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第34話 ジュヌヴィエーヴとセシャン 6 (ジュー視点)

 朝から降っていた大雨が小雨になった頃。

 疲労の影が濃いお父様がようやくお戻りなられました。

 お父様、お待ちしておりました。


 お父様は公爵夫人と異母弟にキスをした後、私とふたりきりで向き合います。侍女に用意させた飲み物はリキュールとミルクで割ったコーヒーでした。

「ジュヌヴィエーヴ、すまない。こんなことなら婚約解消させればよかった」

 宰相の父としての後悔が私の胸に響きました。


「ルイゾン様の婚約者として投獄される覚悟はしています」

「そのようなことはさせぬ。国王陛下も王太子殿下も望んではいない」

「誰に何を求められても、私はありのままを申し上げます」

「私も私情を混ぜない」

 お父様が独り言のように零した言葉が妙に引っかかりました。


「お父様、今まで私情を混ぜていましたの?」

「王太子殿下が第三妃に魅かれた理由がわかる。そなたもそうではなかったのか?」

 お父様に切なそうに問われ、私の内心に波が立ちました。


「……どういうことですの?」

「そなたの初恋は庭師の孫だった。知らないとでも思っていたのか?」

 一瞬、息が止まったような気がしましたが、決して態度には出しません。こういう時こそ、艶然と微笑みます。


「ギーが来なくなった理由はお父様でしたのね」


 お父様に指摘された通り、私の初恋相手は庭師の孫でした。貴族子弟にはない魅力に心を奪われたのです。


「そなたにダルシアクを託す気でいたから、庭師の孫は許せなかった。父親は旅商人だったな?」

 両親が仕事で国内を回っている間、ギーは祖父の庭師に預けられていたのです。庭園で一緒に花を見ました。……彼はおとなしく花を愛でるような性格ではありませんでしたが。


「ギーにいきなり会えなくなって辛かったですわ」

 ギーは両親の元に旅立った、と庭師から聞かされました。手紙を幾度となく託したのに、一度も返事がなかった理由がわかりましたわ。

「そなたが婿養子を迎えて跡取りを生んだ後、愛人として侍らせればいいと思った。それが貴族の在り方だ」

「そこまでお考えでしたの?」

 ギーを愛人にするなど、予想だにしていませんでした。


「息子が生まれて、そなたを嫁に出すことになっても、庭師の孫は婿として考えられなかった。そなたが優秀で美しかっただけに」

「ギーも私のことなど、忘れているでしょう」

 悲しいけれど、やんちゃで好奇心旺盛な彼の記憶に私は留まっていない自信がありました。

「こんなことなら、庭師の孫を親戚の養子にすればよかった」

 ギーに親戚の家を継がせ、私と結婚させるのですか? お父様にもそんな親心があったのですね?

「ギーは貴族社会では生きていけないでしょう」

 自由奔放、明るくて真っ直ぐで感情の起伏が激しくて。ダルシアクの騎士たちも舌を巻いた暴れん坊でした。

 なのに、私には優しかった。

 ギーからもらった一輪の薔薇は、今でも氷の魔導具に保管しています。


「王太子殿下も同じ考えだった。それ故、心底愛した娘のために王位継承権を放棄しようとした。私や陛下が止めた」

「宰相としては当然のご判断です」

 王太子殿下のほか、弟王子はいらっしゃる。けれど、王家の瞳を持たない王子や魔力の乏しい王子では災いの元。

「そなたに辛い思いをさせた」

 お父様の謝罪が口先だけではないとわかります。

「お父様にそのように思っていただき、感謝します」

「念のために聞きたい。庭師の孫のために、そなたはジュヌヴィエーヴの名を捨てられるか?」


『ジュヌヴィエーヴ』という名を持つ女性は、王女や皇女などの王族や皇族、もしくは公女ぐらいでしょう。名前自体が高貴すぎて、平民どころか低位貴族子女でも名付けられることはございません。私はワイエス帝国とデュクロ王国の懸け橋になる期待をこめて名付けられました。

 夢物語のように、ギーと結ばれることがあれば、『ジュヌ』や『ジュー』など、改名の必要に迫られるでしょう。


「お父様、そのようなことをお考えになられるなんて余裕がありますのね?」

 ふふっ、と思わず笑いが漏れました。

「……今回の幕引きに関し、考えたくないのかもしれない」

 お父様の気持ち、痛いぐらいわかります。


 今回の件、王太子妃殿下による策だと証明されたらどうなるのでしょう。王太子妃殿下の極刑は免れないと思いますし、ハーニッシュ帝国との関係も破綻するでしょう。最悪の事態を招きかねません。

 ルイゾン様による無理心中だと判断されたら、セシャン一族の滅亡は当然のこと。連座で私も罪に問われるかもしれません。

 今まで君主の愛を競う後宮では、恐ろしくも悲しい命のやり取りがあったと知っています。たとえ、誰が毒殺されても、刺し殺されても、撲殺されても、病死として処理されることが多かった……病死や事故死として処理されていました。


 今回、波風を立てないように処理することはできなかったのでしょうか?

 ……いえ、穏便に処理するには亡骸が多すぎます。

 ……が、後継者教育を受けた時、裏の歴史にも触れただけにどうも腑に落ちません。

 なんにせよ、私はダルシアク公女としての誇りを守るだけです。愛らしい異母弟のためにも。


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