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第二話、人質としての結婚

 ティアナは宮殿の螺旋階段を上ると、二階の廊下を歩き、角部屋の前で足を止めた。

 そして白に金色の模様が入った、豪華なドアをコンコンとノックする。


「ティアナでございます」

「入れ」


 ティアナが言うと、中からすぐに返事があった。

 ティアナは金色のドアノブに手をかけると、回してグッと押し開く。


「失礼いたします」


 姿勢を低くして部屋の中に入ったティアナは、ドアを静かに閉めて前を向いた。

 ティアナの正面、突き当たりには、立派な木造の机があり、その向こうには、シルバーの貴族服を着た男性の姿が見える。そしてその横、窓際には金色のドレスを纏った女性の姿があり、どちらもティアナに背を向けて立っていた。

 ティアナは彼らが誰かわかった上で、真っ直ぐ机の前まで歩くと、白い帽子を脱いだ。

 瞬間、帽子に収まっていた髪がふわりと溢れる。

 部屋の照明を浴びて煌めく豊かなロングヘアーは、作り物のように珍しいアクアマリンに似た水色だった。


「……お呼びでしょうか、お父様」


 ティアナは帽子を持った手を前に重ね、改めて頭を下げる。

 すると振り返ったマルティンは、冷めた目でティアナを見た。窓際に立った女性は無反応で、ティアナの方を見ようともしない。

 国王を父と呼んだのはいつぶりだろう、いや、そもそも顔を合わせるのがずいぶん久しぶりだ。

 メイドたちと同じ暮らしをしているティアナにとって、血の繋がった父はあまりにも遠い存在だった。


「ティアナ、貴様の結婚が決まった」


 ティアナは頭を下げたまま、サファイアのような瞳を見開いた。

 突然呼ばれたので、どうせろくでもないことだと思ったが、あまりにも予想外すぎて時が止まる。

 驚きの中、ティアナがゆっくりと顔を上げると、向き直ったマルティンが目に入った。

 髪と同じ金色の眉の下にある、茶色の瞳がティアナを冷たく見下ろす。


「……え……?」

「相手はイザーク・アド・シルベリオスだ」


 なぜ? どうして? 私がいきなり?

 そんなティアナの戸惑いは、言葉になる前に、マルティンの台詞に攫われる。

 イザーク・アド・シルベリオス――今やブリリア王国で、この名を知らない者はいないのではないか。

 そう言っても過言ではない有名人。その名をティアナも知らないはずがなかった。


「……その、お方は、もしや……?」

「貴様でも聞いたことくらいはあるだろう、王と国を守るセレステッタ騎士団……その団長でありながら、この私に反旗を翻した人物なのだからな」


 マルティンの言葉で、ティアナの想像が確かなものに変わる。

 その瞬間、ティアナはマルティンから視線を外し、なにか考える素振りを見せた。


「奴は私の首と引き換えに、民の税を減らすことと、ロッキンベルの娘を嫁がせることを要求した」

「……人質、ということですね」


 生誕祭の事件は当然騒ぎになり、宮殿中……いや、国中に知れ渡った。

 そのことを考慮したティアナは、自分が結婚相手に選ばれた理由がわかった。

 ティアナの言葉を聞いたマルティンは、汚いものでも見るかのように顔を歪めた。


「ふん、鼻につくほど飲み込みが早いな、その通り、王の娘を嫁に迎えれば、なにもできぬと考えたのだろう」


 王の宝とも言える愛娘。それを手中に収めることで、報復を防ぎ、継続的に従わせようという魂胆だ。

 もしもおかしな動きをしたら、娘の命はない……という脅しである。


「貴様は妾の子とはいえ、私の血を受け継いでいることに変わりない、ならば貴様で十分だろう、可愛いアネッタをあんな野蛮人の元に嫁がせるわけにはいかんからな」


 イザークは『ロッキンベルの娘』と言っているだけで、個人は指定していない。

 ならば正妻である王妃との間にできたアネッタではなく、妾が生んだ次女のティアナを差し出せばいいと、マルティンは考えた。

 ティアナはロッキンベルに不要な人間なので、いなくなったところでなんの影響もない。形だけ従っているふうにすればいいのだから。

 そのすべてを理解したティアナは、前で揃えた両手をギュッと握りしめた。

 そして徐に口を開く。


「……私を嫁がせて、それからどうなさるのですか……?」


 マルティンは動きを止め、茶色の瞳を見開いた。

 やがてわなわなと震え出すと、怒りを爆発させるように机を両手で激しく叩いた。

 大きな物音に、ティアナは反射的に肩をビクッと揺らす。


「それを貴様が知る必要はない! 女の分際で政に関心を持つとは、身の程知らずの恥晒しめが! 貴様のやるべきことはただ一つ、我々に愛情をたっぷり注がれた、病弱で引きこもりの王女を演じるだけだ! 間違っても奴の機嫌を損ねるようなことをするなよ、人質としての価値がないと知れたら貴様の首はもちろん、この私の命も危ないのだからな!」


 激怒したマルティンの声を、ティアナは黙って聞いていた。

 特に怯えるでも悲しむでもなく、その表情は妙に落ち着いている。

 しかし、次の瞬間、ティアナの顔つきが一変する。


「まったく、母親似の愚女が……魔が差してできただけの貴様をメイドとして飼ってやっているのだ、恩返しするのは当然だろう」


 聞きに徹していたティアナが、ピクリと反応を示し、再び口を開く。


「……おやめください」

「……なに?」


 マルティンはティアナの目を見てギョッとした。

 先ほどまで無に近かった表情は、静かな怒りに染まっていた。


「私はなんと言われてもかまいません、ですが、お母様の悪口だけはおやめください」


 控えめに、だがハッキリと、ティアナはそう告げた。

 マルティンは片目を引き攣らせ、なぜか次の言葉が出てこなかった。

 優しげな顔つきなのに、やけに目力が強い。ティアナの眼差しには、不思議な効果があるようだった。

 その時、窓際に立っていた女性がようやくティアナを振り返った。茶髪のお団子頭をした彼女は、豪華な扇子の隙間から覗くようにティアナを見る。


「ゴミのようなお前をここまで置いてやったんだ、やっと恩返しができると感謝するんだね」


 緑の吊り上がった目を鋭く尖らせる彼女は、マルティンの正妃であるジゼル・ソフィー・ロッキンベルである。ジゼルは夫のマルティンが不貞を働いて作った子供であるティアナを、心底蔑み、疎ましく思っていた。


「演技とはいえ、お前を愛しているふりをするだなんて、考えただけでもおぞけがするわ。だけど愛しいアネッタを守るためなら仕方がないものね」


 ジゼルが話している間、ティアナはずっと彼女を見ていた。目は口程に物を言うとはまさにこのことで、ティアナは言葉にできない分、瞳に意思を込めて抵抗していた。

 それを見たジゼルは、ギリッと唇を噛みしめ、再び窓の方に身体の向きを変えた。


「話はそれだけよ、さっさとわたくしの視界から消えてちょうだい」


 細やかな抵抗を残したティアナは、ペコリと頭を下げると、くるりと踵を返す。

 そしてドアに向かって歩き出した時だった。


「おい、ティアナ、わかっているのだろうな!」


 後ろから飛んできた声に、ティアナは足を止めると、振り向かずに答える。


「ご命令には従います……では」


 ティアナはそう言うと、ドアを開いて部屋を出ていった。


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