでしょう。
第三妃の専属侍女になりたくありませんが、こんなことで争わせるわけにはいきません。
どうしたらいいのか、私が悩む間もなく、ダルシアク公爵夫人はこれ以上ないというぐらい優美に扇を振りました。
「よろしくてよ」
「……お、お待ちください。ジュヌヴィエーヴ様、今すぐ我らと一緒にご同行をお願いします。ルイゾン様とお幸せになるためにもっ」
使者が大声で叫びましたが、私に答える義務はありません。
ダルシアク公爵夫人は高貴な笑みを絶やしませんが、今にも魔力を爆発させそうな雰囲気です。
「主ともども教育不足のようですわね」
「ジュヌヴィエーヴ様、ルイゾン様と結婚するためには必要なのです。どうか、ご同行をお願いします」
依然として、使者は私に向かって叫びます。
「私は美しい娘の婚約解消を望んでいますの。どうか、王太子殿下や第三妃にお伝えになって」
肝心の婚約者の名を出さなないところが、ダルシアク公爵夫人流の嫌みですね。
「……なっ」
「自慢の娘には今でも内々に縁談の打診がまいりますのよ。何故、不実な男に嫁がせねばならないの?」
「……そ、そ、それは……」
「私の大事な娘と結婚する名誉を与えられながら、二回も延期するなんて許せませんわ。ダルシアク公爵家とワイエス帝室だけでなくシュタルク帝室も愚弄したと伝えなさい」
お継母様と家令が使者たちを追い返してくれなかったら、私はあのまま王宮に連れて行かれたでしょう。
本当に王太子殿下の御下命ですの?
第三妃もルイゾン様も常軌を逸しています。
家令は伝達の魔導具でお父様に報告しました。お継母様は女王陛下に伝達の魔導具で連絡を入れました。
お父様も女王陛下も異常事態だと判断したご様子。
王太子殿下や第三妃、セシャン家に注意を入れてくれるとのことでした。
女王陛下からは直々に謝罪が入りましたもの。
その半時も経たないうちに謝罪の品も送られてまいりました。
王太子殿下や第三妃、ルイゾン様並びにセシャン伯爵夫妻が女王陛下に呼び出され、厳しく叱責されたという噂も耳に届きました。第三妃にはマナーの教師が新たにつけられるそうです。
王太子殿下からも謝罪の品が届きましたが、心の霧は晴れません。例の如く、ルイゾン様からは何もありませんでした。
「お姉たま?」
年の離れた異母弟が甘えてくることが唯一の癒しです。