リビウスがこの小屋に来て、一週間程、経ったある日の事…。
「ダメだ!部屋から出るな!」
ヤニックのそういう声が聞こえて来る。シャネスと顔を見合わせて私は彼の居る部屋に向かう。
「何事ですか。」
そう聞くとヤニックは部屋の扉の前で仁王立ちしながら中に居るであろうリビウスを見ているようだった。
「ミア様、この者が…」
そう言ってヤニックが私を見て困った顔をしていた。部屋の中を見ると、リビウスが立っている。マントを付けて。
「どうしたのです?」
そう聞きながらも私は少し怯えていた。もしかしたらリビウスの記憶が戻ったのだろうか、と。リビウスは私を見て言う。
「出て行こうと思ったんだ…」
そう言って視線を落とす。私が近付くとヤニックが体を引く。リビウスの前に立つ。見上げる程の身長だった。
「何故です? 医師もまだ長距離の移動には無理があると言っていたでしょう?」
そう言うと、リビウスが俯く。私は息をついて、付いて来たシャネスやその場に立っているヤニックに言う。
「彼と二人きりに。」
そう言うとシャネスが食い下がるように言う。
「ですが!」
私はシャネスを制して言う。
「二人きりに。」
部屋の扉が閉まり、リビウスと二人きりになる。
「どうして出て行こうと?」
そう聞くとリビウスは溜息をついて、言う。
「俺は記憶を失くしている、だから俺の身に何が起こったのかは俺自身にも分からない。でも。」
そう言ってリビウスが私を見る。
「この肩の傷や足の傷は剣で切られたものだと聞いた。頭の方は殴られたかどこかでぶつけたかは判断できないと医師にも言われているが。そんな誰かに刃を向けられるような俺が、ここに居たのでは、ミアやここに居る人間に迷惑がかかるかもしれない。」
そう言ってリビウスがまた俯く。
彼は彼なりに私たちの事を心配してくれているのだろう。確かに彼に何があったのか、どうして剣で傷付けられる事になったのかは分からない。それでも生きようと、ここまで這ってでもやって来たのだ。誰かに狙われているのかもしれない。もしかしたら罪を犯しているのかもしれない。彼に追手が迫っているというのなら、それは私も同じだった。そしてここはエンドオブグリーンだ。誰でもが辿り着ける場所では無い。最果ての地まで辿り着いたのなら、そして自分の事では無く、私たちの身を案じて出て行こうとしているこの者なら、きっと大丈夫だ。
「出て行く必要はありません。」
そう言うとリビウスが私を見る。その顔は驚いていた。私は彼に微笑んで言う。
「もし誰かがあなたを狙っていて、ここへその者たちがやって来るのなら、扉の前に立つ、ヤニックとガーランドが対処してくれるでしょう。日々の生活に関して不都合があるならシャネスに言えば良いのです。話し相手が欲しければ私が話し相手になりましょう。」
リビウスを見上げる。
「だからまずは傷を治す事を考えてください。傷が治ったら、その時また考えましょう。」
彼の瞳から涙が溢れて零れる。
「何で…」
大きな体で涙を零す彼を見て、胸が締め付けられる。きっと彼はこれまで誰かから親切にされる事が少なかったのかもしれない。怪我を負い、傷だらけになっても誰も手を差し伸べてくれる人が居なかったのかもしれない。彼の体中に付けられた白く浮き出た傷跡。私と似た境遇に同情しているのかもしれない。北の塔で誰とも接触出来なかった時の事を思い出す。心が死んでいくあの感覚…。思い出しただけでも身震いする。リビウスの腕に触れ、言う。
「負傷している人を放っておけない、理由などそれだけで充分でしょう?」
そう言うとリビウスは涙を拭いて、言う。
「こんな情けない姿を晒して、申し訳ない…」
そう言うリビウスに微笑み、彼のマントを取る。マントが床に落ちる。痛々しい傷を覆う衣服は切り裂かれたままだ。
「服も新しくした方が良いでしょうね。」
扉を開けるとシャネスが飛び込んで来る。
「ミア様、何もございませんでしたか!」
そう言うシャネスに微笑む。
「何もありませんよ。大丈夫です。それより。」
そう言って扉の前に立つヤニックに言う。
「男性用の衣服の準備を。」
そう言うと、ヤニックが頭を下げ、言う。
「御意。」
◇◇◇
その日のうちにカタフィギオから荷物が届いた。中には男性用の衣服が入っている。それを持ってリビウスの元へ行く。扉をノックすると返事がある。
「はい。」
私はその返事を聞き、扉を開ける。
「衣服が届きました…」
目の前ではリビウスが上半身裸で立っていた。急に現れたその光景に思考が追い付かない。
「あ、ごめんなさい…」
そう言って目を逸らす。リビウスは少し笑って言う。
「服が裂かれていたので、脱いだだけだ。」
良く見れば足の傷の部分も当たり前だけれど、服が切れている。包帯が巻かれてはいても、目のやり場に困る。
「これを…」
そう言って服を差し出す。リビウスが服を受け取り、言う。
「ありがとう。」
私はそのまま早々に部屋を出た。男性の体、しかも上半身何も着ていない状態は、別に珍しい事では無い。前に何度もカタフィギアでは見た事もある。それなのに、扉の前で私は胸を高鳴らせている。どうしてこんなに胸がドキドキするのだろう。
「ミア様?」
そう声を掛けて来たのはシャネスだった。
「何かありましたか?」
私は首を振り、言う。
「いえ、何も。」
そう言いながら向かい側の部屋に入り、扉を閉める。扉に寄り掛かり、両手で顔を覆う。視界を遮るとリビウスの上半身が瞼に浮かんだ。鍛え抜かれた体、薄くはなったけれど、鞭打ちの痕がまだ残っていた。彼は怪我人なのよ、怪我が治れば…。治れば…? ここを出て行くのだろうか。ここを出て行ったら彼はどこへ行くのだろう。
そうだ、引き留める理由がない。顔を覆っていた手が落ちる。
ここ、エンドオブグリーンに集結している者たちは、志を同じくしている仲間だ。現皇帝であり私の兄である炎帝ロベルトを倒す、その為に情報を集め「時」が来るのを待っている同志。彼に記憶が無いのなら、彼がここに居る理由も意味も無い…? 彼に自身の記憶の事ばかり尋ねていたけれど、彼は今の情勢を知っているのだろうか。
聞いてみるほか、無いだろう。