修道院に送りつけられた伝達の魔導具から聞こえてきたのは、雑音混じりの成人男性と少年の声。
※
『……兄上、母上から聞いたけど、ジュヌヴィエーヴ嬢に祭の縁日で見繕ったアクセサリーを贈ろうとしたのか?』
あどけないボーイソプラノ。
『母上やエミリー……第三妃に止められた。呆れられた』
低い男性の声。
『僕も止める。贈り物はジュヌヴィエーヴ嬢のお気に入りのサロンや宝飾店で探せよ』
『母上や第三妃に言われて、ジュヌヴィエーヴ嬢お気に入りの店に行った。……びっくりした。俺じゃ、手が出ない』
ジュヌヴィエーヴ様の御贔屓のサロンはダルシアク御用達よね?
エグランティーヌ時代、私は何も考えず、オーダーを繰り返していた。やっぱ、並みの貴族子弟でもビビる価格だったんだ。
『……あ……そうか……高いか』
『困った。魔獣狩りで金を作りたいが、第三妃が心配で離れることができない。ジュヌヴィエーヴ嬢のエスコートもできない状態だ』
『兄上、捨てられるぞ』
『困る』
『魔塔にまで下世話な噂が流れてきた』
世俗から切れ離されている魔塔にまで届く噂はよっぽど。
『……ま、まさか、ジュヌヴィエーヴ嬢の浮気か? 誰だ? シュタルク帝国の第五皇子が纏わりついているのか? 元婿養子候補の侯爵家の次男もしつこいよな?』
低い声の男性がめっちゃ慌てている。
『違う。兄上と第三妃の秘められた恋の噂だ』
『……はっ、馬鹿らしい』
『周りから見れば愛人関係だ。注意しろ。雷の日でも寝室に入るのは駄目だ』
『ダニエル、ガキがいつの間に……』
ダニエル?
あどけない声の弟をダニエルと呼んだ。
……あぁ、やっぱりセシャンの兄弟?
『いつまでもガキじゃねぇ』
『母上が恋しくて泣いているガキのくせに』
『……ど、どうして知っている……じゃない、煩いっ』
『ガキ、ジュヌヴィエーヴ嬢を見ても驚くな。人間じゃないみたいに綺麗だし、賢いぞ』
『ガキはそっち。婚約者にプレゼントのひとつもしない男は嫌われる。カフェにでも舞台にでも誘え』
『だから、金』
『そんなに金がないのか?』
『第三妃の品位維持に金がかかる』
『……は? 第三妃への手当はあるんだろう?』
王太子の側妃ともなれば、王室からそれ相応の予算が割り当てられる。よほどの贅沢をしない限り、実家が援助する必要はない。
『第三妃がオーダーしたドレスも靴も宝石も期日までに届かない。たとえ届いてもズタボロで使えない。誰かに妨害されて、いつも母上が陰で用意している。金は俺と父上が……』
『つまり、兄上は肝心の婚約者に花の一輪も贈らず、姉上に貢いでいるのか?』
『そうじゃない』
『いくら王太子殿下の命令でも、このままだと婚約解消だ。大馬鹿ルイゾン、って呼んでやる』
『ジュヌヴィエーヴ嬢は賢明な淑女だ。わかってくれると思う』
※
魔導具には仲のいい兄と弟の会話が保存されていた。
おそらく、ルイゾン様の年の離れた弟から送られてきたのだろう。兄の気持ちを元婚約者に知ってほしくて。
誤解だ、と。愛していたけれど、高貴すぎてどう接したらいいのかわからなかった、と。単なる無骨な男だ、と。
私の記憶が正しければ、弟の名はダニエル・イニャス・ラ・セシャン。
当時、幼いながらも魔塔主候補。
あんな事件がなければ、今頃、魔塔主になっていたかもしれない。当時を知る魔法師から『魔塔主最有力候補のダニエル』の話は聞いた。
ルイゾン様のジュヌヴィエーヴ様への気持ちが切ない。ジュヌヴィエーヴ様のルイゾン様への気持ちも切ない。ギーのジュヌヴィエーヴ様への気持ちは手段を選ばないだけに怖い。
なんとも重苦しい空気が充満した。
誰も口を開かない。
永遠の静寂が続くと思った瞬間。
「ジュヌヴィエーヴ様とルイゾン様の話を聞いていたら、エグランティーヌ様とアロイス様のお話を思い出しました」
ばあやが神妙な面持ちでポツリと零した時、アロイスだけでなくイレールの目も極限まで見開かれた。
はっ、と私も思い当たった。
「ニノンは第三妃?」
第三妃に悪気はないように思えるけれど、あまりにも無神経すぎる。アロイスの幼馴染みが重なった。
私の質問に答えたのは、ばあやではなくジュー夫人。
「第三妃はそんなにあざとくなかったわ。あざとければ王宮で上手く立ち回っていたわね」
「ニノンはあざとい……って、伯母様はニノンをご存じなの?」
「あの子が心配でずっと調べさせていたの」
伯母様にとってお父様は永遠に小さな弟だ。
「……あの子……お父様ですね」
「領内が急激に悪くなっていたことは掴んでいました。一時より、あの子に連絡が取れないようになったの」
「お父様、寝込んでいて。私もエドガールも会わせてもらえなくなって」
いつしか、ソレルによって私や弟はお父様の病室に入ることを禁止された。後継者への罹患を防ぐため、よくある話だから疑わなかったけれど。
あれもソレルによる手。
「私の手元にも正確な情報が届かなくなって、ソレルの策に気づけなかったわ。守ってあげられずにごめんなさいね」
ジュー夫人に優しく抱き寄せられ、私も素直に甘えることにした。……あ、亡きお父様やお母様を思い出す。なんの疑いもなく幸せだった日々。
……いやだ、涙が……駄目。
こんなところで泣いている暇はない。
……のに、涙が止まらない。
伯母様は私の涙を絹のレースのハンカチで拭ってくれた。
「すまない。まさか、ダルシアクを任せていた奴がソレルの犬だなんて夢にも思わなかった」
ギーが懊悩に満ちた顔で謝罪すると、跡取り息子も悔しそうに詫びた。
「申し訳ない。信用していた魔法師もソレルの間諜だったんだ。俺たちは偽情報に踊らされた。気づいたのはダルシアク革命当日だ」
ロゼ商団主や四人の息子たちがいっせいに私に向かって胸に手を添え、深々と頭を下げた。ジュー夫人は辛そうに瞠目する。
油断した、そんな後悔がひしひしと伝わってくる。
「ロゼ商団は結束が固くてソレルも手が出せない、って聞いたのに」
私が涙声で疑問を投げると、ギーが真摯な目で首を振った。
「この世に『絶対』はない。それだけは確かだ」
「絶対はない?」
「ダルシアク公女と庭師の孫は絶対に結ばれない。旅商人の息子は絶対に家を持てない。下女が産んだ子は絶対に商団なんぞ設立できない。成り上がりは絶対に魔石は取り扱えない。俺は多くの『絶対』をぶち壊してきた」
ギーは楽しそうに手をひらひらさせた。四人の息子たちはどこか誇らしそうに稀代の成り上がりを見つめている。
「成り上がりの鬼畜、すごい」
嫌みじゃなくて心の底からの称賛。
アロイスやイレール、ばあやたちでさえ、感嘆したように息をつく。
「成り上がりの鬼畜、ってビビられているから、初恋相手を奪われずにすんでいる。ここはひとつ、ロゼ商団主の怖い噂を流しておいてくれ」
こやつ、やるな。
マジただものじゃない。