翌日、ティアナは早速イザークの元へ向かうことになった。
離れていては人質の意味がないため、イザーク側も事を急いでいるのだ。
嫁入り支度が整ったティアナは、荷物を持って宮殿を出る。
すると前方に見える馬車のそばに、誰かが立っているのが見えた。
「あらぁ、とってもお似合いよ、髪と同じ色合いのドレスが……ふふふっ」
近づいてきたティアナに、アネッタが嘲るように言った。
淡い水色のドレスを着たティアナ。メイドとして暮らしていた彼女に、自分用のドレスがあるはずもなく、アネッタのものを譲り受けるしかなかった。急いでメイドたちがティアナに合うよう、サイズ直しをしたため着心地は悪くない。
しかし、数あるドレスの中でわざわざ水色を選ぶというのは、ティアナの髪に対する皮肉だろう。
夫婦になればさすがに稀髪を隠し通すのは無理があるので、今のティアナは水色の髪を惜しげなく披露している。
しかし、ティアナはそれを引け目に感じていない。
アネッタはティアナが自身の髪を、誇りに思っていることを知らないのだ。
「わたくしのお下がりを恵んでもらえるだなんて、光栄に思いなさい。うっかり口を滑らせて、妾の子だとかメイドをしていたなんて言わないでよ、いらない人間だと知られないように、せいぜいがんばるのね」
「……心得ております、では」
ティアナはアネッタに頭を下げると、馬車に乗り込み椅子に座った。
窓から見えるのは、宮殿に引き返すアネッタの後ろ姿。
そのそばにはリリーが付き添っているだけで、他には誰もいない。王女である娘が嫁ぐというのに、継母はもちろんのこと、実父も見送りにすら来なかった。
とはいえ、これはティアナにとって想定内。最初から期待しない分、傷つくこともない。
それに今はそんなことどうでもいい。過去よりも現在と未来の方が大事なのだから。
男性の使用人が馬の手綱を握り、馬車を出発させる。
ティアナが生まれてから十八年、ずっと住んでいた宮殿が遠ざかってゆく。
――馬車ってこんなに揺れるのね。景色が早く過ぎて、だけど色鮮やかで美しいわ。
ティアナはカバンを抱えながら、窓の外の移りゆく景色を眺めていた。
初めての馬車に、豪華なドレス、しっかり梳かれた髪に、綺麗な化粧。
どれも今までのティアナには無縁で、特別なことに違いなかったが、彼女の気分を最も盛り上げたのは、外に出られたことだった。
――ああ、私、本当に宮殿を出たのね。信じられない。なんだかすごいわ……!
青い瞳を輝かせるティアナは、まるで本当に愛する人の元に嫁ぐかのようだ。とても人質には見えない。
そんなティアナを乗せた馬車が、町を出て、森を抜ける。
その瞬間、飛び込んできた景色に、ティアナは目を見張った。
「うわぁ……!!」
ティアナは感嘆の声を上げると、もっとよく見てみたいと思い窓を開く。
そこから顔を覗かせると、水色の長い髪がふわりと風に靡いた。
今、ティアナがいるのは森を抜けた平野。
その前方の小高い丘に、巨大な建物が見える。
角張った灰色のそれは、平野を見下ろすように建っていた。
馬車がなだらかな坂道を上り、徐々に巨大な建物が近づいてくる。
門の前に誰かがいることに気づいたティアナは、さっと頭を引っ込めた。
はしゃいで窓から顔を出すなんて、王女として相応しくないかもしれない。そう思っての行動だった。
やがて馬車が正門の前に止まると、馬の手綱を引いていた使用人が先に降りる。そして座席のドアを開けると、ティアナはカバンを片手に馬車を降りた。
それを見た使用人が、なにかに気づいたようにティアナに両手を差し出す。
しかし、ティアナは意味がわからずキョトンとするだけだ。
「……お荷物を」
使用人は少し苛立ったように、しかし門番には聞こえない程度の声で言った。
その意味を察したティアナは、なるほどと思いながらカバンを手渡す。
王女は自分で重い荷物を運んだりしない。だからさっさとこっちによこせということだ。
今までメイドとして生きてきたティアナに、急に王女らしくしろなんて無理があるだろう。
それでもやるしかない。ティアナが生きるために残された道は、それしかないのだから。
ティアナが使用人とともに門に歩み寄ると、二人の門番も一歩前に出た。
軍服のような黒い生地の装いに、肩と胸には金色の鎧をつけている。
騎士団のメンバーである彼らは、ティアナに近づくと口を開いた。
「ティアナ王女ですね」
「……はい」
「お待ちしておりました、中へどうぞ……ああ、使用人の方はここまででけっこうです、どうぞお引き取りください」
彼らはそう言って、使用人からさっと荷物を奪った。
手ぶらになった使用人はティアナを一瞥すると、無言で門番に会釈し、馬車の方へ引き返した。
用があるのは人質のティアナだけ。それ以外はこの先通さないという、騎士たちの強い意志を感じる。
たった一人、残されたティアナの前には、要塞のような城が聳え立つ。
黒い門の上部には、金色の翼の紋が刻印されていた。
「ようこそ、ティアナ王女……我らが領地、ビクトールへ」
二人の騎士が黒い門の合わせ目を持ち、同時に外側に開く。
キィと高い音を立てて門が開放されると、騎士たちはティアナを中に招き入れた。
城の敷地内に入ったティアナは、キョロキョロと辺りを見回す。
門がついた分厚い壁と、前方に見える城の間には、雑草が生えた砂地がある。
ティアナがそこに立って左右を見ると、壁も城も同じくらいの距離まで続き、角で折り返しているのがわかった。
どうやら壁が城の周りをぐるりと囲んでいるようだ。大きすぎで全貌がわからないので、確信は持てなかったが。
「王女」
「……」
「王女!」
「あっ、は、はい!」
辺りを見るのに夢中だったティアナは、騎士の言葉にハッとして振り向いた。
まだ王女だと呼ばれることに慣れていないので、返事をするのが遅れてしまった。
「なにをしてるんですか、早く来てください」
「は、はい……」
ティアナは肩を窄めながら、自分のカバンを持った騎士についていく。
もう一人の騎士は、門番の立ち位置に戻っていた。
ティアナは騎士とともに、正面にある黒い扉に辿り着く。
すると、その扉の上部にも、金色の翼の紋が刻まれているのが見えた。正門にあったのと同じものだ。
「それはセレステッタ騎士団の紋章ですよ、自由を象徴した翼です」
紋章を見上げていたティアナに、騎士は少し誇らしげに言った。
「自由……」
なんと美しく、切ない響きなのだろう。
ティアナは一生叶わないであろう、その言葉を静かに呟いた。
やがて騎士が扉を押し開くと、ギィィと鈍い音を立てて、中の様子が明らかになる。
ティアナは徐々に目を大きくし、広がる景色を映した。
重厚な扉が開放されると、ティアナはついに城内に足を踏み入れる。門のところにいた時と同じように……いや、それ以上に辺りを見回しながら。
外観は要塞そのものだが、中の作りは城らしくなっている。
しかし、一般的な城とは違うため、ティアナは少し驚いていた。
天井は高く、正面の大きな階段や、二階の通路の手すりも立派だ。
ただ、全体的に灰色がかっていて、華やかさがまったくない。銅像や絵画、花の一つも飾っておらず、絨毯すら敷かれていない。
石の素材をそのまま使った、シンプルで冷たく重厚な内観は、古城のような雰囲気を漂わせいる。
――はぁぁ……なんてこと……ロッキンベル宮殿とは全然違うわ……。
初めて見るビクトールの城に、ティアナは感嘆のため息を漏らした。
他の王侯貴族の家に行ったことがなかったティアナは、比較対象がロッキンベル宮殿しかない。
純白と黄金で埋め尽くされたロッキンベル宮殿は、王族の権力を象徴する麗しさだった。
しかし、ティアナがビクトール城を見て気を落とすことはなかった。
むしろ、別世界に来たようなワクワク感が湧いていた。
「すぐに団長を呼んできますので、しばらくここでお待ちください」
「わかりました」
騎士は持っていたカバンを床に置くと、ティアナを残して歩き始めた。
ティアナはようやくまともに旦那様に会えるのかと、ドキドキしながら待機する。
そんなティアナの様子を、二階の内廊下から眺めている人物がいた。