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第五話、ティアナの明るさとイザークの戸惑い

 金色の短髪に、エメラルドグリーンの瞳をした青年は、クリーム色のシャツに茶色のズボンを身につけている。

 健康的な肌をした彼は、玄関に立つティアナを見て、一瞬驚いたような反応をした。

 ティアナを案内した騎士が階段を上って内廊下を歩くと、必然的にその青年と出会う。


「よお、ルーカス、客人がお目見えだ」


 騎士は青年の名を呼び、親しげに話しかけた。

 するとルーカスも慣れた様子で返す。


「そうらしいな、俺が団長を呼んでくる」

「ああ、任せたぞ」


 イザークの呼び出しをバトンタッチすると、騎士はティアナの元に戻り、ルーカスは内廊下を小走りに進む。

 途方もなく広い回廊をしばらく行くと、やがて六角形になった城の一角が見えてくる。

 ルーカスは黒いドアの前まで来ると、金色のノブを回して勢いよく開いた。


「団長!」


 ルーカスが飛び込んだのは、城の内観と同じシンプルな作りの部屋。

 ドアの正面にある立派な机の椅子に座った彼は、流れるような漆黒の髪と、黄金の瞳を持っている。

 突然のルーカスの参上にも、動じることなく資料を読み続けている。


「ノックぐらいしたらどうなんだ」

「あっ、すみません! 急いで伝えたいことがあったので」


 その言葉を聞くと、彼は初めて動きを止めた。

 そして手にしていた資料を置くと、切れ長の瞳でルーカスを見た。


「……来たか」


 透明感のある低音で呟く、この男こそ、国王マルティンへの反逆を企てた首謀者。セレステッタ騎士団の団長、イザーク・アド・シルベリオスである。


「はい……マルティンの次女……ティアナとか言いましたっけ、正面玄関を入ったところで待っています」

「すぐ行く」

「はっ」


 ルーカスがピシッと頭を下げると、イザークが席を立ち、机から出てくる。

 胸元に紐がついたゆったりした白いシャツに、足に添う黒いズボンと、同色の編み込みブーツを身につけている。


「……あの、団長」

「なんだ」


 ルーカスを横切ろうとしたところで、声をかけられ足を止める。

 振り向いたイザークに、顔を上げたルーカスが向き直って言った。


「その王女も、稀髪のようで……」


 ピクリと眉を動かすイザーク。表情はほぼ変わらないが、『稀髪』というワードに反応していた。

 結婚式の時は分厚く重ねたヴェールを纏っていたため、ティアナの髪の色は隠れて見えなかった。そのため、イザークを含む騎士団のメンバーは、ティアナが稀髪であることを今初めて知ったのだ。

 しばし、無言で二人の視線が交わった後、イザークが沈黙を破る。


「同じ稀髪でも、王女であったならさぞ大切に扱われたことだろうな」


 イザークはルーカスに背を向けると、颯爽と歩き、黒いドアから内廊下に出る。

 この『稀髪』こそが……イザークを最強の騎士へと押し上げたきっかけであった。

 イザークは殺風景な通路を歩きながら、今までのことを思い返す。

 ようやくここまで来た。人質を手に入れれば、さらに主導権を握れるはずだ。

 ここまではイザークの計画通り、今後もそれが崩れることはないと信じ、彼は突き進む。


 ――あのにっくきマルティンの次女、一体どんなつらをしているのか、しかと拝んでやろう。


 まだまともにティアナを見ていないイザークは、どれほどマルティンに似ているのか、想像すると吐き気がしてきた。


 ――調子に乗らないよう、自分の立場を思い知らせてやらないとな。


 やがて玄関が見えるところまで来たイザークは、すぐに目的の人物を視界に捕らえる。

 ドレスに負けないほどの、見事な水色の髪。

 特徴的な後ろ姿を目に留めながら、イザークは堂々と階段を下りる。


 ――ずいぶん上等なドレスじゃないか。それも民から搾り取った金で得たものなんだろう。


 イザークは刺々しい気分になりながら、冷たい床を蹴ってティアナに近づく。

 どうせマルティンに似た顔をしてるんだろ、あの傲慢で不遜な――。

 イザークが心の中でそう言った時。

 足音に気づいたティアナが、くるりと振り返った。

 瞬間、ふわりと靡く爽やかな髪に、深い青色の丸い瞳。控えめな鼻と唇に、薔薇のような頬。


 ――ドキン。


 ティアナと目が合った瞬間、イザークの心臓が弾んだ。


 ――なんだ、今のは……?


 イザークは意味がわからず、自分の胸に手をあて首を傾げる。

 そんな様子で自分の前に立ち止まったイザークを、ティアナは正面から見つめる。

 いや、見上げると言った方がいい。小柄なティアナと長身なイザークとでは、かなりの身長差があった。

 誓いのキスもない結婚式では、顔を見ることもなかった。二人にとってはこれが、初対面に等しい。

 しかしティアナは、彼がイザークだとわかった。

 教会でイザークの元に行った時、背格好くらいは目にしていたからだ。

 なによりも、威厳あるオーラが、この城の主だと主張している。


「あ――い、イザーク様……ですよね?」


 遠慮がちに尋ねるティアナに、イザークは小さな衝撃を受ける。


 ――イザーク『様』……だと――?


 まさか王女に『様』付けで呼ばれるとは思っていなかった。

 しかしイザークは真顔のままなので、ティアナにはなにも伝わらない。


「……ああ」

「結婚式ではちゃんとお顔を見ることもできなかったので……」


 イザークの容姿を目の当たりにしたティアナは、思わず見惚れて言葉を切った。


 ――すごい美男子だわ、騎士というから、もっと男くさい人を想像していたのに……。


 ティアナが驚くのも無理はない、イザークは細身で中性的な顔立ちをしているので、厳つい男たちを率いる団長には見えないのだ。

 二十五歳の瑞々しさと、深みが融合した不思議な魅力を纏っている。

 とはいえ、ティアナがイザークに見惚れたのは、城を前にした時と同じ感覚。

 もの珍しくて美しい……絵画や風景でも見ているかのようだった。

 しかし、こうしてはいられないと気づいたティアナは、きちんと前で両手を重ね、深々とお辞儀をした。


「改めまして、ロッキンベル家の次女、ティアナでございます」


 王女のくせに、ずいぶんご丁寧な態度だなと、イザークは思う。

 こんな腰の低い王女がいるはずがない。しおらしい演技をして、なにか企んでいるのかもしれない。

 深読みしたイザークは、そうはいくかと警戒レベルを上げた。


「今、俺がお前に会いに来たのは、挨拶をするためではない、重要なことを言いに来ただけだ」


 イザークは敬語を使わない上、ティアナを『お前』と呼んで指差した。

 そして冷淡な目でティアナを見下ろす。


「お前の父は王として、人として、最低な輩だ。この国を守るためには、あれを好きにさせるわけにはいかない。お前は、そのために差し出された人質であり、俺に愛される資格など一切ないことを覚えておけ」


 イザークは声を荒げることはなかったが、強くキッパリとティアナに忠告した。

 イザークの迫力に、そばにいた騎士が息を呑む。

 大の男が恐れを感じるくらいなのだ、女性なら泣き出してもおかしくない状況であるが――。


「はい、もちろん、わかっております」


 ティアナは泣き出すどころか、震えもせずにイザークを真っ直ぐ見据えている。

 まったく怖がる様子のないティアナに、イザークは凛々しい眉を少し動かした。

 そばにいた騎士は、もっとわかりやすく驚いている。

 二人の変化をよそに、ティアナはさらに続ける。


「私がしていいことと、悪いことを言ってくだされば、その範疇を越えることはいたしません。イザーク様にご迷惑のないよう努めますので、どうぞよろしくお願いいたします!」


 ティアナはハキハキと話し、勢いよく頭を下げた。

 その言動に、さすがのイザークも目を見開く。

 欲深いマルティンの娘であり、大国の王女。

 少し厳しいことを言えば、悲しむか怒るかどちらかだと思っていたのに。

 どちらの予想も外れたイザークは面食らい、そしてやはり、自分に対する呼び方が気になった。


「……その、イザーク『様』というのは……」


 ハッとしたティアナは、今度は急いで顔を上げてイザークを見た。


「申し訳ありません! 旦那様の方がよろしかったでしょうか? それとも門番の方々と同じように団長と……?」


 食い気味に言って、距離を縮めてくるティアナに、イザークが片足を後ろに引いた。

 違う。そうじゃない。イザークは呼び方にケチをつけたかったわけではなく、なぜ自分に『様』をつけているのか聞きたかっただけなのだ。


 ――一体、なんなんだこの女は……?


 深い海色の瞳でじっと見つめてくるティアナに、ついに耐えられなくなったイザークが顔を背向けた。


「安心しろ、もう俺を呼ぶような機会はないだろうからな」


 イザークはそう言い残すと、ティアナに背を向けその場を離れる。

 なぜ、ティアナに見つめられると目を逸らしたくなったのか。

 なぜ、ティアナの顔を見た瞬間、ドキンと心臓が弾んだのか。

 イザークはその意味を知らないまま――いや、知ろうとしないまま、感情に蓋をした。

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