「うわぁ」
リサが驚きと喜びに満ちた声を上げる。言葉にこそしなかったが気持ちはアレンも同じだった。
夜の山を登り切り、二人は頂上の村にたどり着いた。
目にしたのは「桃源郷」とでも表現したくなるような美しい光景だった。
集落が並ぶ小さな村。その周囲に泉のような温泉がいくつも湧いている。
立ち上る湯煙は月と星の光に照らされて幻想的に輝いていた。
「なんじゃ、もう来たのか」
アレンが声のした方に目を向ける。
まるで「待っていた」とばかりに村の入り口にガンシルが立っていた。
「年を取ると眠りが浅くての。しかし、趣味の夜散歩を続けていてよかったわい。せっかく仲良くなった新しい友人にこうも早く再開できるとはの。それも可愛いらしい女の子まで連れて」
ガンシルはさも愉快そうに笑った。
人見知りなのかリサは照れてアレンの後ろに隠れる。町を出てから用心のためにずっとフードを被っているのでバレる心配はない。
その仕草をみてガンシルがまた「ふぉっふぉ」と笑った。
「いきなり来てすいません。一晩だけ泊めていただきたいのですが」
アレンがそう切り出す。
追手が迫っているかどうかは不明だが、町とこの村はあまりにも距離が近い。
朝になれば「町の宿屋に少女の姿をした魔物が出た」という噂がこの村まで伝わるかもしれない。
そうなればこの村も出て行かなければならないだろう。アレンはそうなる前に少しでも早くリサを休ませてあげたかった。
「かまわんよ。辺鄙な村なだけに空き家はいくつもある。一晩と言わず好きなだけ居て源泉を楽しむとよい」
ガンシルはアレン達が湯治に来たと思ったのか、周囲に湧き出る温泉を進めた。
純粋な湯治であれば訪れる時間がおかしいのだが、「何も詮索されない」ことがアレンには助かった。
言われた通りに村にある空き家の一つを貸してもらい、そこに持参している野営用の寝具を用意する。
「お風呂! お風呂!」
本当ならばすぐにでも寝て休んでほしいとアレンは思っていたが、ガンシルと話してからリサのテンションが明らかに高くなっていた。
村中に立ち込めている、アレンでも感じ取れるくらいの温泉の匂いも原因の一つだろう。
「わかった……入っておいで」
このままでは言っても素直に寝てくれそうもないとアレンはリサに先に入浴するように伝えた。
幸い夜遅く、人々が寝静まっている時間だからリサが温泉に入っても一目にはつかないだろう。
そう思いつつ、宿屋の一軒もあり彼女を一人にはできないのでアレンは温泉の垣根の前で見張りをすることにした。
脱衣所に入っていったリサがはしゃいで温泉に入る様子が垣根を越えて伝わってくる。
この温泉は薬湯らしいので疲れをとる効果も期待していいだろう。
垣根に背を持たれ、剣を抱えたまま座るアレンの元にガンシルがやってくる。
「なんじゃ、見張りとは随分過保護じゃの」
そう言って近づいて来るガンシルを前にしてアレンの剣を抱える腕にわずかに力が入った。
特別警戒を強めたわけではない。戦士として無意識に身体が反応してしまっただけだったが、ガンシルはその動きを見落とさなかった。
「心配しなくてもこの年になって、年端も行かない少女の裸を覗く趣味なんぞないわい」
ガンシルはそのままアレンの隣に腰を下ろした。そして腰に下げたひょうたんを口元まで持っていきごくごくと喉を鳴らす。
飲み終わるとそのひょうたんをアレンに突き出した。
「村で作ってる地酒じゃ。うまいぞ」
そう言われたがアレンはその勧めを断った。
酒は魔物の本性を明らかにすると言われている。
頭の切れるデーモンスレイヤーが巧妙に人に化けた魔物の正体を酒で見破ったという逸話もあるほどだ。
半人半魔の者が酒を飲んで豹変したという実例はなかったがアレンは今まで一滴も飲んだことがない。
「なんじゃ、飲めんのか。残念じゃのう」
ガンシルはそう言って本当に残念そうに落ち込んだが、それ以上無理に勧めることもなく、切り替えたようにまたぐびっと喉を潤した。
「見よ、月じゃ。今宵は満月ではないからオオカミどもが騒がんでええわい」
ガンシルがひょうたんで空を指す。
アレンが見上げると夜空に三日月が浮かんでいる。確かに満月ではないが十分すぎるほど綺麗な月だった。
「懐かしのぉ。魔物退治の傍ら、ヨルムともよくこうして月を見ながら酒を飲んだもんじゃ」
既に酔い始めたのか、ひょうたんから酒を煽りつつガンシルが言う。
「そうですか……師匠と」
相槌を打って、それから目を見開いたアレンがガンシルの顔を見る。
間違いなく、ガンシルは今アレンの師匠ヨルムの名前を口にした。
偶然とは到底思えない。
「ガンシルさん……すべて知って……」
「町で会ったのは偶然じゃ。ヨルムから手紙を貰って弟子を取ったのは知っておったが、まさかこの地に来ておるとはな。一緒にいたあの子がリサじゃな。それも手紙に書いてあったわい」
自分の師匠にまめに手紙を送る習慣があることが意外だった。デーモンスレイヤーになりヨルムと別れてから半年弱。その間にアレンは一度たりともヨルムからの手紙を受け取ったことはない。どこでどうしているのかもわからない音信不通状態が続いている。
しかし、今はそんなことはどうでもよかった。
ガンシルが手紙でアレンやリサのことを知っているとなればアレンが隠していたことも当然していることになるからだ。
二人が半人半魔であることを。