その日の夕食の時。私は自身の夕食を早々に終えて、リビウスの分の夕食を持って彼の部屋に入った。シャネスは相変わらず、自分がやると言ったけれど、事情を聞く為に、私が持って行くと言ったらシャネスは渋々、それを了承した。
夕食を口にしているリビウスに言う。
「あなたは記憶が無いのですよね。」
そう切り出す。リビウスは私を見て頷く。
「あぁ。」
上半身を起こし、夕食を食べている姿は姿勢が良く、美しい。ガツガツと食べるのでは無く、上品だ。
「今まではあなたの身の回りの事ばかりを聞いていましたが。」
そう言いながら次の言葉を言うのを躊躇う。
「…この国の事については記憶がありますか?」
そう聞くとリビウスが手を止め、少し考える。
「…いや、何も…」
そう言われて、落胆するのと同時に安堵もした。
「そうですか…」
私がそう言うとリビウスが言う。
「教えてくれないか。」
そう言われてリビウスを見る。彼の瞳にはしっかりと光が宿っている。
「ミアたちが何かから隠れるように暮らしている事は分かっていた。でも医師が居て、こうして男の衣服も用意出来て、扉の前には騎士が二人立っている…という事は何かの組織か集まりなんだろう?」
そう聞かれ、私は彼の把握能力を知る。
「そうですね、ここは私を中心として集まっている者たちが居る場所です。」
そう言うとリビウスが呟くように言う。
「エンドオブグリーン…」
その言葉を聞いて、彼は何か思い出すだろうか。
「最果ての地…」
リビウスがまた呟く。不意に彼が顔を顰め、頭の傷を押さえる。何か思い出したくない事でもあるのだろうか。私はリビウスの腕に触れ、言う。
「無理に思い出さなくとも良いのです。」
そう言いながらも言い知れない不安が押し寄せる。もしリビウスが皇帝側の人間だったら…? 記憶を失くしている事が事実だとしてもその記憶がいつ戻るのかは誰にも分からない。そして記憶が戻った時、彼が皇帝側の人間だとしたら、私たちの事をすぐさま、報告するだろうか。
「すまない…」
そう言いながら食事を止めたリビウスが言う。
「今日はもう食べられそうにない。申し訳ないが下げて貰えるだろうか。」
ほんの少し口にしただけの食事…。私が彼の食欲を減退させてしまった。彼に出した食事を下げながら言う。
「私の話した事のせいで食欲が無くなってしまったなら、ごめんなさい。」
そう言うとリビウスが私の手に触れて言う。
「違う、そうじゃないんだ。」
リビウスが私を見る。
「情けなかった…何も思い出せず、俺は怪我を直す事を優先させて貰っている…ここに居る皆が異分子である俺を警戒しているのも分かっている…だからこそ、思い出したいのに、何も思い出せなくて情けないんだ…」
リビウスはそう言いながら私の手を握る。
「ミアから光を分けて貰って、俺は涙が出そうだった…俺を救ってくれたミアに何かしてやりたいのに、今の俺は何も出来ない…それが歯痒い…」
完璧なまでの青い瞳…その瞳が揺れていた。私の手を握っている手をもう片方の手で覆う。
「私の為に何かしたいと思っているなら、早く傷を治してください。そうしてあなたの記憶が戻れば、きっと自分が居るべき場所も分かる筈です。」
頭の中で声がこだまする…
リナリアの力はね、ミア…
父の声だ。目を閉じる。
リナリアの力はね、ミア…人々を照らし…~~~
そこで声が途切れる。
「ミア!!」
声を掛けられ、目を開ける。光が溢れ出し、リビウスへと注がれている。リビウスは私の手を優しく包み、言う。
「もう良い…、もう良いんだ…」
リビウスにそう言われ、それが何を意味するのかも分からないまま、私は気付けば涙を流していた。リビウスが手を離し、私の頬を伝う涙を拭う。その手が思ったよりも温かくて大きくて、その手に何もかもを委ねてしまいたくなる。何故、彼と接しているとこうなるのだろう。そう思いながら私は涙を拭き、食事を下げる。
部屋に戻って、ベッドに横になる。あれは一体、何だったのだろう。自分でも良く分からない。リビウスが記憶を取り戻し…もしリビウスが皇帝側の人間だったなら…彼をそのままここから出す訳にはいかないだろう。でも何も知らないという可能性だってある。誰かに剣を振るわれたとしても、だ。
ここまで心を乱された人は居ない。彼を見ていると心がざわめく。このざわめきは何なのだろう。
◇◇◇
翌朝、バタバタと人が山小屋にやって来る。ハイラムが騎士を連れて来た。
「どうしたのです?」
そう聞くとハイラムが言う。
「皇都で反乱分子、わが同胞が反乱を起こし、それをきっかけに粛清があったそうです。」
粛清…兄が完膚なきまでに自分に反目する者を手に掛けている、という事だ。
「そしてその反乱分子の残党一派が、こちらへ向かっていると情報が入りました。」
粛清を切り抜け、網の目をくぐって、ここへ…。ハイラムが言う。
「その一派が到着したら、どのように…」
そう言われて私は溜息をついて言う。
「まずはカタフィギアに入る資格があるかどうかを見極めなければなりませんね。」
そう言うとハイラムが言う。
「あの飲み屋に辿り着けるかどうか…」
反乱分子…彼らは兄の圧政に耐えられず、兵を挙げた者たちだ。志を同じくする者…。けれどそうしてすぐに挙兵をする、生き急ぐ者たちと、このエンドオブグリーンに居る者たちはその思考が少し違っている。
「まずはあの入口で合言葉を言えるかどうかでしょうね。」
そう言うとハイラムが頷く。
「もし合言葉が言えて、中に入る事が出来たら、その後はどのように致しましょうか。」
私はハイラムを見ながら言う。
「まずは話を聞きましょう。そして見極めるのです、ここに居る資格があるかどうかを。」
生き急ぐ者たちは「時」を待ってはいられない。圧政に苦しみ、そこから何とか脱しようと、もがいた結果なのだ。きっと志の高い者ほど、生き急いでいくのだろう。
◇◇◇
ハイラムたちが帰って行き、山小屋に静けさが戻って来る。
「リビウスは…彼はどうしているの?」
そう聞くとシャネスが言う。
「朝食はきちんと召し上がりましたよ。」
彼の居る部屋の方を見る。
「今は部屋に?」
聞くとシャネスが言う。
「えぇ、居ると思いますよ。」
私は立ち上がって、彼の居る部屋に向かう。どうしてこんなに彼が気になるのか、自分でも分からない。部屋の扉をノックする。返事が返って来る。
「ミアです。」
そう言う。昨日は部屋を突然開けてしまったから。
「どうぞ。」
そう返事が聞こえて、私は扉を開ける。部屋のベッドの上に、リビウスが座っていた。
「怪我の方はどうですか。」
そう言いながら、部屋の扉を閉める。
リビウスは立ち上がり、そして顔を顰める。
「まだ少し痛むが…」
そう言ったリビウスがバランスを崩し、よろける。私がそんな彼に手を差し出し、彼を支える。
「無理をせずに…」
そう言って彼を見上げる。彼が私を見て微笑む。