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第29話 慟哭

 いきなり素っ頓狂なことを言い出した私に、お2人は豆鉄砲を喰らったように唖然としていた。それはそうだろう。お風呂やお手洗いなんて、できて当たり前の行動だもの。だけど、それが私にはできないのだ。


 お手洗いは特に重要で、幼い頃に我慢しすぎて体を壊したことがある。だけど自分ではお手洗いに行くのさえ難しく、メイドの手を借りていた。


 それはそれで恥ずかしいけど、自分の身体をどうしても容認できない。もちろん、何度も慣れようと頑張ってきた。でも、やはり拒否反応が出てしまう。その度にお母様を悲しませるのが辛かった。


 それを、一応同姓とはいえ、男性に打ち明けるのはかなり勇気が必要だった。だから今まで殿下にも、エノハ様にも言えずにいたんだから。


 だけど、これから殿下と村落に潜伏するとなれば、どうしていいか分からない。もじもじと視線を泳がせて、どう切り出そうかと考えていると、先に口を開いたのは殿下だった。


「風呂と便所って……今までどうし――痛っ!」


 すかさず翻ったエノハ様の平手打ちが、殿下の後頭部を叩き、虫でも見るかのような目で殿下を見下ろす。


「学習しないお方ですねぇ。彼……いえ、彼女とお呼びしましょう。彼女は姿こそ男性ですが、心は前世から引き継いだまま、女性なのですよ? そのような聞き方は失礼でしょう」


 エノハ様は既に、私を女性として扱ってくれようとしていた。それはとても嬉しくて、涙が滲んでくる。殿下も、迂闊な所はあるけど私を気遣ってくれているのは分かった。


「ファルス、貴方先ほど自分で体が洗えないと仰っていましたね? 宿舎ではどのようになされていたのですか?」


 聞いていることは殿下と同じでも、エノハ様の柔らかい口調だと言いやすくなるのが不思議だ。私は意を決して、騎士としての生活を打ち明けた。


「はい……本当はよくないのですが、お父様が一筆書いてくださり、ひとりだけメイドを付けていただきました。彼女は普段、宿舎のメイドとして働いていますが、私の身の回りのことを優先して動いてくれます。お風呂は、そのメイドに洗ってもらい、あの……お手洗いも……」


 下の話は恥ずかしすぎて、穴があったら入りたい。だけど話さない訳にもいかず、なんとか口を動かした。


「もちろん、ずっと付いていてもらうことはできませんから、できるだけ我慢して、おしめを改良したものを身に着けています」


 その言葉に、エノハ様が反応した。


「ほう……おしめを改良ですか。お聞きしても?」


 問う声には嫌味や揶揄からかいの色はなく、純粋な興味を感じさせる。その隣で、叩かれた頭を摩りながら、殿下も聞く姿勢を取っていた。


「大したものではありませんが……布で押さえる事で凹凸をなくして、海綿を油紙で包んだものを挟んでいるんです。これなら多少の漏れは防げますし、時間が稼げます。お昼休みに宿舎に寄って、取り替えてもらっていました」


 説明を聞いて、エノハ様は何事かを考えている。部下がおしめを常用していたことに引かれるかと思っていたけど、そんな反応は見られない。殿下も納得したように頷いていた。


「それは……いろいろと応用が利きそうですね。騎士団でも遠征で使えるのではないでしょうか」


 その返答に私は頷く。


「はい。漏れが少ないので、子供のいる者達にはおしめとしても重宝されましたし、メイド達には生理帯として喜ばれました。噂を聞いた出入りの商人が商品化したいと言っていたので、王宮にも話が伝わるかもしれませんね」


 エノハ様に商人の名前を伝えると、すぐに携帯用の筆記用具を取り出しメモを取っていた。その横で殿下は大人しく話を聞いていたかと思うと、神妙な面持ちで再度不適切な言葉を発する。


「便所は分かった。じゃあ、どうやって抜……ごめんなさい」


 静かに腕を振り上げるエノハ様に圧倒されて、殿下が縮こまった。


(うん、聞きたいことは分かるんですけどね)


 要するに、男性特有の生理現象にどう対処していたのかが知りたいのだろう。これにはなんとも答えづらい。私は女性だけど、体の要求がないかといえば違うからだ。女性の場合は、毎月自然と排出される。だけど、男性は自分で対応しなければならず、体さえ満足に洗えない私にできるはずもなかった。


 エノハ様も同様に考えたのか、心配げに問いかける。


「下世話な話ですが、殿下の心配も分かって差し上げてください。いつ何時、不調に陥るか分かりませんから。異常があったら、いつでもご相談ください」


 それ以上深く踏み込むことはせず、殿下も謝ってくれた。


「ひとつだけ、これは聞いてもいいか?」


 そう言ってエノハ様に真剣な視線を向けると、何かを察したのか溜息と共に吐き出した。


「それは……私にも判断が付きません。聞いてみるほかないでしょう」


 意味深なやり取りに、なんのことだろうと様子をうかがっていると、殿下が真剣な瞳で語りかける。


「ファルス……言いたくないなら言わなくてもいい。だが、俺は知っておきたい」


 今まで見た事もないくらいに、真っすぐな瞳。その青が、私を貫くような気がした。


「お前は、女に戻りたいのか?」


 それは、ずっと考えていたこと。


 魔術の書物を読み漁り、御伽噺を辿り、魔女を訪ねた。


 それでも見出せなかった、たったひとつの希望。


 答えは決まっている。


 だけど、望めば望むほどに遠くなる現実。


「……戻り……たいです……女に……戻りたい……そうすれば、お母様も、お父様も……悲しませずにすみます……でも……戻れないんです……戻れない……」


 声に出したことで、逃げていた事実に嫌でも向き合う羽目になる。それでも、殿下には伝えたかった。私は、女として貴方の傍にいたいのだと、この体は辛いのだと。


 涙は止めどなく溢れ、嗚咽が込み上げる。殿下はそっと寄り添い、肩を抱いてくれた。


「ごめん……辛い事を聞いてしまって。そうだよな、戻りたいよな。大丈夫、俺が何とかしてみせるから」


 背中をさする腕は優しく、そして力強かった。

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