ボゴスが立ち上がると、牢の中にシャネスとマルティナ、トリスタンが入って来る。
「この先の事を少しお話しておきます。」
ボゴスはそう言うと、シャネスが用意した椅子に座る。
「今、この国は炎帝ロベルトの驚異的な火の才によって統治されていますが、私を始めとする革命軍は息を潜めて機を待っています。そして偽の英雄であるヴィンセントが皇国に戻る事を知った私は策を打ちました。」
ボゴスが打った策……。
「それは我が国の英雄であるヴィンセントと隣国サイノックスの縁談です。」
縁談、そう聞いて心の奥がズキッと痛む。
「ヴィンセントだけが戻ったのであれば、彼を利用し、またパレードでもやれば、炎帝の気持ちも落ち着くでしょう。ですが、共に戻ったのがミア様であれば、偽の英雄など、居なくても良い存在になり得ます。ですので、彼の利用価値を高めなくてはいけません。」
ボゴスの言う通りだ。兄は要らないものにかける情など無いだろう。
「隣国サイノックスとは秘密裏に連絡を取り合っています。私が革命軍に属している事も承知の上です。」
……という事は、サイノックスとの縁談も兄を打ち倒す為に必要な策の一つという事だろう。
「ミア様におかれましては、この北の塔にて、お待ち頂く事も多かろうと思います。」
ボゴスが優しい顔で微笑む。
「少しのご辛抱をお願い致します。」
私はそんなボゴスに微笑む。
「あなたには救われてばかりね。」
そう言うとボゴスは目を細めて言う。
「私はこの国に忠誠を誓っております。それは決して圧政を強いる炎帝ロベルトに対してのものではありません。この国をもっと豊かに、もっと平和にしていきたいのです。その為には皇帝となるべきなのは断じて、炎帝ロベルトではありません。」
先程、感じた違和感について、ボゴスなら何か知っているだろうと思い、聞く。
「兄が私の顔に触れた時、私は何か異質なものを感じたのだけど、ボゴスはそれについて何か知っているかしら?」
私がそう聞くとボゴスの表情が曇る。眉間に皺を寄せ、言う。
「あれは……」
言い淀むボゴスに言う。
「言って頂戴、知らないといけない気がするの。」
私がそう言うとボゴスが言う。
「あれは持ってはいけない感情でございます。実の妹のミア様にあの炎帝ロベルトは劣情を抱いております……」
劣情、そう聞いて嫌悪感が増す。
「だからあなたが割って入ったのね……」
そう言うとボゴスはしっかりと頷いて、言う。
「私に出来る限りの事は致します。今はサイノックスの使者が来ておりますし、これからは使者だけに止まらず縁談のお相手であるサイノックスの姫も参りましょう。故に炎帝ロベルトがミア様に割く時間は無いと思われますし、そう仕向けて行く所存でございます。」
革命の光が少しずつ強まっている……。だからこそ、私の存在が必要なのだろう。私が居なければ、この革命の旗印として立つ者は居なかっただろうから。兄の圧政はここへ来るまでの道中でも感じられたのだ。民は皆、もがき苦しんでいる。私は立ち上がり、ボゴスに手を差し伸べる。ボゴスは椅子から下りて片膝を付き、私の手を掬い上げる。
「皇国に光のご加護を……」
ボゴスがそう言うと、私の手から光が溢れ出し、私とボゴスを包む。
◇◇◇
ボゴスが牢を出て行くと、トリスタンが言う。
「皇都の北の端、最果ての地エンドオブグリーンに一番近い町へエンディアたちが到着したとの報告を受けています。ハイラムやシトリナ嬢、フォステリも居るそうです。」
そう言われて私は頷く。
「そうですか、分かりました。ありがとう。」
トリスタンは小さく会釈して、牢のような部屋を出て行く。
「大丈夫ですか? ミア様。」
シャネスが心配そうにそう聞いて来る。私は曖昧に笑い、ベッドに腰掛ける。
兄が私に劣情を抱いていると聞いて、どうしてボゴスが急に私を逃がしたのかが分かった。ただ単に私が可哀想だから、という理由だけでは無かったのだ。私を逃がさないとあの時の無気力な私では、協力者が居なかったあの時では、間違いが起こっていてもおかしくなかったという事だろう。
あの時の私は無気力で、考えるという事を止めてしまっていた。ここ北の塔へ幽閉され始めた時に毎日のように続けられた躾……私が何の反応も示さなくなって、その頻度は落ちたけれど、私に考えるという事を放棄させるには十分なくらいには躾は行われていたのだ。
考えただけでもおぞましい事だ。もし間違いが起きてしまっていたら、私の心は完全に壊れていただろう。ボゴスには感謝してもし切れない。兄はそれ程までに誰の意見も聞かない、まさしく暴君なのだろう。
バタバタと急に足音がし出す。トリスタンが走って来て、部屋の前で言う。
「炎帝の乳母、オーブリーがこちらへ向かっているそうです、ご用意を。」
そう言われて、シャネスを見る。シャネスは顔を
◇◇◇
カツカツカツと足音を響かせて、数人の侍女と共にオーブリーが現れる。オーブリーと会うのはどれくらいぶりだろうか。私が北の塔へ幽閉されてからは、ほとんど顔を見なかった。久方ぶりに見るオーブリーは見苦しい程に着飾り、そして老いていた。
「ここはいつ来ても、汚くて湿っぽくて嫌だわ。」
そう言いながら部屋へ入って来る。シャネスはオーブリーが来る前に部屋の移動を済ませていて、この部屋には私しかいない。部屋の前にはトリスタンが居るとは言え、ここで私が何をされようと手出しは出来ないだろう。どう振る舞うべきか……そう思いながら慎重にオーブリーを見上げる。
「皇帝陛下の乳母であるこの私が、わざわざ来たというのに、立ち上がって迎える事も出来ないの?」
序列で言えば、私の方が上だ。私はこの国の皇女なのだから。皇女である私よりも兄の乳母の方が上に立つ、なんて事はあってはならない。でも、私が幽閉されてからは皇帝の乳母という立場を最大限、使って来たのだろう。自分が言えば私すら、消せると思っているのかもしれない。私は溜息をついて立ち上がり、小さく会釈する。そんな私を見てオーブリーは顔を
「どこに居たのかと思えば、最果ての地に居たそうね。」
そう言いながら私に近付くオーブリー。
「ずっと戻って来なければ良かったのに。」
そう言い、持っていた扇子で私の顎を上げさせ、自分を見るように仕向ける。
「前皇帝が亡くなってから、ずっと北の塔へ幽閉されて、お人形のようになっていたあの頃とは大違いね。」
オーブリーは私の瞳を見つめながらそう言う。以前の私なら、こうされても視線すら合わせなかっただろう。
「本当に嫌な瞳の色だわ。何がリナリアの光の加護よ。何の役にも立たない力じゃないの。」
そう言ってオーブリーは扇子で私の頬を叩く。
「美しさに磨きがかかっているわね……私の可愛いロベルト様をその顔で誘惑出来ないように痛めつけないといけないわねぇ。」
その時、私は思わず、クスッと笑ってしまった。その笑いに気付いたオーブリーが血相を変えて言う。
「何を笑っているのよ!」