裏業はひとり、その場に正座するしかなかった。傍らには「すぅ……すぅ……」と規則正しく寝息を立てている水埜辺がいるだけ。少し、気まずい。外を見ると、庭の二本松が風に揺れていた。
ふと、右側の松の枝に違和感を感じた。目を細めて見ると、枝には何故か人の姿があった。
――奴良野殿に……似ている?
そんなはずはないと目をこすり、もう一度確認したが、次の瞬間にはその姿は消えていた。
「……失礼いたします」
水紀里がしなやかに一礼し再度部屋へ入室する。その姿は初めて会った時と変わらない彼女だった。
「水紀里殿……」
「何故、貴女がここにいるのかについては、聞かないでおきます。しかし、兄様をここへ連れ戻してくれたことについては、礼を言います」
それは少し違う気がすると裏業は言いそうになったが、それを言ってしまうと余計に面倒なことになりそうだと感じたので黙ることにした。
水紀里は新しい水に汲みかえた桶の中に手拭いを浸しそれをゆっくりと絞り、眠る水埜辺の額に優しく置いた。
「……兄は、この朔日に彼岸から出ることなどありませんでした。自身の身体については十分に承知していましたし、近年は体調を崩されることも多かったですから。ですが、
「半分人間なのだと、先ほど碓氷殿から伺った」
水紀里は少し悲しい表情をしてなかなか熱の引かない水埜辺の頬を手の先で優しく撫でる。
「……。もし、これから先、兄様のことを擁護して頂けるのであれば、私たちは
どうでしょう、いい条件だとは思いませんか?
水紀里はこの時初めて、裏業の目を見て言葉を交わした。裏業は、この時どうしても彼女から目を逸らしたくなった。
水埜辺は以前、水紀里と水伊佐の双子の姉弟とは半分しか血が繋がっていないと言っていた。だから自分と彼らは似ていないんだと。
――そんなことないじゃないか。
嫌なほど、彼女の目は兄の
「条件では動きたくない。私は私の判断で彼のことを知らなければならない。だからその……そういう言い方は、なんというか、少し悲しいと思う」
「……なかなか肝が据わっているのね、貴女」
「そう、だろうか……?」
「そうだと思うわ。あ、飲み物でもお持ちしましょうか。粗茶ですけど」
「あ、ああ。お構いなく」
沈黙――。以前より敵視されていた所為か、妙に言葉に棘があると感じた。しかし、そこまでの痛みは感じられなかったところをみると水紀里はほんの少しではあるが裏業のことを認め始めているのかもしれないと思った。
急須から湯呑へお茶が淹れられる。その様子を見て、ふと、話したいと思った。
「…………水埜辺殿は、
沈黙を先に破ったのは、裏業であった。その言葉を耳にすると水紀里は「え?」と反射的に驚き、彼女を見つめた。
この時、水紀里は初めて兄の気持ちが少しだけ理解できた。『人』に興味を持った瞬間だった。
「その、兄上様というのは」
「十二年前に亡くなった。――私の手で、殺した」
その言葉について、水紀里は何も驚くことはなかった。
「……その方の、お話を伺っても?」
「……ああ。少し長い話だが、それでも?」
水紀里は口角を上げ、笑顔を作る。それが答えだった。
裏業は朝凪を膝の上に置き、見つめ、『兄』について語り始めた。