休憩が終わり、私達はまた街道を進む。
結局あの後、周囲の人にどうしてもと頼みこまれてスープを分けたけど、案の定微妙な空気に陥った。その空気感は、こちらが申し訳なるほどに痛い。
それを読めないのか、殿下がまた余計なことを口走る。
「な? 美味いだろ」
胸を張って言う殿下に、みんな苦笑いを浮かべて静かに離れていった。私がやんわり注意しても、当の殿下は首を傾げている。それを眺めてクスクスと笑うトゥナ。しばらくはこの3人で過ごすのかと思うと、不安が募るのも仕方がないだろう。
(まさか……エノハ様はこれを予期して、スパイを口実に逃げたんじゃ……?)
ありえないと思いながらも、手綱を引いてトゥナと楽し気に話す殿下を見ると、あながち間違いじゃないと思えてくる。
視線を感じたのか、殿下の瞳が私に向けられた。
「ん? どうしたフィア。じっと見つめて。俺の顔に何かついてるか? あ、それとも愛しの夫に見惚れてたとか!?」
見当違いの言葉に、私は深い溜息を吐く。
殿下は、私を『フィア』と呼ぶとき、とても嬉しそうに笑う。それが私にとって、少しの苦痛をもたらしているとは思わずに。
女性名で呼ばれることは、ずっと望んで、でも叶わなかった夢だ。両親も私を思って、愛称を女性的なものにしてくれていた時期もある。だけど、それは余計に傷を抉るものだった。
ドレスを着ても、可愛い愛称で呼ばれても、私が男であることに違いはない。女性として振舞うことは精神的な鎖をほどいてくれると同時に、超えようの無い壁を感じさせた。
「フィア?」
不安気な声で、殿下は再度問いかける。
(いけない、これくらいで落ち込んでいたら、任務に支障が出てしまう)
私は無理矢理笑って、首を振った。
「大丈夫、なんでもないよ。村まではもう少しかしら。奥様、お疲れではありませんか?」
休憩を取ったとはいえ、長時間馬に揺られるのは意外と体力を削られる。鞍は硬いし、馬の蹄の振動が直にくるのだ。トゥナは横乗りをしているから、首に負担もかかる。身分の高い人を優先して馬に乗せるのは、ある意味酷だと感じてしまう。
自動車や電車といった、快適な乗り物を知っているから余計にそう思うのかもしれない。
「ええ、大丈夫よ。村では私が世話した子が待っていてくれるの。久しぶりに会うから、とても楽しみだわ」
トゥナは年齢を感じさせない程、背筋をジャンと伸ばして応えた。
その様子を見て、昔を思い出す。
初めて馬に乗った時は、本当に大変だった。前世では動物との触れ合いさえ滅多になかったから。たまに友人の家で飼っている犬や猫と遊ぶくらいだ。
それがいきなり自分よりも大きな馬を目の前にして、恐怖しない方がおかしい。しかも、馬は人を見ると言われている。及び腰の私相手に、馬は歯をむき出しにして馬鹿にしたように笑った。
お父様が優しい子を連れてきてくれたから、今は克服して、ひとりで乗れるようになっているけれど。
トゥナを乗せた馬の首筋を撫でると、甘えるようにしてすり寄ってくる。この子はトゥナが調達してきた馬だ。さすがに殿下の愛馬や王宮の馬を連れていては、見つけてくれと言っているようなもの。それを見越して馬は置いていったと、エノハ様が王宮に伝える手筈になっていた。
(それにしても……)
殿下が失踪した理由というのが、またふざけているというか。許されざる恋を悲観しての駆け落ち、つまりは王太子と同じだ。
(芸がないというか、なんというか……)
まぁ、それが現王国の法に関するアンチテーゼとなってはいた。中でも王太子、並びに王太子妃の据え置きや、3王家の間で繰り返されてきた近親婚による身体的な障害などが上げられる。
殿下は国外から招かれた側室とのお子だから、特筆すべき障害はなく、味覚の異常は毒によるものだ。しかし、王太子殿下は正室である王妃様の嫡男であり、国王陛下とは従妹同士。その弊害として聴力障碍を抱えていた。それを補佐し、支えたのが、駆け落ち相手のメイドだったという。
メイドも家格の高い貴族の出身で、王妃としての十分な素養があった。なのに、法によって王太子妃は定められている。
本来なら結ばれる2人は、手に手を取って国を捨てた。
その役目を押し付けられた弟も、同じ道を選ぶ。
(……なんだか、大衆演劇にでもなりそうだなと思うのは、私だけかな……)
それはそれで、国民の関心が高まるのはいい傾向と取れる。この世界は王政が中心だから、政治的な動きは国民に知らされないことが多い。直接会うなんてもってのほかだし、新年の挨拶も遠いバルコニーに立つから豆粒ほどになってしまう。ヴィスハイムは陛下の城下視察があるから、まだマシだろう。
王位継承者が揃って逃げ出すのは、正直どうかと思うけど。
そんなことをかんがえていると、トゥナが不意に声を上げた。
「あ、見えたわ。あの村よ」
指さす方へ視線を向けると、ひとりの少年が大きく手を振っている。日に焼けた肌と、ツンツンと跳ねた赤毛が特徴的な少年だ。
馬を進め、少年の元に辿り着くと元気な声でトゥナを歓迎する。
「奥様! よくおいで下さいました! 村のみんなも楽しみにしてたんですよ!」
その声は不自然なほどに大きく、まるでトゥナの存在をアピールしているようだった。トゥナも笑顔で少年に応える。
「ヒューイ、元気にしていたみたいね。
その言葉を合図に、私達はヒューイの先導で村へと踏み込む。ヒューイの言ったことに嘘はないらしく、すれ違う人達はみな友好的に接してくれた。すかさずヒューイが紹介すると、徐々に人が集まってくる。
「ああ、あなたがヒューイを世話してくだすったご隠居様でごぜぇますね。この子は本当によく働いてくれて、私共はとても助かっております。ジグ達夫婦も明るくなって、ホッとしているんでさぁ」
周囲の人達も頷き同意して、口々に礼を言っている。
だけど、それすらエノハ様の掌の上であり、私は後ろめたい気持ちを抱いていた。