辺りは静かで、焚き木の爆ぜる音に、私の嗚咽が重なる。殿下は私が落ち着くまで、ずっと寄り添ってくれた。エノハ様も白湯を渡してくれて、なんとか涙が止まった頃、遠くに葉擦れの音が聞こえ身構える。
それをエノハ様は制し、口を開く。
「大丈夫、味方ですよ。先ほどの話を聞いて、これほど心強い方はいないと確信いたしました。ファルス、貴方もよく知る方です」
そう言われても、気が動転して理解が追い付かない。思わず殿下の胸にしがみつくと、強く抱きしめられた。この様子では殿下も知らされていないのだろうか。
徐々に近付く足音に、緊張が高まる。
そして現れたのは、黒いフードを目深に被ったひとりの人物。その手には、体に見合わない大きな鞄が握られていた。
「お嬢様!」
その人物は突然叫び、私の元に駆け寄ってくる。その声には聞き覚えがあった。
「……まさか……トゥナ……?」
そう呟くと、フードの下から猫耳が飛び出し、大きなアーモンド形の金の瞳が現れる。紛れもない、私の乳母であった猫族のトゥナだ。彼女とは騎士団に入ってから会っていない。実家に帰る機会も少なかったし、宿舎に呼ぶには年齢的に難しかったからだ。
トゥナは50才を超える。もう老人と言っていい年齢で、シャム猫のようにしなやかな体は、灰色の毛皮に白いものが混じり始めている。その姿は正に2足歩行の猫で、指は人のようだけど掌には肉球もある。実家では何かあったら、真っ先に飛んできて抱きしめてくれていた。
身体を覆う被毛よりも明るい銀の髪を結い上げ、シンプルなドレスを着こなす懐かしい姿に、また涙腺が緩んでくる。
「トゥナ……トゥナぁ……」
柔らかい被毛に顔を埋めると、優しい花の香が鼻をくすぐる。これも、間違いなく記憶にあるトゥナのものだ。
「はい……はい……! トゥナにございます! ああ、お嬢様、ご無事でようございました。エノハ様から事情は聞いておりましたが、このような場所で野営なさっているなんて……お労しい……」
涙で汚れた私の顔をトゥナはハンカチで拭い、髪を整える。ようやく落ち着いてきた私を確認して、殿下に臣下の礼を取った。
「第2王子殿下、お目にかかれて光栄に存じます。
本当なら、真っ先に挨拶すべき殿下を後回しにさせてしまったことに気付き、私は慌ててトゥナの横に並ぶ。これは不敬罪と取られても仕方のない行動だ。いくら殿下がいいお方でも、礼儀は通さなければならない。
「も、申し訳ございません、殿下! ご挨拶が遅れてしまって……罰するならば、どうか私を……!」
そんな私に、殿下は苦笑いを浮かべる。
「あのな……俺がそれくらいで怒るとでも思っているのか?」
そう言って、私の額を指でつついた。
「思ってません……でも、トゥナを常識の無い人だとは思ってもらいたくないのです。彼女は私にとって、かけがえのない人ですから」
すると、殿下の眉がピクリと動いた。それはさっきまでの不機嫌さに似たもので、本当に意味が分からない。だけど、トゥナの反応は私と違った。
「あら、まぁまぁ、なんて可愛らしい。エノハ様からもお聞きしておりましたが、本当に素直なお方なのですね。
殿下が可愛らしい!?
確かにトゥナは高齢だし、孫と変わらない年齢かもしれないけど、成人した男性にそれはいかがなものなのか。当の殿下も困惑気味に顔が引きつっている。
トゥナをフォローしようと口を開きかけたら、エノハ様まで同意した。
「ええ、王族にしておくには危なっかしい方ですが、一途という点においては折り紙付きです。お手数をおかけいたしますが、ファルス共々、よろしくお願いいたします」
その口調はまるで保護者のようだった。実際、エノハ様は殿下の補佐官であり、お目付け役だけど、今まで以上に親しみを感じる。なんというのか、お兄ちゃんっぽさがあった。
王宮では補佐官として実直に勤めていたエノハ様、その意外な顔を見た気がする。私も色々お世話になってきたから、余計にそう思うのかもしれない。
殿下はバツの悪い顔をしながら、後頭部を掻き、話を逸らしはじめた。
「ま、まぁそれは置いておくとして……エノハ、何故彼女を呼んだんだ? 確か、予定では俺とファルスで夫婦を装う手筈だったと思うけど」
また知らされていなかった計画が飛び出し、私は軽くパニックを起こしてしまう。
「で、殿下と夫婦……? え、なんですかそれ……私聞いていません!」
夫婦ということは、2人っきりで同じ家に住むということで、周りに怪しまれないように振舞う必要もあって……。
「無理! 無理です! 私には無理!」
恋愛経験なんてない私は、つい照れから叫んでしまった。男性と手を繋いだのなんて、中学校の体育祭でフォークダンスを踊ったのが最後。転生してからも変人として扱われたから、お父様とお爺様くらいしか接触はなかった。侍従達は私を
そもそも私自身が男性なのだから、同姓と手を繋ぐ機会は少なかった。私も含め、周囲も貴族だから余計に。騎士団では、仲のいいもの同士が肩を組んでいるのは見たことあるけど。
そんな私に、夫婦役なんてできる訳がない。
しかも、少なからず想っている殿下が相手なんて恥ずかしすぎる。
顔が熱くなるのが分かり、両手で覆うと悲し気な殿下の声が頭上から聞こえてきた。
「そんなに否定しなくても……」