案の定、パンが焼けるとそれを平らな白い皿に載せ、バターとリンゴジャムを持ってきてくれた。自分用のパンもちゃっかりと焼いてある。そしてコーヒーも自分の分を持参のカップに移し、「いただきます」と言って口をつけた。
「先生、今日はお出掛けしますか」
「いや、なんというか、今日は家でくつろぎたい気分なんだよ」
「じゃあ、お邪魔にならないように掃除しますね」
「よろしくお願いします」
「ほんと、先生って紳士ですね」
人のいい真知子さんは、旨そうに食パンを味わって、キッチンに向かった。まずはそこから掃除を始めるのがいつものことだった。
私は今日の天気を確認したくて掃き出し窓を開けて外に出る。置きっぱなしのブルーのサンダルはひんやりと冷たかったが、かえって頭がくっきりとした。
庭は狭いが、美奈江がいた頃の風景を残したくて、それなりにきちんと手入れをしてある。私は不器用でどうもこういうことに向いていないので、いつも植木屋に頼り切りにはなっていたが。
深呼吸をするとぶるっと震えた。寒さに体が驚いたのだろう。季節がら殺風景な庭だが、ふっと甘酸っぱいような匂いがした。
「あれ、もう梅が咲くんですね」
背後から真知子さんの声がした。
「この白梅は早咲きなんですよ。梅も種類によって咲く時期が変わる。紅梅はもっと春が近づいた頃から」
「香りはします?」
「真知子さんのところまではまだ匂わないでしょうね。一分咲き、とでもいうのかな」
紅い梅はまた違う香りがするのだが。
生垣の向こうに自転車を漕ぐ音が聞こえた。うちの門の辺りで止まる気配があったので、私はそちらのほうに向かう。
「ああ、いいですよ。直接いただきますから」
郵便だった。白い定型の封書を受け取り「ごくろうさん」と声をかけた。
『松峰一雄先生』
文字に覚えがあった。裏を見るとやはり元教え子の古川靖樹からだった。彼は近頃の学生では珍しく、レポートを手書きで書く学生だったので、その筆圧の高い特徴的な字体ですぐに分かった。