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第二章、宮殿の外

第四話、いざ、ビクトール城へ

 翌日、ティアナは早速イザークの元へ向かうことになった。

 離れていては人質の意味がないため、イザーク側も事を急いでいるのだ。

 嫁入り支度が整ったティアナは、荷物を持って宮殿を出る。

 すると前方に見える馬車のそばに、誰かが立っているのが見えた。


「あらぁ、とってもお似合いよ、髪と同じ色合いのドレスが……ふふふっ」


 近づいてきたティアナに、アネッタが嘲るように言った。

 淡い水色のドレスを着たティアナ。メイドとして暮らしていた彼女に、自分用のドレスがあるはずもなく、アネッタのものを譲り受けるしかなかった。急いでメイドたちがティアナに合うよう、サイズ直しをしたため着心地は悪くない。

 しかし、数あるドレスの中でわざわざ水色を選ぶというのは、ティアナの髪に対する皮肉だろう。

 夫婦になればさすがに稀髪を隠し通すのは無理があるので、今のティアナは水色の髪を惜しげなく披露している。

 しかし、ティアナはそれを引け目に感じていない。

 アネッタはティアナが自身の髪を、誇りに思っていることを知らないのだ。


「わたくしのお下がりを恵んでもらえるだなんて、光栄に思いなさい。うっかり口を滑らせて、妾の子だとかメイドをしていたなんて言わないでよ、いらない人間だと知られないように、せいぜいがんばるのね」

「……心得ております、では」


 ティアナはアネッタに頭を下げると、馬車に乗り込み椅子に座った。

 窓から見えるのは、宮殿に引き返すアネッタの後ろ姿。

 そのそばにはリリーが付き添っているだけで、他には誰もいない。王女である娘が嫁ぐというのに、継母はもちろんのこと、実父も見送りにすら来なかった。

 とはいえ、これはティアナにとって想定内。最初から期待しない分、傷つくこともない。

それに今はそんなことどうでもいい。過去よりも現在と未来の方が大事なのだから。

 男性の使用人が馬の手綱を握り、馬車を出発させる。

 ティアナが生まれてから十八年、ずっと住んでいた宮殿が遠ざかってゆく。


 ――馬車ってこんなに揺れるのね。景色が早く過ぎて、だけど色鮮やかで美しいわ。


 ティアナはカバンを抱えながら、窓の外の移りゆく景色を眺めていた。

 初めての馬車に、豪華なドレス、しっかり梳かれた髪に、綺麗な化粧。

 どれも今までのティアナには無縁で、特別なことに違いなかったが、彼女の気分を最も盛り上げたのは、外に出られたことだった。


 ――ああ、私、本当に宮殿を出たのね。信じられない。なんだかすごいわ……!


 青い瞳を輝かせるティアナは、まるで本当に愛する人の元に嫁ぐかのようだ。とても人質には見えない。

 そんなティアナを乗せた馬車が、町を出て、森を抜ける。

 その瞬間、飛び込んできた景色に、ティアナは目を見張った。


「うわぁ……!!」


 ティアナは感嘆の声を上げると、もっとよく見てみたいと思い窓を開く。

 そこから顔を覗かせると、水色の長い髪がふわりと風に靡いた。

 今、ティアナがいるのは森を抜けた平野。

 その前方の小高い丘に、巨大な建物が見える。

 角張った灰色のそれは、平野を見下ろすように建っていた。

 馬車がなだらかな坂道を上り、徐々に巨大な建物が近づいてくる。

 門の前に誰かがいることに気づいたティアナは、さっと頭を引っ込めた。

 はしゃいで窓から顔を出すなんて、王女として相応しくないかもしれない。そう思っての行動だった。

 やがて馬車が正門の前に止まると、馬の手綱を引いていた使用人が先に降りる。そして座席のドアを開けると、ティアナはカバンを片手に馬車を降りた。

 それを見た使用人が、なにかに気づいたようにティアナに両手を差し出す。

 しかし、ティアナは意味がわからずキョトンとするだけだ。


「……お荷物を」


 使用人は少し苛立ったように、しかし門番には聞こえない程度の声で言った。

 その意味を察したティアナは、なるほどと思いながらカバンを手渡す。

 王女は自分で重い荷物を運んだりしない。だからさっさとこっちによこせということだ。

 今までメイドとして生きてきたティアナに、急に王女らしくしろなんて無理があるだろう。

 それでもやるしかない。ティアナが生きるために残された道は、それしかないのだから。

 ティアナが使用人とともに門に歩み寄ると、二人の門番も一歩前に出た。

 軍服のような黒い生地の装いに、肩と胸には金色の鎧をつけている。

 騎士団のメンバーである彼らは、ティアナに近づくと口を開いた。


「ティアナ王女ですね」

「……はい」

「お待ちしておりました、中へどうぞ……ああ、使用人の方はここまででけっこうです、どうぞお引き取りください」


 彼らはそう言って、使用人からさっと荷物を奪った。

 手ぶらになった使用人はティアナを一瞥すると、無言で門番に会釈し、馬車の方へ引き返した。

 用があるのは人質のティアナだけ。それ以外はこの先通さないという、騎士たちの強い意志を感じる。

 たった一人、残されたティアナの前には、要塞のような城が聳え立つ。

 黒い門の上部には、金色の翼の紋が刻印されていた。


「ようこそ、ティアナ王女……我らが領地、ビクトールへ」


 二人の騎士が黒い門の合わせ目を持ち、同時に外側に開く。

 キィと高い音を立てて門が開放されると、騎士たちはティアナを中に招き入れた。

 城の敷地内に入ったティアナは、キョロキョロと辺りを見回す。

 門がついた分厚い壁と、前方に見える城の間には、雑草が生えた砂地がある。

 ティアナがそこに立って左右を見ると、壁も城も同じくらいの距離まで続き、角で折り返しているのがわかった。  

 どうやら壁が城の周りをぐるりと囲んでいるようだ。大きすぎで全貌がわからないので、確信は持てなかったが。


「王女」

「……」

「王女!」

「あっ、は、はい!」


 辺りを見るのに夢中だったティアナは、騎士の言葉にハッとして振り向いた。

 まだ王女だと呼ばれることに慣れていないので、返事をするのが遅れてしまった。


「なにをしてるんですか、早く来てください」

「は、はい……」


 ティアナは肩を窄めながら、自分のカバンを持った騎士についていく。

 もう一人の騎士は、門番の立ち位置に戻っていた。

 ティアナは騎士とともに、正面にある黒い扉に辿り着く。

 すると、その扉の上部にも、金色の翼の紋が刻まれているのが見えた。正門にあったのと同じものだ。


「それはセレステッタ騎士団の紋章ですよ、自由を象徴した翼です」


 紋章を見上げていたティアナに、騎士は少し誇らしげに言った。


「自由……」


 なんと美しく、切ない響きなのだろう。

 ティアナは一生叶わないであろう、その言葉を静かに呟いた。

 やがて騎士が扉を押し開くと、ギィィと鈍い音を立てて、中の様子が明らかになる。

 ティアナは徐々に目を大きくし、広がる景色を映した。

 重厚な扉が開放されると、ティアナはついに城内に足を踏み入れる。門のところにいた時と同じように……いや、それ以上に辺りを見回しながら。

 外観は要塞そのものだが、中の作りは城らしくなっている。

 しかし、一般的な城とは違うため、ティアナは少し驚いていた。

 天井は高く、正面の大きな階段や、二階の通路の手すりも立派だ。

 ただ、全体的に灰色がかっていて、華やかさがまったくない。銅像や絵画、花の一つも飾っておらず、絨毯すら敷かれていない。

 石の素材をそのまま使った、シンプルで冷たく重厚な内観は、古城のような雰囲気を漂わせいる。


 ――はぁぁ……なんてこと……ロッキンベル宮殿とは全然違うわ……。


 初めて見るビクトールの城に、ティアナは感嘆のため息を漏らした。

 他の王侯貴族の家に行ったことがなかったティアナは、比較対象がロッキンベル宮殿しかない。

 純白と黄金で埋め尽くされたロッキンベル宮殿は、王族の権力を象徴する麗しさだった。

 しかし、ティアナがビクトール城を見て気を落とすことはなかった。

 むしろ、別世界に来たようなワクワク感が湧いていた。


「すぐに団長を呼んできますので、しばらくここでお待ちください」

「わかりました」


 騎士は持っていたカバンを床に置くと、ティアナを残して歩き始めた。

 ティアナはようやくまともに旦那様に会えるのかと、ドキドキしながら待機する。

 そんなティアナの様子を、二階の内廊下から眺めている人物がいた。


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