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第4話ーエヴァンス卿ー

それから俺は何も分からないまま、皇城の中の一室でありとあらゆる事を覚えさせられた。誰に何を聞かれても良いようになのか、せめてもの体裁を取り繕う為に、なのか。飾り立てられた部屋の中で、飾り立てられた服を着て、飾りの付いた鎧を着る。こんなに宝飾品の付いた鎧など、実際の戦闘では何の役にも立たない。それは誰の目にも明らかなのに、何故こんなにも宝飾品が付いているのだろう。俺には常に誰かが監視の為か、引っ付いていて、どこに居ても、寝ている時でさえ、傍には誰かが居た。マナーというマナーを叩き込まれ、決して自分から発言する事は許されず、死にたくなければ従うのみ、だった。


◇◇◇


「お前、脱走兵だったそうだな。」

英雄という姿を見せる為に人々の前に立たないといけない俺に、騎士としての立ち振る舞いを教える騎士バシル・フォルジュという男が、訓練をつけるという口実で俺と向き合っていた時、そう発言した。俺は何も言えなかった。木の剣を俺に向け、まっすぐに俺を見て、蔑むように言う。

「脱走兵だったお前が英雄とはな…笑える話だ。皇帝も何をお考えなのか…」

蔑まれている事は良く分かっている。俺自身も何故、脱走兵だった俺を選んだのか疑問なのだ。

「まぁ、お前の見た目に惚れた、という事だろうな。訓練でもお前の顔には傷を付けるなと達しが出ているくらいだからな。」

そう騎士が言う。見た目の良さ、か。短く息を吐き、木の剣を騎士に向ける。

「一丁前にそうすると、騎士らしく見えるものだな。」

そう言いながら、騎士が俺を見る。一瞬の後、騎士が地面を蹴って踏み込んで来る。


◇◇◇


体中が痛む。訓練で体中を滅多打ちにされた。それでも皇帝の言い付け通りに顔には傷は付いていなかった。俺は何故、こんな所でこんなふうに過ごしているのだろう。死にたくなければ従わないといけないと分かっている。けれど、俺は脱走兵で、処刑される為に皇都まで来たのだ。その道のりで死ぬ覚悟は出来ていた筈だった。常に人が俺に張り付いているけれど、その目を盗んで逃げたらどうなるんだろうか。そう思った俺は試しに人の目を盗み、逃げ出した。あとは皇城の外に出るだけだった俺は油断した。俺は呆気なく捕らえられ、皇帝の前に突き出された。

「何故、逃げる?」

そう問われた。俺は自分が何故、逃げたのかも分かっていない。監視が嫌だったのか、したくも無い訓練が嫌だったのか。

「何が足りない?何が不満だ?」

そう問われても俺は何も言えなかった。俺の待遇は決して悪いものでは無い。脱走兵だった俺は処刑を待つだけの身。その前までは平民で、畑仕事をやりながら暮らしていた。それに比べれば今は畑仕事をやらなくても良い。良く理解も出来ないような貴族の立ち居振る舞いを叩き込まれ、ありもしない剣の腕を磨く毎日。訓練で体中を滅多打ちにされる事はあっても、食事も平民だった頃より豪華で、何よりも柔らかいベッドで眠る事が出来る。

「…躾が必要なようだな。」

そう言ってニヤリと笑う皇帝に悪寒が走る。


◇◇◇


躾と称された皇帝の虐待が始まった。体中を傷付けられ、皇帝の火の才で皮膚を焼かれる事もあった。それでもどんなに体中を傷付けようとも、顔には傷一つ無かった。従う事を強要され、俺は屈した。戦から逃げ出したあの時のように、俺は辛く苦しい事から逃げたのだ。


俺が従順になると、皇帝は満足そうに俺に爵位を与えた。新しい屋敷と使用人も。名字を持たない平民だった俺に名字が出来た。


エヴァンス伯爵位


それが俺に与えられた新しい名字と爵位だった。


俺に新しい屋敷と使用人が与えられた事で監視の目は少し緩んだ。それでもまだ人前には出せないようで、屋敷と皇城の往復の日々が続いた。


それからふた月━━


急ピッチで進められた英雄を作り上げる作業が仕上げを迎える。その日、俺は皇城でのパーティーに参加をさせられた。


英雄として。


誰もが俺の出自を知っている。俺が元脱走兵だった事はこの皇城の中では公然の秘密だった。皇帝以外は皇帝の前では俺が脱走兵だった事を口には出来ない。ついうっかり口にしてしまったら、その時はその場で皇帝に焼き払われるだろう。それぐらいの事は暴君ならば当然の事だった。だから誰もそれを口にしない。だが口にはせずともその雰囲気は伝わるものだ。人々の前を通り過ぎる度にその視線に、その空気感に蔑みの感情が混ざる。


たかが脱走兵のくせに

皇帝に気に入られたのも、あの顔のお陰だろ

何の功績も上げてないのに、叙爵で伯爵位なんて

誰もお前なんか認めてないからな


そんな空気感を肌で感じながら、俺は針の筵に座らされ、耐えるしか無かった。ただ前だけを見つめて、無表情に一点を見つめる。感情を表に出してはいけない、そう教わった。どんな言葉を言われても感情を出さずに、イエスともノーとも言えない返事をする。俺は皇帝に飼われている犬だ。そう自分に言い聞かす。


◇◇◇


そんな日々を過ごしていた俺の心はすり減って行き、蔑みの言葉を掛けられても何も思わなくなった。自分で自分を誰よりも蔑んでいたから、誰に何を言われても何も感じなくなっていた。


虚無感


自暴自棄になった俺は皇帝の言う通り、屋敷で連日連夜パーティーを開いた。皇帝の寵愛を受けている俺に名前を売りたい馬鹿共が集まって来ては、大騒ぎをした。その頃から俺は決めていた。親切には親切で返し、蔑みには蔑みで返す事を。俺を憐れんでか、集まって来る者たちは皆、俺の出自や経緯なんかを気にしない連中が多かった。俺はその中から人を選んでいった。一番最初に目を付けたのはトラヴィスという男。この男はこの屋敷に皇帝の命でやって来ていた執事だ。最初は無表情でその感情が読み取れなかったが、時が経つにつれて、トラヴィス自身も俺に慣れたようで、何も知らない俺に小声で色んな事を教えてくれるようになった。俺に出来た一番最初の味方だった。


その後、集まって来た者たちの中から、エヴァンス邸の警備や騎士の道を目指す者などの志願者が出るようになった。皇帝も偽とは言え、英雄と名乗らせた以上は、それを拒否する事が出来ずに、お目付け役として俺に騎士としての振る舞いを教えた、バシル・フォルジュが抜擢された。バシルは当初、俺を見下すような態度だったが、俺がその「教育」を根を上げずにやり切った事で、互いに打ち解けるようになった。


やっと心を許せる相手が数人、出来た俺だったが、やはり連日連夜続く、パーティーは俺を疲弊させた。心にもないような歯の浮くセリフの数々、無駄に褒める男たち、そしてお近づきにはなりたいが、見初められては困る、といった態度の女たち。果ては俺を利用して、皇城へ入り込む事を企む者まで…。


俺はそこからまた逃げ出した。行方不明にでもなれれば…、せめてこの皇都から出られれば…。


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