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第8話ーリナリアの力ー

ハイラムと医師、騎士たちが帰って行く。居残った騎士は二名。彼の居る部屋の前で彼の様子を見ながら監視を務めている。シャネスはまだ彼をここに残した事に不満があるようだった。それでも私が彼を動かす事を止めたので、それに従っている。


溜息をついて、彼の居る部屋に向かう。扉の前に立っているヤニックとガーランドは私を見て、頭を下げ、扉を開ける。ベッドの上で彼は上半身を起こしている。

「横にならなくても大丈夫ですか?」

そう声を掛ける。彼が私を見る。無表情で彼が頷く。彼のベッドの傍にある椅子に腰かける。

「医師から話は聞きました。」

そう言うと彼が視線を落とす。

「そうですか…」

彼に聞く。

「何も覚えていないと聞きましたが…」

そう言うと彼が寂しそうに微笑み言う。

「えぇ…自分の名も思い出せません…」

彼は頭を打ったか、殴られたかしたせいで記憶を失くしている。それに彼の負っている傷は剣によるものだ。それらを踏まえても、彼はきっと兄側の人間では無いように思う。

「どこに住んでいたか、何をしていたのかも、分かりませんか?」

きっともう医師に確認はされているだろう。けれど私はもう一度そう聞いた。彼は少し考え、自身の手を見ながら言う。

「俺は、多分…どこかで農民のような生活をしていたのでは無いかと思う…」

そう言って彼が私に手を見せる。

「こんなに手にマメが出来ている、きっとこれは畑仕事によるものでしょう。」

彼の手にはマメがたくさんあった。けれど、それは剣を握っていたからでは無いだろうかと思う。ジャノヴェール皇国の紋章の付いたマントを着ていた事からも、そう推察出来る。彼の着ている衣服も上等な物だ。平民が着られるような物では無い。

「剣を握っていたという可能性は無いでしょうか。」

私がそう言うと、彼が意外そうな顔をする。

「俺が、剣を…?」

剣を握るという事は、騎士かその訓練を受けた事があるという事、先の戦で仕方なく剣を握った者も居ただろう。けれど剣の訓練を受けられる者は限られている。誰でも騎士になれる訳では無い。そしてマメが出来る程、剣を握っていたとするならば、それは紛れも無く訓練を受けていたという事だ。彼は思い出そうと試みているのか、考えるように自身の手を見ている。

「それだけのマメが出来ているのです、剣を握っていたか、その訓練を受けていたか、そう考えるのが妥当でしょう…そしてあなたの負った傷は剣によるものです。それらを合わせて考えてもあなたはどこかの騎士だったのでは無いですか?」

私がそう言った瞬間、彼がその手で自身のこめかみを押さえる。きっと頭痛がするのだろう。

「大丈夫です?」

そう言って彼に近寄る。彼はこめかみ辺りを押さえながら、目を閉じている。

「すまない…」

彼がそう言って私を見る。近くで見ると本当に澄んだ色をした瞳だった。吸い込まれそうな程の青。こんなに綺麗な碧眼は見た事が無かった。ハッとして私は彼から離れる。一瞬だけれど、彼の瞳に見惚れてしまった自分を戒める。

「名を覚えていないとなると、何と呼べば良いのか困りますね。」

そう言うと彼が苦笑いをする。

「そうだな…」

二人の間に流れる沈黙。不意に彼が言う。

「…名付けてはくれないだろうか。」

そう言われて少し驚く。

「私が…?」

彼はその時、ふわっと微笑んだ。その微笑みが何だかとても素敵だった。

「あぁ、俺の命を救ってくれた恩人だと聞いた。」

そう言うと彼の表情から微笑みが滑り落ち、俯く。

「迷惑をかけてしまってすまない…傷が塞がったら出て行く。」

俯いてそう言う彼が何だか可哀想で、私は言う。

「名は何としましょうか。」

彼が顔を上げる。その顔にはほんの少しの驚きが混ざっている。何故、驚くのだろうか。自分で名付けて欲しいとそう言ったのに。彼の瞳は透き通る程の青。

「…リビウス…」

口をついて出た言葉だった。

「リビウス?」

彼がそう聞く。私は少し笑って言う。

「えぇ、青という意味の言葉です。」

そう言うと彼が少し微笑む。

「リビウス…良い名だ。」

彼の微笑みが思いのほか優しくて少し戸惑う。

「あなたの名を教えてくれ。」

そう言われて言い淀む。

「私の名は…ミアと言います。」

ミア・ジャノヴェール。自分の名がまるで呪いのようだと感じた。

「ミア、か。良い名だ。」

彼がそう言って微笑む。その微笑みに少しホッとする。そして私には試してみたい事があった。

「あなたに触れても良いですか?」

そう聞くと彼が驚く。

「触れる…?」

急にそんな事を言われたら誰でも驚くだろう。少し笑って言う。

「えぇ、試してみたい事があるんです。」

そう言うと彼が頷く。

「俺で良ければ。」

そう言われて私は彼の腕に触れる。目を閉じ、彼の傷の事を思い浮かべる。私の中から力が溢れ出して来る。温かい柔らかい光を感じて目を開ける。私の体から溢れ出した光は彼を包み込み、そして体へ馴染んでいく。

「これは…一体…」

彼が自分の体を見ている。

「どうですか?」

そう聞くと彼が言う。

「あぁ、何だか痛みが消えた気がする…」

彼の胸元から見えていた傷跡が薄くなっている。完全に消えるまでには至らなかった。

「傷の具合はどうですか?」

そう聞くと彼が自身の肩に触れる。

「まだ痛みはあるようだが、さっきよりは良い。」

そう言って微笑む彼が何だか素敵に見えて、目を逸らす。

「良かったです…」

そう言いながらも私は自分のリナリアの力が彼にも効いた事が嬉しかった。

「治癒の力を使えるのか…?」

そう聞かれて少し笑う。

「私の持っている力はそれ程強くは無いのです。どこかの国では聖女と呼ばれる人が怪我も病気も癒すと聞いた事がありますが、私はそこまででは無いので、普段はあまり使いません。」

そう言うと彼が私の手に触れ、言う。

「ありがとう、助かった。」

私は自分の力を彼に使うのを躊躇ったのだ。傷を負って倒れ、ジャノヴェール皇国の紋章の入ったマントを着ていた彼を警戒していたから。でも記憶が無いのなら…そしてこの国の民であるなら…そう思ったのだ。この国の民、全員を救う事は出来ない。私の父や母、失われて行く命たち全部を救う事は出来ないのは自分でも良く分かっている。


◇◇◇


それから彼は日を追うごとに傷が良くなっていった。もう熱で苦しむ事も無く、ベッドから出て、体を動かすようになっていた。それでも長時間の移動はまだ無理だろうと、医師がそう診断していた。傷を負っていなければ、何ともない普段の私たちの動作が傷を負う事によって。負担がかかっているようだった。それでも彼は私から見ても回復を急いでいるように見えた。どうしてこんなに急いでいるのか、分からない。もしかして記憶が戻っている…?

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