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第34話 『管狐』

「はあー。まったく、人がいるだなんて聞いてないんだけどー?」


 先ほどの陽気な話し方とは打って変わり、低く腹部に響く声が浅乃助の耳を刺激する。浅乃助はその場に黙って座っていた。


「人くらい、この屋敷に来ることはありますよ」

? 違うだろー。ここに来るのはこういう、」


 有政は浅乃助の前髪をむしり取るかの如く掴み上に引っ張った。「ぐっ」と苦しげな声が部屋に木霊こだまする。


「お前みたいな化け物だけなんだよー! あははははっ!」


 不快な高笑いが浅乃助の耳をつんざいた。同時に前髪から手が離れる。煩い。今すぐにでも殺してやりたいと思う。けれど、それでは意味はない。


「お前が死に掛けた時、を貸してやっただろう。上手く馴染んでいるようで良かった。だが、まだ足りない」


 そう言いながら、有政は一つ巻物を浅乃助の目の前に開き見せつけた。彼は浅乃助が盲目であることを知りながら、それでもなお、姑息な嫌がらせを止めない。巻物の端が浅乃助の鼻先に当たった。ぴくりと浅乃助が動く。巻物の中には『管狐』と書かれているだけで、そこに狐のような動物の絵は描かれていなかった。


あやかし百絵巻ひゃくえまきの一つ、『管狐くだぎつね』。折角やっているのだから、もっと有効的に使ってくれなきゃ困るよ」

「……気を付けます」

「……どーせ、使うならさあ」


 動かないことをいいことに、有政は浅乃助の耳元で囁く。


 ――浅姫を襲うことにでも使ってくれないと、面白くないじゃない。


 瞬間、有政は気付いた時には部屋から出ていた。

 否、出ていたのではない。何かに吹っ飛ばされたのである。


「…………げほっ、はは、まさかそこまで侵食していたなんてね。やっぱり面白いなぁ、浅乃助殿は」


 もう一度咳き込むと口の中が鉄臭く感じた。どうやら口の中を切っているようで、有政は口の中の血を庭に吐き出した。びちゃっと、赤い液体が雑草を濡らす。

 有政はゆっくりと目の前に意識を集中させた。

 今、彼の目の前にいるのは、先ほどまでの浅乃助ではなかった。暗い部屋の中で獣の呻き声が鳴る。

 など、いないはずなのに。



「……これではまるで、狐そのものだな……」



 有政はと笑い、先ほどとは違う巻物を懐から取り出し広げた。するすると開かれた中には『管狐』とは異なり『姑獲鳥こかくちょう』と書かれた鳥の絵が在った。

 有政は吐き出した血が濡れる口端に、右手親指をぐっと押し血を付着させるとそのまま絵巻の鳥に一線を引く。すると、摩訶不思議なことに鳥は実体を持ち絵巻から抜け出し、有政の前に現れた。


「では、また。いい体験談ほうこくを期待しているよ、浅乃助殿!」


 姑獲鳥は有政をその背中に乗せ、羽を広げそのまま屋敷を飛び去った。

 満月が、まるで嫌味でも云うかのように美しくぽつんとひとつ空に輝いていた。

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