「真知子さん、私が」
慌てて真知子さんを押しのけるようにして、玄関の引き戸に手をかけた。しかたがない。これも何かの縁だろう。今さら拒むわけにもいかないし、古川をそっと外に出すわけにもいかない。
「お父さん」
およそ半年ぶりの娘の上気した顔よりも先に、その背後に立つ背の高い男に目が行った。往々にして、出会うまで抱いていた人物像が実際の相手を見るとまったく異なるというのはあることだが、今回もついさっき聞かされた「会わせたい人」のイメージとはかなりかけ離れていた。
えんじ色のコートに黒いマフラーをつけた茶色の長めの髪。この田舎町ではあまり見かけないタイプのあか抜けた男だった。いや、軽い雰囲気と言った方が良い。娘は相変わらず美奈江に似ていい娘だが、やはりこの街にいたときよりもずいぶんと華やいでいる。古風だが「娘ざかり」という言葉が浮かんだ。都会暮らしのためなのか、この男のためなのか。おそらく後者のほうが大きいだろう。
「あら、曜子ちゃん、久しぶり。ずいぶんときれいになっちゃって」
真知子さんは気さくに言いながらもかなり無遠慮に背後の男を眺めている。いかにも彼女が喜びそうな状況となった。私は真知子さんを制する意をも込めて、低い声で娘に応えた。
「おかえり、曜子。そちらの方は」
背の高い男は曜子が少し身を引いたところに一歩踏み出し、
「初めまして。曜子さんと一緒に働いている吉岡和則と申します。突然にお邪魔してしまいまして、すみません」
思っていたよりもずっと大人びた口調だった。
同じ東京にいた人間としても、私の教え子とはずいぶん違う世慣れた雰囲気を醸し出している。
「とにかく中へどうぞ。真知子さん、お昼の用意をしていただけますか。五人分、いや出前でも取ったほうがいいかな」
「お父さん、あらたまらないでいいから。真知子さんのお料理、美味しいし。でも、五人って」
不思議そうな彼女の目の色が変わった。
こらえきれなくなったのか、古川が居間からそっと顔を出していたのだった。
真知子さんは腕が鳴るとばかりに、昼ご飯の準備に取りかかった。せっかく彼女がはりきっているのを止めて出前を取るのもはばかられたので、私は彼女に一任した。
キッチンから聞こえる水の音や野菜を刻む音、食器を用意する音を聞きながら、ガラステーブルを挟んで、私と古川が並び、向かいに曜子と吉岡が腰かける形となった。どうも按配が悪すぎるが、しかたがない。私は真知子さんに五人分の昼食をお願いしてしまったことを後悔しはじめていた。これでは、古川は帰るに帰れない。少なくとも昼食までは同席しなければならなくなる。
自分が古川をこのまま帰したくなかったばかりに、彼に居心地の悪い思いをさせてしまっているということが心苦しい。
曜子も吉岡も古川に気を使って、今日いちばんの用事だったはずのことを口にしない。
掃き出し窓には今の時間、いっぱいに陽があたって、室内は暖房が要らないくらいに温かくなってきていた。
「吉岡さん、といいましたね」
私は無理に澄ました声を出した。
「こちらは、古川といいます。私の昔の教え子でして、今日は久々に訪ねてくれたんですよ」
「お父さまがF大学の教授をされていたことは、曜子さんからうかがって存じています。今は文章も書かれているとか」
見かけによらず吉岡はしっかりとした話し方をする。心なし目を伏せていた曜子がちらりと傍らの男に目をやった。古川の息使いが聞こえるような気がした。彼のほうをまともに見られない。