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第2話ー偽の英雄ー

「エヴァンス卿、こちらへ。」

そう言われて侍従について歩く。皇城へ来てからどれくらいの時間が過ぎたのだろうか。脱走兵の一人に過ぎなかった俺が、今ではここジャノヴェール皇国の英雄として祭り上げられている。ここ皇城ももう歩き慣れたものだ。広間へ入る。広間には玉座があり、そこに皇帝ロベルトが退屈そうに座っている。

「おぅ、ヴィンセント。」

俺の顔を見て、皇帝ロベルトが微笑む。邪悪な微笑みだ。

「どうだ?退屈凌ぎに皇都でパレードでもしようではないか。」

そう言って高笑いする皇帝ロベルトに頭を下げ、片膝を付く。皇帝ロベルトは立ち上がると俺の傍まで歩いて来て、言う。

「一介の脱走兵だったお前を見出し、英雄にまでしてやったんだ。それでも何か不満がありそうじゃないか、その顔は。」

下を向いてただひたすらに皇帝の興味が逸れる事を願う。

「爵位を与え、屋敷も使用人も与え、女も抱き放題だというのに、お前と来たら、日々、訓練に明け暮れているそうじゃないか。」

皇帝の手が俺の頭を抑えつける。

「今更、力をつけて、この俺に歯向かおうとでも?」

返事をするべきか、このまま黙って嵐が過ぎ去るのを待つべきか。黙っていると皇帝が笑い出す。

「そんな訳無いよなぁ! お前は脱走兵だったんだ、そんな勇気も意地も矜持も持ち合わせている訳が無い!」

皇帝が俺の頭をグッと抑えつける。

「面白味の無い奴だ。」

手が離れる。息をつく。

「ボゴス!」

皇帝はそう呼ぶと、歩き始め、俺の傍を離れる。

「はい、陛下。」

宰相であるボゴスが玉座に座った皇帝のすぐ傍まで行くのが気配で分かる。

「このヘタレのヴィンセントをもっともっと英雄として祭り上げるんだ。」


◇◇◇


先の戦の中、俺は戦を投げ出し、逃げ出した脱走兵だった。向かって来る敵に尻込みし、怖気づき、逃げ出したのだ。逃げ出した俺は同胞に捕らえられた。脱走した者は例外なく、処刑だった。俺は処刑されるのを待つのみだったのだ。


それが。


皇都に連れ帰られた俺はその日のうちに皇城の広場に連れて行かれた。広場には何故か、多くの男が集められていた。その中に並べられ、何かを待っていた。一体何が始まったのか、全く分からない。様子を窺っていると、どうやら端から誰かが、並べられている者たちを吟味するように見て歩いている。高級そうな服装の、真っ赤なマントを翻しているその人物は、数多くの人間を従えている。それだけでそれが誰なのか分かる。


━━ 皇帝だ ━━


この国の暴君と名高い炎帝ロベルト・ジャノヴェール。


気に入らない者はその場で自身の火の才で焼き殺し、顔色一つ変えないどころか、高笑いまでするという。誰も苦言を呈する事が出来ず、まさに皇帝として君臨している男。自身の顔を見て話す者は例外なく焼き殺すと噂されている。故に誰も皇帝の顔を見て話す事は無いという。


俺は俯いて考える。何故、こんなに男が集められているのだろう。集められた男たちは、身分も服装も皆、バラバラだ。騎士も居れば、貴族のような出で立ちの者も、そして俺のような脱走兵も居る、奇妙な光景。


徐々に皇帝が近付いて来る。俺は下を向いたまま、ただ皇帝が通り過ぎるのを待った。頼む、通り過ぎてくれ。目を付けられたら何をさせられるか、分かったものでは無い。下を向いている俺の視界に入って来る、高級そうな赤い靴。赤い靴が俺の前で止まる。

「おい、お前、顔を上げろ。」

そう声が聞こえる。俺に言っているのか? 一瞬迷う。すると皇帝の傍に居た人物が俺の首に繋がっている鎖を引っ張る。引っ張られた俺は思わず顔を上げる。顔を上げた俺の視線の先には赤いマントを付けた暴君が居る。俺はハッとして下を向き、片膝を付く。

「鎖が付いているという事は奴隷か何かか?」

皇帝が誰かにそう聞いている。答えたのは皇帝のすぐ横に居た、初老の男。

「この者は脱走兵だそうです。」

そう聞いた皇帝は高笑いをして、言う。

「そうか! 脱走兵か! それは面白いな。」

恐怖が体中を支配する。

「ボゴス、この者の顔が見たい。」

皇帝の声。俺を脱走兵だと言った初老の男が俺に近付き、言う。

「陛下が顔を見たいと言っている、顔を上げろ。」

そう言われて俺は顔を上げる。目の前には赤いマントを身に付けた皇帝。顔を見ないように、ただそれだけを意識する。

「…良いな。」

皇帝がそう言う。何が良いのだろう。俺は選ばれてしまったのか? 何をさせられるんだ?

「この者にしよう。」


たったその一言で、俺の人生が180度変わった。その後、俺は皇城の中に連れて行かれ、風呂に入れられた。体中をゴシゴシ洗われ、着るように言われた服を着る。今まで袖を通した事も無かったような高級な服だ。そして案内された部屋。さほど広くは無いが、清潔なベッドに、見た事も無いような豪奢な飾りの付いた机、その前に置かれた椅子。扉が開いて振り返る。先程の広場に居た初老の男が俺を見て、言う。

「まずは座ってくれ、説明する。」

言われて俺は椅子に座る。初老の男は机を回り込み、そこにあった椅子に座ると聞く。

「名は?」

そう聞かれて俺は言う。

「ヴィンセント…」

すると初老の男がほんの少し表情を崩して言う。

「私は宰相を務めているボゴスだ。」

物腰が柔らかい。ボゴスは俺の顔を見て目を細める。

「ヴィンセント、君の瞳は美しいな。」

そう言われ、俺は苦笑いする。この瞳の色は母から受け継いだものだ。母も俺と同じような真っ青の瞳だった。ボゴスは表情を引き締めると、言う。

「君は選ばれた。」

選ばれた? 何に選ばれたのだろうか。

「一体、何に…?」

そう聞くとボゴスが言う。

「君は皇帝ロベルト様の求める英雄になるんだ。」

英雄? 英雄と言ったか…? そこでボゴスがほんの少し蔑みの笑みをする。

「偽、だがな。」


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